はじまりの王
部屋に置かれたドレッサーの鏡面台を見つめながら、私は唸る。
オリオン・ブルーの瞳はまんまるで大きい。その瞳を縁取る睫は、冗談じゃなくマッチ棒が乗るんじゃないだろうかという程に長い。薔薇色に染まったまろい頬には、睫で影が出来ている。何も塗っていないのに艶やかなピンクの唇。濃い金の髪は緩やかにウェーブを描く。背にまで届く長さだが、侍女の日々の努力の賜物か痛みはなく艶やかだ。
目線を下げれば、小さな白い手が見える。貴族階級の人間らしく、その手は荒れることもなく日々の手入れで綺麗だ。
まるでお人形のように、とても可愛らしい少女。
男女で美醜感覚が違うとしても、この少女の愛らしさは性別を越えて共感してもらえるものだと確信している。
母親譲りの美貌を受け継いだ、将来が楽しみな少女である――それが自分でさえなければ。
このほっぺたぷにぷに美少女が私なのだけれど、昔の自分に関する記憶があるせいか、何度見てもこれが「私」だという確信が今ひとつ持てない。違和感を感じてしまう。この姿は被り物みたいだ。
ピンクの裾にレースがたくさんついたドレスだって、昔では似合わなかった。
それがこの姿では似合っている。
昔の面影なんて、欠片もない。
「ブリジット」
「はい、姫様」
ドレッサーから降りながら守役の名を呼べば、即座に部屋の隅から返事が返ってきた。
それにしても、この体では椅子に登るのも降りるのも一苦労である。
結局途中でブリジットに危ないからと持ち上げられてしまうのも、仕方がない事だとは分かっているのだけれど少々複雑だ。……ちょっとそこの侍女2人、微笑ましそうな顔でこちらを見ない。
「姫様、そろそろ先生がいらっしゃるお時間です」
「わかったわ」
頷いて、先生が既にいるだろう部屋へ向かった。
私の勉強を見てくれている先生のうちの1人は、頬から顎にかけて豊かな髭を蓄えた老人である。
これで黒いローブを着込んでいれば魔法使いといわれても納得してしまいそうだが、生憎彼は歴史専門の個人指導教師だ。
先生は、5歳児に対しても容赦がなかった。
具体的に何が容赦なかったかとすれば、私が5歳である点を考慮せず難しい語彙を使いお話してくださるところだろう。
「姫様、本日はこのアーシュニウル王国の初代王についてお話しましょう」
「はい、せんせい。よろしくおねがいします」
ここにはノートもシャーペンもない。
記して残す物が何もないので、先生の流れるような早さの講義を必死になって覚える。
先生の話は、以前に歴史書で読んだから大体の事は理解している。
だからこそ疑問に思う事がある。
アーシュニウル王国の建国にまつわる伝承には、不可解な謎が多い。
その最たるものが初代王の存在そのものだ。
あの王子様も含めた王家の祖先である建国王、リュージーン・アーシュニウル初代王は、生まれも育ちも後世には残されていない。
いや、残されていないというと語弊がある。
彼は、女神セーレンシェアによってこの国に遣わされた、彼女の子であると後世には残されている。
子とは即ち、初代王も神だったということだ。
そこまでくると、途端に眉唾物の話になってしまう。
だがそう感じているのは私だけのようで、先生の話は違っていた。
「大陸新歴1100年、今より200年ほど前の時代です。初代王は、当時の民の嘆きに慈悲を下さった女神が遣わした御使いです。女神の御許で得た見知らぬ知識を扱い、幾多もの国を平定しました」
先生を始め、この国に生きる人にとっては当然の話らしい。
私の常識が通用しないのは分かってはいたけれど、分かっているのだけれど。ここで当然のように女神の子と言われてしまうと、なんともいえない気持ちになるのは何故だろう。
流石、魔法も魔物もある世界だ。女神もなんでもありらしい。
私としては眉唾物の話とは考えたけれど、話のすべてを嘘だと切り捨てる事が出来ないのは、先生の言った事があるからだ。
初代王は、当時の誰も知らない知識を持っていたらしい。
戦争等で焼かれてしまいあまり多くは残っていない歴史書だけれど、その数少ない歴史書によれば、確かに初代王が君臨する前とその後では、統治の仕方も民の生活水準も戦争の仕方も大きく違っている。
個人的に一番有り難かったのは、やはり風呂。初代王が統治した頃は、病気の元が水にあるとして風呂に入る習慣は廃れていたらしい。お風呂をこよなく愛しているというわけではないが、せめて1日一回は入りたい。もしこの時代にいたら、私は耐え切れなかっただろう。
各地にいる領主がメインとして統治していた封建制から、王が強大な権力を持った絶対王政へと統治の仕方が変わったのも、この建国王の時代からだ。
「初代王は、商業で力を付け始めた大商人達に特権を与え、配下に収めました。そして今までは持たなかった軍隊を整え始めました。貴族同士や魔物との争い等に疲弊し力を失いはじめていた各貴族が、強大な力を持ち始めた初代王の庇護を求め集い始めたのも、自然の成り行きといえるかもしれません。一番の理由は、初代王が女神の眷属だった事もあるのでしょうが」
それにしても、王権神授説の思想は知っていたが、この国では支配権は神によって授けられたものどころか、神自体が王になってしまっていたとは恐ろしい。
軍隊も加わってしまえば、王に逆らえる者などいなさそうだ。
「せんせい」
「何でしょうか、姫様」
先生というか髭を見つめながら、私は考える。
――本当に、初代王は人間ではなかったのでしょうか?
聞いてしまっていいものか。下手をすれば王家を愚弄しているとして不敬罪とされてしまうかもしれない。
それにしても、おかしな話ではないだろうか。
私の知っている限り、神という存在は人を慈しむものだったはず。それが人の上に立ち人を支配するのか。
けれど仮に人間だったとして、だ。初代王はそれまでの人が持ち得なかった知識を、一体どこから拾ってきたのだろうか。
それに1つだけ心当たりがある。
かつて見た初代王の肖像画は、顔の雰囲気は醤油顔っぽく、髪の色は黒だった。
この国の歴史は、他の時代には違いがあるというのに、初代王の時代において最初の頃だけはかつての故国で習った歴史とよく似ている。
そして、結果としては民には浸透しなかったが、男女平等を謳い。当時は8歳で小さな大人として扱われてしまう子供の件で国に対して、子供という概念と、無垢な存在である子供を保護する必要性を説き。男女が共に学べる教育機関を作った事。
身分に囚われず、官僚に有能であるのなら貴族だけでなく平民も取り入れた事。
当時の人達には、あまりに突飛過ぎて受け入れられなかった部分もあるけれど、やりたかった事は分かる。
これは穿った見方だろうか。
けれど「私」という例がある。私の前世での記憶が、ただの私の妄想でないというのなら。それもまた、決して有り得ないわけではないと信じたい。信じていたい。
「……姫様、本日はこれで終わりにしましょう」
私が何も言わない事に呆れたのか、先生が授業の終了を言い渡す。
「せんせい?」
「今、ご自分がどのような顔をされているかお分かりですか」
「いいえ」
「鏡を一度ご覧になってください。泣きそうですぞ」
頬に手を当てるが、泣きそうになっているというだけでまだ泣いているとは言われていなかった事に気付いて手を下ろす。
泣きそうだったのか、私は。安堵で? 嬉しさで? 不安で?
どれもが合っていて、どれもが違う気がした。
落ち着いた事に気付いたのか、先生の目がゆうるりと三日月を描いた。
「時に、姫様。ゴカイレンジャーというものはご存知ですか?」
「はい」
子供、更に限定するなら幼児の間で大人気の所謂戦隊モノだ。
リーダーで熱血なレッド、二枚目で頭脳明晰なブルー、ちょっと太めで黄色い食べ物が好きなイエロー、紅一点で見目の綺麗なピンク、他のメンバーに美味しい場面を取られてしまい影が薄くなりがちなグリーンからなる5人がチームを組み、悪である魔物、ひいてはその親玉である魔王に立ち向かうストーリーだったはず。
彼等がピンチになると、時折仲間としてクールでニヒルなブラックや、純粋無垢なホワイトが助けに入っている。
1ページごとに誰かしらが「誤解だ!」と叫んでいて、それはレッドのご飯をイエローが食べてしまったというくすりと笑ってしまう微笑ましい疑惑から、奥さんに不貞を疑われた旦那さんが刃物を掴んだ奥さんを目の前に叫んでいたりとシュールな場面まで色々とある。それがゴカイレンジャーの名前の由来らしい。
全30巻からなる超大作だ。
侯爵家にもあり、以前読んだ時はどこの世界でも戦隊モノを作り出す人がいるのだと驚いた覚えがある。
ちなみにこのゴカイレンジャーだが、私達の親世代が子供であった時からあり、今も幅広い世代に親しまれている。
「私の孫もレッドが好きで、会う度に魔物役をやらされていましてね。年寄りには少しきついです」
首を竦める先生に、頬が緩む。
何処の世界でも、戦隊モノに憧れる子供の取る行動には変わりがないみたいだ。
だけど、笑っていられたのも次の瞬間までだった。
「このゴカイレンジャーの本の著者が、初代王だと伝えられています」
先生を凝視するが、当の本人は笑ったままだった。
「後の世の人にまで好かれる物語を書く等、様々な分野で初代王は造詣が深かった事が分かる話です」
いやあ、半端ないわ、初代王。