第17話 一刻を争う
チミダリが弓を引き絞ったその指が、
わずかに震えた。
張り詰めた緊張感の中、草叢から飛び出してきたのは一頭の狼の仔だった。
その口には、淡黄色の光沢を放つ三日月の実が咥えられている。
「……まさか」
チミダリの弓が力なく下ろされた。
幼狼――僕の意識は、決して野性的な行動を見せないよう細心の注意を払っていた。
僕は甘えるように尾を振りながら、
ハイランドスピアホーンへと歩み寄る。
幼鹿――これも僕だ。
僕は優しく頭を下げ、幼狼の顔に残っていた羊水の跡をそっと舐めとった。
捕食者と被食者が、
滅びの残骸の中で理に反した温もりを見せる。
その光景を目の当たりにしたアガサは、
目元を潤ませ、震える指を胸の前で合わせた。
「この子たちは、
もしかしたら別の啓示なのかもしれないわ。
何か大いなる存在が、
私たちを見守ってくれている……」
アガサが低く、祈るように呟いた。
幼狼は三日月の実を怯える子供たちの前にそっと置くと、短く一度吠え、鼻を地面に押し当てた。
僕は意識を狼に集中させる。
目に見えるものは天導虫に任せ、
狼には視覚以外の情報を探らせる。
鋭敏な嗅覚を頼りに、
腐敗した植物と生臭い泥の中から、
消え入りそうな「生の余熱」を捉えるのだ。
「早く! この子について行って!」
アガサが希望に満ちた声を上げた。
二人の大人は僕の後に続き、
三人の子供たちは幼鹿の見守りを受けながら、おぼつかない足取りでついてくる。
僕は匂いを嗅ぎ分ける。
わずかに聞き覚えのある、
ガディリの匂いに似た気配を感じた。
きっと彼女の兄、チャルヴァハという青年だ。
三人の子供を屋根へ押し上げた、
あの勇気と知恵を兼ね備えた若者には、
どうしても生きていてほしい。
せめて……その遺体が泥濘に埋もれることだけは避けたい。
「誰かいないか!」
匂いの元から、青年の呼ぶ声が聞こえた。
生きている!
ガディリはその声を聞くや否や、駆け出した。
泥に何度も足を取られながらも、
兄を案じる彼女の心は止まらない。
ようやく、倒れた木の隙間に、苦悶の表情を浮かべるチャルヴァハの姿を見つけた。
ガディリの無事を確認した瞬間、
この若いエルフの羊飼いは、
折れた足の激痛も忘れて安堵の涙を流した。
チミダリが青年を圧迫していた倒木を退ける。
ガディリは兄に抱きつき、
二人の涙が顔の汚れを洗い流していった。
アガサが魔導書を開き、治癒魔法を唱える。
青年は死の淵から生還した心地で、
子供たちが差し出した三日月の実を受け取った。
狼と天導虫は休む間もなく、
すぐさま他の被災者を探しに動く。
別の廃墟で、新たな臭いを嗅ぎつけた。
死んでいるのか、それとも。
僕は幼鹿を跳ばせ、耳を澄ませた。
狼は二つの異なる臭いを感じているが、
鹿は一人の鼓動しか聞き取れない。
僕の幼狼は廃墟を狂ったように掘り返し、
ついに傷だらけの小さな手を露出させた。
手は小さいが、指先は荒れて硬い。
長年、重い道具を扱ってきた者の手だ。
チミダリが泥まみれのその人物を引きずり出した。十三、四歳ほどの少年だ。
彼が少年の顔の泥を拭う。
「シャヒードか?」
チミダリの知っている少年だった。
体温はあるが、顔色は青白く、
鼓動も呼吸も極めて微弱だ。
チミダリは即座に少年の胸を押した。
十数回の蘇生を繰り返した後、
シャヒードは泥水を吐き出した。
「……父さん……」
少年が力なく家族を呼ぶ。
チミダリは縋るような目で幼狼を見たが、
狼は背を向けて別の場所へと走り出した。
鹿には、最初から「もう一つの鼓動」は聞こえていなかったのだ。
自責の念に駆られそうになるが、
まだ守るべき「消えそうな火」がある。
村の中にはもう生存者の気配はない。
だが、高く舞い上がった天導虫が、
村外れで横転した馬車を発見した。
狼と鹿が、まだ動ける者たちをそこへ導く。
チミダリ、アガサ、ガディリ、
そして足を負傷し引きずるチャルヴァハ。
四人が村の近郊へ辿り着いた時、彼らは胸を締め付けられるような光景を目にした。
一人の男が、半身を泥の中に沈めていた。
その背中で馬車の車輪の軸を受け止めている。
彼の庇護の下、若い妻が気を失っており、
顔だけが泥の上に出ていた。
男の表情は硬直し、
その瞳にはすでに生命の輝きはない。
だが、妻は生きている。
そして幼鹿は「二つの鼓動」を聞き取った!
チミダリとアガサが傾いた車体を支える。
ガディリとチャルヴァハが協力して、
女性を泥沼から引きずり出した。
二人を知る者はいなかったが、
女性は臨月を迎えようとするほどお腹が大きかった。
救い出された瞬間、
それまで石のように硬直していた男が、
糸が切れたように前へ倒れ込んだ。
馬車の残骸も轟音と共に崩れ落ちる。
それは、妻を守り抜いた男の墓標となった。
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