第5話 サーチベア
森の奥から、
野獣の生臭い匂いが漂ってきた。
かすかな鉄の匂い。
無風の密林に、
ねっとりと甘い血の香りが広がっていく。
……血の匂いだ。
ふと、疑問が浮かんだ。
僕には嗅覚器官がないはずなのに、
どうやって匂いを感じているんだ?
感覚の源を探ると、
それは自分の「両手」から来ていることが分かった。
左右に広がるみずみずしい双葉。
その裏側にある、肉眼では見えない無数の気孔。
本来は換気のための器官が、
空気中の血の匂いをすべて吸い込んでいた。
二枚の葉が感じる匂いの濃度には、
わずかな差がある。
右側の方が、少しだけ濃い。
精密な位置までは分からないが、
大まかな方向を割り出すには十分だった。
僕は右の方を見た。
メフィストが去っていった方向から、
巨大な影が密林の縁に姿を現した。
ノーザンサーチベア Lv 17
HP 305 / 526 MP 17 / 95
腕力:44
魔力:11
敏捷:22
防御:34
幸運:7
『ケプラー452bの原生物。北半球に広く分布する雑食動物。果実を好むが、時に大型動物を狩ることもある。』
その巨体を見つめながら、
僕は慎重に考えた。
この熊を恐れるべきだろうか?
雑食性とはいえ、今のところ葉っぱを好んで食べているようには見えない。
自分が果実をつけるのかはまだ分からないが、少なくとも今は奴のメニューには入っていないはずだ。
巨体に反して、その足取りは驚くほど軽い。一歩踏み出すごとに柔らかく着地し、
踏みつけられる草一本すら伏せることはなかった。
熊は一頭の若い鹿を引きずり、
荒い息を吐きながら僕の傍までやってきた。
鹿を僕の背後にある黒焦げの倒木に放り出すと、美食家が閉店したレストランを懐かしむように、辺りをクンクンと嗅ぎ回った。
ここは、
奴がいつも立ち寄る餌場なのだろう。
熊は期待に満ちた目で僕を一瞥すると、
持ってきた鹿を食らい始めた。
背後の大樹は、倒れる前まで多くの生命を養っていたに違いない。
僕は、その代わりになれるだろうか?
ふと、
神聖な任務を託されたような感覚に陥った。
自分の成長が楽しみだ。
熊が鹿を貪る場面は正視に耐えないほど血生臭かったが、これこそが自然だ。
植物である今の僕に、繊細な胃袋がないことが救いだった。
ノーザンサーチベア Lv 17
HP 526 / 526 MP 17 / 95
腹を満たしたらしい熊は、
鹿の残骸を僕のすぐ横まで引きずってきた。
辺りを何度も嗅ぎ回った後、
土を掘り始める。
巨大な爪と強靭な筋肉は、
天然の掘削機のようだった。
大量の土が背後へと掻き出され、
僕の根の一部が露出する。
いつの間にか、
根はこれほどの距離まで伸びていたのか。
熊は食べかけの死骸を引きずり、
その穴へ――僕の根の上に放り込んだ。
そして、丁寧に土を被せ直す。
ふと、奴の名が光っていることに気づいた。
注視すると、解説欄に変化があった。
『……食べ残した獲物を埋める習性がある。』
『メフィストの知識図鑑を更新。経験値 +1』
経験値:25 / 64
ふむ……メフィストの左眼も最初から全知全能というわけではなく、
僕が補完する余地があるらしい。
熊は土を被せ終えると、
最後にもう一度匂いを確認し、
倒木の傍らで満足げに眠りについた。
ノーザンサーチベア Lv 17
HP 526 / 526 MP 18 / 95
……
MP 19 / 95
どうやら、
睡眠はMP回復の重要な手段らしい。
僕は眼を「閉じ」、
木としての眠り方をイメージした。
そして理解した。
このMP回復を伴う眠りは肉体の休息ではなく、一種の瞑想状態なのだ。
瞑想に入り、周囲のすべてを感じ取る。
すると、根の隣にある死骸が、
猛烈な勢いで分解されていることに気づいた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
この物語を気に入っていただけましたら、
ぜひたくさんおすすめしてください。
そして、少しでも励ましの言葉をいただけたら嬉しいです。
この物語を書き続ける価値があるのだと、
実感させてください。




