ガール・ミーツ・ボーイ?
その時。望まない騒動のファンファーレが高らかに鳴り響いた――気がした。
*
金髪の美青年に抱き上げられて、頬にキスをされた。
「おはよう、可愛い僕のお姫様」
「おはようございます、おとうさま」
昔だったら思わず、しょっぺー、と身悶えてしまいそうな行動も、今となってはお手の物。
パブロフの犬のように、頬にキスをされたら反射的にしてしまうようになった。
「おはよう、綺麗な僕の奥さん」
「おはようございます、貴方」
目のやり場に困る両親のラブラブっぷりも、今では気にしないでいられるようになった。
食事中も、無駄にいちゃいちゃしている両親を視界に入れないように食事をする。
ピンクい空気にならないだけマシだと思うしかない。
これももう慣れだ。
「そういえばシャル、君はもう教本の一章を終わらしたのだってね? 先生が驚いていらしたよ」
「はい、おとうさま。シャルはがんばりました」
「礼儀作法の先生も、貴方の習得する早さに驚いていらしたわ。頑張っているのね、凄いわシャル」
「はい、おかあさま。ありがとうございます」
普通、どれだけ頑張ったとしても、たかだか5歳児ではそこまで理解が出来るはずもない。実際、私を担当する勉強とマナーの講師は、私のことを天才だの神童だのと称しているというし。
だがうちの両親は天然なのか大物なのか、それとも私が初子だから一般的な子供の成長速度を知らないせいなのか、すべてを凄いの一言で終わらせてしまっていた。
異端として見られるよりもそちらの方がありがたいので、私としては2人にはそのままでいて欲しい。
大人は、私のことを賢いと褒める。
親戚や侯爵家で働いている侍女は、私のことを可愛い、同世代の子供とは違う、と褒める。
そりゃそうよ。それなりに賢いのも、可愛いのも、そう見えるように見せているんだから決まっているじゃない。
本来の5歳児には出来ないだろうけど、私には出来る。
何故って、私ことシャーロットは転生してきたのだから。
*
シャーロットとなる前の私は、異世界の日本という国にいた。
世界の中でも高水準の教育国家の国民だった私は、それなりに教育を受けてきていた。
その下地があるから、今は天才だと言われているけど、将来はただの凡人以下なおばさんになるだろう。異世界にきても私の能力値は今が限界だ。悲しいがこれ以上、上にはいけそうにもない。
だから、シャーロットが賢く見えるのはそれらしい言動をするからだし、可愛く見えるのもそう見られたいと研究した成果なのだから、ある意味でそう見えるのは当然だ。
小賢しいというなかれ。生きるための賢い知恵といってくれ。
私が子供らしく生きていくためには、私の今いる環境は少しばかり、いやかなり生き辛い環境だった。
私の地位は、侯爵家令嬢。
そして侯爵家唯一の子供だ。
要は現段階では侯爵家の次期当主となる。とはいえ私のいる国は男尊女卑が激しいので、私が当主になることはないだろう。けれど、両親の間に弟が生まれない限り、私の伴侶が次の当主になってしまうのだ。
貴族というのは怖い。
こんな子供だろうと、私をこの位置から蹴り落とそうと虎視眈眈と狙ってくる親戚のおっさんはいるわ、私の伴侶の座に納まろうと婚約者としてどうですかと自分の子供を売ろうとするおっさんはいるわで、ただの子供だったらすぐに足元を掬われかねない環境にあった。
というか、私ショタコンじゃないので子供の婚約者はちょっと……あ、でも私も子供か。いやでもショタコンじゃないのでお子様はお呼びでないな。
だからといって、年上のお兄さんでも、向こうが嬉々としてやってきたならロリコンの可能性があるので、それも困る。
いっそのこと、逆紫の上をやってみるのもいいかもしれない。好みの美少年を侍らして、ってそれは逆ハーレムだって私。
「シャル、聞いているかい?」
「……ごめんなさい、おとうさま。すこしぼうっとしていました」
父親に声を掛けられていたことに気付かず、素直に謝る。
まさか逆紫の上とか逆ハーレム計画を妄想していたとは口が裂けても言えない。
父親は困った子だな、でも可愛くて仕方がない、という顔をしてこちらを見ていた。愛情たっぷりなその視線にむしょうに全身が痒くなる。
両親は政略結婚だったが、互いに一目会った瞬間に恋に落ちたらしい。というのは両親の友人談である。
嘘っぽいが本当の話らしい。なんだかんだあったらしい両親のラブラブ物語は未だに両親の友人達の中では時折話題に上り、わざわざ2人の子供である私に教えてくれる。
まあ、そんな2人の子供だからか、普通の貴族にありがちな余所余所しい寒々しい会話というのはうちにはない。私は両親に大切にされている。愛されている。そこは誇っていいところなのだろう。
「シャル、君は同年代の子供と比べてとても賢い。僕は君を誇りに思っている。だけど、シャル。君は友達が欲しくないかい?」
キタこれ婚約者フラグか!
お友達と称した男どもを私に紹介して、ゆくゆくはその中の1人を婚約者に仕立て上げるということだな、そうだな父よ。
私は父親の申し出を考えるフリをして、実際のところ拒否する余地もないのだろうが、子供らしく目を輝かせた。
「はい、シャルはおともだちがほしいです!」
嘘だ。わめくか泣くかしか能のないお子様なんて友達にいらん。
だが馬鹿正直に父親には言えないので、にっこり笑って本音は隠した。
友達のいない子供ならこう言うしかないだろう。
シャーロットには友達というものがいない。
そりゃあ年上の守役はいるにはいるけれど、友達と言い切るには少し違う気がする。
子供らしくなく、私の守役という立場に嫉妬して意地悪をした子供に逆襲と称して水をぶっ掛けて悪役よろしく高笑いをするヤツを、友人という可愛らしい枠に収めたくはない気がする。
答えた私を見た父親は、親馬鹿よろしく脂下がった笑みを浮かべた。
*
奥さんに似て器量良しで僕に似て賢いシャルなら友達がたくさん出来るよ、と言い残した父親に置いていかれた私は、残された王城の大きなホールのある部屋で思わず呆然としてしまった。
目の前には、たくさんの貴族の女の子。
年齢は私と同じ10代に満たない子から、10代後半の女性まで。
皆が皆、目一杯派手に着飾っていて大変可愛らしい。しかし一部のたわわなメロンはあれはいったいなんだ、今にも胸元から零れ落ちそうではないか。けしからん。
当の私も朝から侍女に起こされて大げさなほどに着飾られたのだが、あまり屋敷を出た事のなかった箱入り娘としてはこれが普通なんだろうと思っていた、のだけど。
確かに、確かに私は友達が欲しいと言った。だが、父よ。ここは友達作るところじゃないよね!? どう見ても王子の婚約者を決めるための舞踏会ですよね!?
心で叫ぶが、悲しいかな父からの返答は当然なかった。
内心は慌てていても、理性では冷静に次の行動を決めていた。よし、飯食って帰ろう。
確か王子のご年齢は14歳だと聞く。
いくらなんでも5歳児を婚約者には据えないだろう。ロリコンじゃあるまいし。
だとしたら、私は適度に時間を潰しながら腹を満たして、これからのためにそこそこの地位の女性に顔を売って、父には「おともだちができました」と言っておけばいいだろう。うん、なんかこの案が一番良いする気がする。
そうと決まればご飯だよご飯。一番の権力者のいるところなんだし、ご飯も最高級のいい素材を使って一流の料理人によって作られているのだろうから、美味しいに決まっている。高級そうなお皿の上にあるのは、サンドイッチのようなものからデザートまで。あそこの肉団子も上手そうだ。匂いもしてきて、まずい涎が。と、動いたところで事件は起きた。
ビシャッ、と何か飲み物をぶっ掛けたような水音と、嘲り笑う少女達の声。
「あら、ごめんあそばせ? 扱けて零してしまいましたわ」
あからさまに嘘だと分かるそれに、ワインをドレスに掛けられてしまった少女はなにも答えられない様子だった。
少女の見た目は、この国の人でいうと大体10代半ば。ドレスは純白で、尚更掛けられた紫のワインの色が目立っていた。ちなみに胸は他の子に違わず特大のメロンが詰まっている。青い瞳は今にも泣きそうに潤んでいた。
そんな様子の少女に対して、引っ掛けた方の少女が率いる3人の女性達はくすくす笑うのみ。
周りにいる女性達も、自分達が係わり合いになりたくないためか遠目に見ているのみ。
怖っ。女ってこわーい! いやまあ私もそうだけどさ。
仕方がないので、溜息を一つ零してから、騒動の渦中へと足を動かした。
私が近寄っているのがわかったのか、辺りにいる少女達が小さくざわめき始めた。あの小さな姫は誰だとか無謀だとか、分かっていますよっての。
少女達の場所にまでたどり着く。
前を見れば、くすくすと嘲笑っている女性達が目に入った。なんというか、目に痛いほどにカラフルだ。中央に黄色のドレスの女性、そこから右には真っ赤なドレスの女性、左には青いドレスの女性。……信号? そう信号カラーだ。懐かしいが笑えてくるのは何故だろう。
信号カラーと対峙している、泣きそうになっている少女のドレスを握り締めている手に触れる。見上げれば、唐突に出てきた私に驚いたのか今にも泣きそうだった青い瞳が驚きで見開かれていた。
うん。女の子は泣くよりもそっちの方が私は好きだ。
にっこりと、私は両親がメロメロになっている「僕の可愛らしい姫の天使の笑み(父談)」を浮かべた。
「おねえさま、ドレスのよごれをおとしてもらいましょう?」
「あ、あなたは……?」
「しつれいいたしました。わたくしは、アルフォードこうしゃくけのシャーロットともうします」
簡略した礼だが、誰も5歳児に完璧さを求めないだろう。というか求めないでくれ。
私の言葉に、少女だけでなく信号カラーや周りにいた女性達まで驚いた表情を浮かべた。あの侯爵家の、とか、あの天才児、とか。というかお父様よ、私を見て青ざめた令嬢がいるのですが、貴方は普段何をしておいでなのでしょうか。
「さあ、おねえさま。はやくいきましょう?」
「え、あっ、はい」
驚いた周囲を余所に、私は少女の手を取って、端にまで連れて行く。
その場にいた侍女に少女のことを託して、代えのドレスは白を止めた方がいいだろうと一言付け加えた。先程と同じ事がないとは言い切れない。
さてこれから人々の視線を嫌なほど浴びなければいけないのか憂鬱な気分で振り向けば、意外にもその量は少なかった。……ああ、王子様いらしていたのですか。皆様王子様に群がっているのですね。
自分の自意識過剰っぷりに恥ずかしくなり顔を赤くしていると、横から楽しげに笑う男の声がした。
「凄いね、君」
「なにがでしょう?」
振り返った先にいたのは、べらぼうな美青年だった。
漆黒の髪の毛はさらさらで、思わず触ってみたくなるような長い髪は頭上でひとくくりにされていた。私の乏しい語彙ごときでは表現できるはずもない、誰もが見とれてしまいそうなべらぼうな美貌を持った青年だ。周りにいる少女達なんてお呼びでない、と言われてもこの人だったらと納得してしまいそうな程に麗しい。
いったいこの美青年は何なんだろうか。騎士となるには若すぎるだろうし、まさか彼も婚約者候補とか? 王子は所謂男にしかくんずほぐれつしたくないとかいう薔薇的アレなんだろうか。
思わず自分の想像に慄いていると、美青年は何を勘違いしたのか苦笑を浮かべた。
「ごめんね。馬鹿にしたわけではないんだよ」
「はあ」
「ところで王子が来たらしいけれど、シャーロット嬢、君は行かなくていいのかい?」
「はい」
特に行く意義を感じないし。
私は普通に頷いたが、それに驚いたのは目の前の青年だった。
「王子っていえば、君くらいの年だと憧れるものなんじゃないのか?」
まあそうでしょうね。
侯爵家にいる侍女や母親を見ていれば、「王子様」という生物に一際思い入れがあるのはよく分かる。凄いよ、王子様には髭が生えない、とかそれはアイドルはトイレに行かないと同じ発想だよね、と若干呆れたのも昔の話。
女性というものはいつまでも夢見る生物である。男性というものがいつまでもロマンチストな生物であるのと同様に。それは世界が違っても、時代が違っても、人の本質という部分は変わらないものなんだろう。
私も世の中の一般の女性同様、王子様に憧れないわけではない。
だけどさ、私の「王子様」のイメージって、絵本に出てくるかぼちゃパンツを履いて白馬に乗って歯をきらめかせて微笑っている人なわけ。貧相な想像力しかなくてごめんなさい。
でもって、そんな王子様とはお近づきになりたいはずもなく、遠目から見て笑って転げまわりたいわけである。
それに、正妃を狙う貴族の令嬢方の目が物凄く怖いので近寄りたくはない。
だがそんなことを馬鹿正直に言えるはずもなく、差し当たりのない会話を試みる。
「あこがれます。でもきょうは、おうじさまのおよめさまをきめるためのぶとうかいだから、わたくしはちかよってはいけないとおもうのです」
「何故?」
「わたくしは、おきさきさまにはふさわしくありません」
「……どうして、そう思うんだ?」
いったいどうしてこの青年とこんな会話を繰り広げているのだろうかという疑問はあるが、聞かれた以上答えねばなるまい。
「おうさまは、このくにのたみをせおっています。おうさまがみぎをむくかひだりをむくかで、たみはわらうことにもなくことにもなります」
この国は、絶対王政の形でもって政治をとっている。
君主が統治の全権能を持ち、自由に権力を行使する政体。
憲法を最高法規として据え置き、その上で統治が行われてきた国で育ってきた身としては、時折考えられないような政策をしているときもあるけれど、それがこの国の在り方だ。
「おきさきさまは、そのおうさまをささえるのです。なみたいていのかくごではできません」
場合によっては、王亡き後の統治をすることにもなるのだろう。次期王位継承者、即ち自分の子供がある程度育つまでは。
そこはかつての世界の過去の歴史からのものだけど、そう遠くはない考えだと思う。
「だから、わたくしにはおきさきさまはふさわしくないのです」
そもそも、こんな子供が婚約者になった時点で政界が荒れるだろうに。
5歳児が子供を産めるようになるまで、最短で考えても後6、7年。その間に王族が全滅したらどうしてくれる。血を継ぐ者がいなくなってしまうじゃないか。
だから最初から、私が正妃になる可能性はない。
とはいえ、あの王子に群がる令嬢方に正妃の覚悟があるのかと問われれば、それもなさそうに見えるが。並み居る政界の狸や狐や女豹と渡り合う前にいいように扱われそうだ。
王子様大変だね。だが是非ともあの中から少しはまともな相手を探してくれ、これからの私も含めた国民のために。
さて話し切った、と相手を見れば、なにやら笑みを浮かべていた。その笑みがどことなく何かを企んでいるような気がして、思わず悪寒が走る。
「5歳でそれだけの考えを持っているのだから、流石はアルフォード侯爵をもってして天才と言わしめるだけはあるね」
「おとうさまが?」
わたくし何を言われているのか分かりません、といった子供らしい表情を浮かべて首を傾げる。
父親が私のことを親馬鹿っぷりを発揮して褒めまくるのは、いつものことである。
あの人のことだから、例え私が本当の5歳児らしくお馬鹿っぷりを発揮したとしても、同じように可愛い僕の賢いシャル、と言うのだろう。
伊達に生まれた時に恥ずかしさからおしめを変えさせないよう暴れる私と、そんな私を押さえつけておしめを変えさせようとした乳母が戦りあった頃からの付き合いではない。
そんな父親の言である。話半分にして聞いてくれればいいのにとは思うが口には出さない。
これから何を言われるのだと身構えていれば、青年は私の前で跪いた。
その仕草も優雅で、この人は貴族かもしくはそれに連なる人なのだろうと想像させた。
「シャーロット嬢、僕に貴方を抱き上げる名誉を頂いても?」
「は、はい?」
私としては、言われた意味が分からず聞き返したつもりだった。だが青年には了承ととれたらしく、失礼、という言葉と共に抱き上げられる。
些か強引だな、この青年。
青年は私を抱き上げたまま、ホールの中央、すなわち王子様とそれを取り囲む有象無象の令嬢方がいる場所へと進み始めた。
「あの……」
青年に声を掛けた私の言葉も無視だ。
おいこらあの中に放り込んだら恨んでやる。とは流石に言えないので、控えめにずっと声を掛けているが、楽しげに笑うだけで返事も寄越さない。
しかし、それもホールの中央に来たときに変わった。
人ごみの中心にいた王子様が、彼を見た瞬間、安堵の色をその顔に浮かべたのだ。
「あ、兄上。ようやくいらっしゃったのですね」
言われた瞬間にはその意味が分からず、王子様の言葉を咀嚼する。
王子様が兄上と呼んでいたということは、この青年は彼の兄なんだろう。
兄、ということは彼も王族であって。……王子様? もしかして、この舞踏会の主役?
「お、おうじさま?」
疑問には、私をその腕に抱えている当人が笑みを浮かべて答えてくれた。
「そうだよ」
そのまま、薔薇青年――いや王子様は私の右手を取り、口元へと持っていった。
「シャーロット嬢、僕の婚約者になってくれませんか?」
「お前ロリコンだったのかー!?」
……ロリコンという言葉がこちらになくて心底良かった。そうだったら今頃不敬罪で首を刎ねられていたね。
そんなこんなで、王子様と私の戦いは始まった、のだった?
もともとは短編でしたが、調子に乗って続きを書き始めました。
お付き合いいただけたら幸いです。
10/10 誤字訂正しました。