魔法と疑問
私ことシャーロット・イーズデイルには、何度も戦りあってきて、その度に負け続ける相手がいる。彼女は歴戦の猛者である。
と、なんらかの回想っぽくはじめてはみたが、実際に"彼女"は存在した。
彼女は強い。少なくとも、私では勝てない相手だ。全く歯が立たない。
何故って、彼女は。
「姫様、また淑女らしからぬ行動をされていらっしゃるのですね」
「ひぅっ!」
自室のソファで全身の力を抜いていた時に声を掛けられ、思わず肩が跳ねた。
気が付けば、目の前には白い布が見えていた。見えていなかった。一体いつの間にここに来たんだ。
慌てて取り繕うとするが、遅かった。
それを目聡く見つけたのだろう、彼女の声に重さが増した。
「淑女たるもの、いつどのような所であろうとも所作の美しさを崩す事まかりなりません。その場だけの取り繕い、見せ掛けだけの所作なぞ、容易く見抜かれます」
「わかっているわ」
「恐れながら、姫様はお分かりにはなっていらっしゃらないご様子」
侍女の後ろに立っているブリジットをちらりと見れば、申し訳なさそうに頭を下げられた。……うん、そうだよね。彼女の威力にはまだ君も太刀打ちできないね。
彼女は、私がこの世に生を受けてからの付き合いだ。
おしめを取られないように奮闘する私から、彼女がおしめを剥ぎ取っていた頃からの付き合いである。ふてぶてしい面構えで戦利品を掲げていた彼女の姿は、この先一生忘れられないだろう。悲痛に満ちた私の負け犬っぷりは忘れて欲しいが。
それだけの付き合いのある相手なので、上目遣いのようなあざといポーズも、ごまかしも彼女には通用しない。
いやあ、私の事をよく見ていらっしゃるようで。
恐る恐る見上げれば、少々恰幅のよい体型に御仕着を来た女性が1人。
ブラウンゴールドの髪をひっつめて凛々しく佇む様は、彼の有名なロッテンマイヤーさんのようだ。私の印象なだけかもしれないが。
彼女は私の乳母である。
侯爵家ではかなりの数の使用人を雇っている。
イーズデイルの傍系に当たる人が最も多いらしいが、他にマリアやリザといった、それ以外の伝手を頼ってやって来た貴族の子女である行儀見習いも抱えている。
上級使用人である家令からはじまり、母親の話し相手専門から、コックやお菓子職人。下級使用人である荷物運び担当や、道化師まで種類は様々。
乳母は上級使用人の専門職である。私にきちんと喋らせて、規則正しい生活を送らせて、行儀振る舞いを厳しくするのが彼女の仕事だ。
だから厳しいのは分かるのだが、この年になってまでこうも叱られると……私の中のうん十年の記憶が泣いている気がするのは気のせいだろうか。
私は肩を竦める。彼女に言わせれば、この所作も淑女らしからぬものだとされてしまうが。
だが言われる前にあからさまに話題を変える。
「それで、いったいなんのようかしら?」
乳母としても私があからさまに話題を変えたのは分かっていたはずだ。それでも話にのったということは急ぎの用件だったのだろう。
「姫様、魔法担当の家庭教師がいらっしゃいました」
「そう、いますぐいくわ」
ブリジットを従えて部屋を出ようとして後ろを振り返れば、彼女は綺麗な所作で礼をしていた。……悪い人ではない、間違った事も言っていない。でも彼女を苦手としてしまうのは、悪いが許して欲しい。
*
世界には、不思議な力が満ちている。
破壊する力、人の心に触れる力、自然と関わる力。未だ全てを解明出来ていない、不思議で不自然なモノ。それを人はひとくくりに≪魔法≫と呼んだ。
魔法師。それは魔法を扱うことが出来る、世界に選ばれた存在を示す名である。
*
家庭教師の説明を聞きながら、相槌を打つ。
些か相手の方は怯えている気がしたが、気のせいだろうそうだろう。この前の父親がやっていた事なんて、私は覚えておりませんよ。
要は常人には不可能な手法や結果を実現するなんか不思議なもの、イコール魔法だというわけだ。定義からして厳密ではない。
それはもし仮にだが、手品をそれっぽく見せたらそれも魔法の一部となるという事だろうか。科学も魔法にされてしまうのかもしれない。科学という概念がなければそうなのだろう。
どこからどこまでを魔法で括っていいやらの判別がつかなかった。
今現在は魔法師同盟の総本山が体系を作っているらしいけれど、元々の定義が曖昧なものにすべてを当てはめるのは難しいのではないだろうか。
これでよくやっていけるなとは思うが、そもそも科学を知らなければ「そういうもの」だと認識をするだけだ。
私としても故国で魔法というものはなく、科学に囲まれて生活をしていたからこそ魔法というものに懐疑的で、原理が気にはなっているが、そもそも科学を知らなければこんなことを考えつきもしなかっただろう。
テレビは「そういうもの」だと思っていたし、携帯もスマホもかつて日常で使っていた機器類も「そういうもの」だと認識をしていた。
一々機械のインターフェースや動力とか、そういった仕組みなど意識もしなかった。それでも使えていたから、問題はなかった。少なくとも私はそうだった。
そういえば、『充分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かない』と定義付けたのはあるSF作家だったか。
確かに私がもしテレビを知らない時代からあの故郷に行ったとしたら、魔法に見えてしまうのだろう。
テレパシーが使えなくとも携帯さえあれば連絡は取れた。
仕組みを知らなくても使えるという点では、科学も魔法もその点では似ているのかもしれない。……いや、似ているのか? そもそも、魔法とは、科学とは、その違いは何だ?
しばらく考えても、こんがらがってきて今ここでは解決しそうにないので置いておく。
そもそもここには魔法はあっても科学はないので比較の仕様がないのだ。比較対象が私の記憶の中の科学では、正確に覚えているかも怪しい。
思考を切り替えて、ハーキュリーズを見上げた。
「しつもんです、まほうしとはまほうをあつかえるひとぜんいんがよばれるのですか?」
「いいえお嬢様。魔法師とは魔法師の総本山である『黎明の塔』で試験を受かり、そこで初めて『魔法師』と認められます。それ以外の方は魔法が扱えたとしても、魔法師とは呼ばれません」
なんと、魔法師というのは資格らしい。
確かに一定の基準で定められていた方が分かりやすい。
「まほうしとみとめられたばあい、どのようなりてんがあるのですか?」
「魔法師と認められれば、魔法師として公の職業に就けます。例えば、私の属する魔法師団、各国の魔法学院の講師がそれに当たります。更に黎明の塔においてある一定の等級として認められれば、魔法師団の更に上である宮廷魔法師へと就けます」
なるほど。魔法師団等は資格任用制だというわけか。
しかし、定義の大雑把さとは裏腹に、資格や等級に関してはきっちりしているのだね魔法師。
「せんせい」
与えられる情報を脳裏で復唱し情報を整理していきながら、質問を続けていく。
「まほうとは、だれにでもあつかえるのでしょうか?」
先日、王女様にもした同じ質問を繰り返す。
あの時、王女様はまったく想像もしていなかった事を言われたといった表情を浮かべていた。そして面白そうに告げられた言葉は。
「お嬢様、魔法は我々貴族にしか扱えません」
「なら、たみは?」
「民には扱えません。魔法は王族、そして貴族のみに授けられたものです」
――……そうね、資格というのなら王侯貴族である事かな。民には使えないらしいから。
ハーキュリーズの言葉は、王女様のとほぼ変わりはなかった。
魔法は、王侯貴族だけのモノ。
「それはどこのくにでもおなじなのですか?」
「はい」
「じっさいに、たみがつかおうとしたことはないのですか?」
「民には禁じられています」
「なぜですか?」
「魔法師同盟がそのように禁じております」
「そのりゆうは? なにかしらのげんいんがあってきんじられたといったことは、まなばないのですか?」
「そもそも使えない者に教える理由はありません」
王女様の言葉を借りるのなら、魔法を扱う唯一の条件が王侯貴族である事らしい。それは血筋か条件なのか、もしくは地位か。だが地位では変動する可能性がある。とすれば、血筋なのだろうか。
例えば魔力、もしくは魔法を使うための力がある人にしか魔法は使えない為に、魔力のない民は使えないというなら分かる。ただしその場合は、力の有無が分かる計測器か何かがないと納得は出来ないが。
だが貴族には使えるが、民には使えないという根拠が分からない。目の前で実際にやって見せてもらわなくては納得が出来ない。
民には禁じられているらしいが、そもそも使えないのなら教えても構わないのではないか。どのような事情で禁止されているか分からない以上は、それだけでは民が使えないという証明にはならない。それとも、教えると何か不都合でもあるのだろうか。
私が魔法を覚えたら誰かに使ってみてもらいたいが、それで何か起こっても責任がもてないので無理か。
「……そう」
ハーキュリーズの段々と訝しげになっていくのを見ながら、これ以上の質問は難しいようだと気付く。
流石に普通の5歳児はこんなことを聞かないだろう。というか聞いてきたら怖い。
話題を変えるべく、意図的に、私は表情を子供らしく笑みを浮かべた。私は今女優女優……思い込みって大事。
参考として記憶の奥底から、かつて故郷の近所にいたおチビの行動を思い出す。……スーパーでお菓子欲しいのーとかダダをこねてひっくり返っていた子とそれを引き摺っていく母親、とか参考にならない上に無理だからそれ。止めてくれ、羞恥心で死ねる。
「わかりました。でしたら、わたくしははやくまほうをつかいたいです。はやくまほうをおしえてください!」
本日の私の衣服は、パステルブルーのレースがそこかしこに付けられたドレスである。もうこれが可愛いのだよ本当に。
そこに笑みをくっつけてみせれば、大抵の大人は落ちるはずだ。実際に私の周りの大人は落ちたぞ。
「はやくはやく!」
「かしこまりました」
訝しげな表情から苦笑へと変わったハーキュリーズを見て、ようやくごまかしが成功した事を知った。