魔法の使い方5
若干どころかかなり内心引いていたところを王子様に床に下ろされたので、思わず見上げた。
上から見ても横から見ても下から見ても斜めから見ても美形は美形のようだ。そもそもどの角度から見ても美形でないのなら、美形とは呼ばれないのだろうが。
まじまじと見ているのは不躾に当たると分かってはいるのだが、それでも美しいものを眺めていたいというのは大概の人の心理だ。
贔屓目を多分に含んでいて客観的とはいえないが、シャーロットの両親も人目を惹く所謂美男子と美女だ。
ただこの王子様はなんというかそれだけではなく、一瞬見ただけならば中性的な美しさを持っているのだが、実際にしっかり見れば性別不明とまではいえずさりとて男性美と称せる程に男性的とまではいえず。少年から青年へと移り変わる際の刹那的な危うさや儚さに目を引かれるのだろうか。
集団の中にいても彼の存在感は抜群で、ぱっと見で誰だか判別がつくのだろう……魔性の男? みたいな。黙っていればずっと見ていたいほどに美人だ、それだけは間違いない。
そのまま見上げていると、パキンと小さな音を立てたと思えばなんと恐ろしい事に王子様の頬が裂けた。文字通り亀裂が入ったのだ。
中身の液体は噴出してこなかったので見間違いかと目を瞬かせるが、残念ながらやっぱり裂けていた。はかったことはないが、少なくても前世よりはいい私の視力のよさを舐めてはいけない。
王子様の頬を凝視する私を余所に、それは次第に広がっていき顔全体へと広がっていく。軽くホラーでしょこれ!? トラウマになるっていやほんとなにこれ怖い怖いってば!
顔から始まった亀裂は即座に全身へと広がっていく。次の瞬間、砕けたガラスが飛び散り始めたような甲高い音を立てたと同時に、王子様が砕け散った。
もう一度いう。
砕けた。
――誰が?
王子様が。
窓越しに入る光が砕け散った欠片に反射して輝いていた。めっちゃキラキラしてて、今までとは別の意味で目に痛いくらい殺人的に綺麗よ元王子様。
本当に砕けたのかあの人。……え。まじで?
混乱している中、笑い声が聞こえてきた。
それは先程砕けた王子様の口から聞こえてきた女性の声と同質のものだった。
「ごめん、驚かせたみたいね」
光が反射している向こう側から聞こえてきたのは、私の周りの女性陣にはない口調だった。
声は耳に入ってくるものの、頭の中は正直混乱中でそれどころではなかった。よってほとんどが右から左に流れている。
割れた割れた割れた……割れた。異世界の人間って割れるのだろうか。私もある日割れるのだろうか。割れた先には新しい王子様が出てくるのか。いやいやいや、脱皮でもあるまいし、まさかね。
というか、王子様が割れた事に対して私は何らかの罪に問われるのだろうか。若干、いや価値観の違う別世界の人で穏便に距離を起きたいとは思っていたが、殺したいわけではなかった。だが目の前にいて王子様が砕けたことは皆に見られている。これは私が第一容疑者確定か。
混乱している間にも、相変わらず目の前は輝きながら光が降り注いでいる。
ただ、よく見れば輝きは先程よりは減ってきていて、その奥に人影が見えた。
年齢はブリジットや王子様等とそう変わらなそうな外見だ。長いセピア色の髪を飾り紐だけで結わえただけの華美ではない髪型に、ナチュラルメイク。簡素に見える服装だが、一見そうと見えるだけであって良い生地を使っていた。使われている細やかなデザインを施されたボタンも、あれ1つに飾りを施すのにどれだけの金が掛かるやら。
伊達に5年間を上級貴族の箱入り娘としてちやほやされて過ごしてきたわけではない。生まれた時から金目の物ばかりに囲まれてそれらを見てきたおかげで、多少は物を見る目が肥えていた。
市井の人を装っている少女をぼんやりと見上げる。
「大丈夫?」
こちらを見下ろす眼差しは柔らかかった。
シナモン色の瞳はどことなく他の人よりも輝いているような印象を受ける。
王子様が割れた場所から出てきた少女は、私の知っている誰かに似ていた。誰だろうかと記憶を探ったところで、数日前にスポットライトには当たっていなかったが頭を抱えて苦悩していた人を思い出す。……あ、この人、弟王子様に顔が似ているんだ。
思い出してからの私の行動は早かった。
両手でドレスのスカートの裾を摘み、軽くスカートを持ち上げて。右足を斜め後ろの内側に引き、左足の膝を深く曲げ。背筋は伸ばしたまま腰を曲げて頭を深々と下げた。
今回は普段以上に丁寧なやり方だが、挨拶の一種である。
「はじめまして、シャーロット・アスティアリア・エリザベス・リュー・レミュアル・イーズデイル・コールフィールド・ドゥ・アルフォードともうします。おあいできてこうえいです、アーティーおうじょでんか」
呪文のような、中二病のような名前だが、これが私のフルネームだ。
アーシュニウルの貴族は皆、概ね長ったらしい名前を持っている。長ければ大概は貴族であり、一発で貴族だか分かるのである意味分かりやすくもある。
一応これを名乗ると、自分の出身、一族等が相手に分かるようになっているのだ。
シャーロット・アスティアリアが名前で、エリザベスの部分は先祖に因む名前だ。私の場合は、祖先である初代アルフォード侯爵の娘の名をそのままつけられている。彼女は恋に生き、激しく人を愛する人だったらしい。……ひいては私も愛に生きろという両親からのメッセージなのだろうか。
リューは母方の一族である公爵家、ひいてはその祖先にあたる初代王を指す。
レミュアルが一族伝来の名前になる。イーズデイルは基本となる苗字であり、コールフィールドは母方の苗字だ。
貴族の男児はドォ、女児はドゥに親の所領の地名がつく。私は女になるのでドゥ・アルフォードとなる。
この名前だけで、私が王家の血筋を色濃く汲んでいる公爵家出身の姫である母親と、貴族としては最高位となる侯爵家である父親の間に生まれた子女だと分かるようになっているのである。とはいえいつも貴族間でフルネームを名乗りあっていたら日が暮れてしまうので、普段は省略している。私の場合は、シャーロット・イーズデイルといった具合にだ。
正直、最初の頃はフルネームを覚えきれなくて、よく名乗っている最中に舌を噛んでいたりした。一体これはどこの早口言葉だ。全部噛まずに言えるようになったのも最近の事であり、言い切れた事に一種感動を覚えたが、今はそれどころではなかった。
――殿下。女性的。この場合は王子様だろう、彼を謀る行いで、けれど母親が断罪しない、いや出来ない相手。
腐っても公爵家の姫、腐っても侯爵夫人である母親が手出し出来ない相手ならば自然と限られてくる。
王室の系図を脳裏に思い浮かべる。
この国は宗教上の理由で側室は許されていないので、一夫一妻となる。ただ、側室はいなくても王は愛人を囲んでいた。しかも国公認。ちゃんと彼女達の生活費等は国から支払われていたりする。
そして、現王には愛人が複数存在していた。某侯爵夫人であったり、某子爵夫人であったり、某伯爵夫人であったり、某伯爵令嬢であったり。人妻もいるわけである、というかそちらの方が多い。正直言って個人的な倫理観では理解出来ない。貴族社会怖っ。
確か愛人のうちの1人である某子爵夫人が生んだ女児が、王子様と弟王子様の間にいたはず。とはいえ愛人達が生んだ子は皆、庶子と呼ばれていて、正式な王族の一員ではない。けれど王の子である為に便宜上「殿下」や「王女様」と呼ばれている。
アーティー殿下。母君からは髪や瞳の色を、父君である王からは容貌を受け継いだ少女だと聞いている。庶子の中で最も年齢が高く、王からの彼女の母親への寵愛はほとんど薄れていてあまりいい立場とはいえず、けれどある事情により粗雑に扱うにも少々問題のある複雑な立場の王女だったはずだ。
まあ、彼女の正体は、あくまで私の予想が合っていればだけれど。
確立は半々かと考えていたが、目の前の少女が驚いた表情を浮かべた事で当たっていたと確信を持てた。
「こちらこそ会えて嬉しいわ、シャーロット嬢」
流石、王女様の行うカーテシーは見事としか言えなかった。ぎこちないとマナーの講師に称された私の行うカーテシーとは違い、流れるような仕草だった。伊達に王宮の住人ではないということか。
「でもよく分かったわね。初対面の人は大体気付かない人の方が多いんだけど」
こういった恰好をしているから、と少女は肩を竦めていた。
けれど次の瞬間には、しゃがみ込んだ後に面白い玩具を見つけたかのような眼差しでこちらを見てきた。なんというか、親しみ易い王女様である。思っている事が顔に出すぎだ。
「という事は、魔法の事も気付いているの? 驚かそうと頑張ってみたんだけど」
「……まほう、ですか?」
分かりませんとばかりに小首を傾げてみた。
この仕草、シャーロットがやると可愛いのだこれが。若干の上目遣いがポイントである。あざといポーズで何が悪い。物事がスムーズにいくならその程度やってやるさ。
……それにしても、驚かそうのくだりが若干嫌な予感がするのは気のせいだろうか。
私の言葉に、目の前の王女様の瞳の輝きが変わった。
瞳は弧を描き、頬が興奮でか僅かに染まる。その幼い顔を見ていると、まだこの子は子供なんだという事にふと気付かされた。確かこの王女様、今年で13歳のはずだ。故郷でいうならまだ中学生。こちらの国はわりと大人びた顔つきの人が多く、私の視線よりも高いからそれなりに年齢がいっていると錯覚してしまいそうになるが、まだ大人の庇護が必要な時期だ。そう思うと、まあ多少の悪戯は大目に見てやろうという広い心となる。だがそれでも嫌な予感が消えないのは果たして何なのだろうか。
そして、にっこりと笑って、王女様は暴露してくださりやがった。
「先程の王太子殿下は、そう見えるようにあたしが魔法でやっていたの。アルフォード夫人には気付かれたけど、貴方には気づかれていなかったみたいね」
「……っお」
――お前か犯人は!
そこまで言いそうになって慌てて口を閉じる。
ふざけるなと正直に言えば申し上げたい。だがケンカ売るのよくない。怒るの駄目。相手はまだ子供子供。広い心はどこの大海原に旅立ったんだ私よ。
不思議そうに首を傾げる王女様に、微笑を向けた。多少頬辺りが引き攣っていたかもしれないが。
「さきほどの、おうじさまがくだけてきらきらひかっていたものも、おうじょさまのまほうですか?」
「うん、そう。綺麗じゃなかった?」
あくまで先程のものは王女様の好意だったようだ。
大変こちらの心臓に悪かったが、好意であると言われては……怒るに怒れない。
頷いた王女様は、私の反応が芳しくなかった為かしばし考え込む。そこからまた何か閃いたのか、途端にその表情が明るくなった。
「それじゃああたしが今の魔法教えてあげるわ」
「え」
「……嫌?」
目に見えて気落ちした様子の王女様に、いいえと否定した。
「おしえてくださることはまことにこうえいにぞんじます。……ですが、しかくといったものはひつようではないのでしょうか?」
「資格?」
「たとえばまりょくといったものですとか、まほうをあつかうことにたいしてのだいしょうといったものです」
使えないのに教えてもらっても困る。父親もそうだったが、そもそもどうして皆が私が魔法を扱えると思ったのかの根拠が分からなかった。
故国でのファンタジー小説やゲーム等では、魔法といえば魔力があることが前提だった。資質のある存在が、魔力を用いて常人には不可能な手法や結果を実現する神秘的な力。
裏を返せば、魔力がなければそもそも魔法は使えない。
ゲームのラスボス最終決戦で魔法使いの魔力が尽きて回復魔法が使えず、しかもそこにラスボスの一撃が入ってパーティが全滅した経験を持つ私から言わせてもらえば魔法のイメージとはそんなものである。あの時はコントローラーを投げ捨てたな、そういえば。いや、あれは僧侶だったか。いやいや、そこはどちらでもいいんだけどね。
だが私の言葉に、王女様はまるで珍獣を見つけたかのような楽しげな笑みを浮かべた。
「マリョク? ダイショウ? ずいぶんと面白い事を考え付くのね、貴方。そんな事なんて考えた事もなかった。だって使えるのが当たり前だし。……そうね、資格というのなら王侯貴族である事かな。民には使えないらしいから」
さらりと当たり前のように告げられた事実に、間抜けにも口をあけたまま王女様を見上げてしまう。
とりあえず、魔法というものは私の想像とはまったく違うものだったようだ。
後日、王女様は一体何が彼女の心の琴線に触れたのかは分からないが、よくうちの邸宅に来るようになった。何故だ。
そして、とんでもない方を連れて来た影の薄かったハーキュリーズをつるし上げる父親を満面の笑みで眺める私がいた事をここに記しておく。