77話 神獣が人の世界に“留まる条件”を提示する
――ジャックにだけ見せる本音――
夜は更けていた。
東京の光は衰えを知らず、窓の外では人の営みが絶え間なく続いている。
フェンリルはその喧騒を背に、ゆっくりと伏せた。
巨大な体躯が床を軋ませる。
「ジャック」
名を呼ぶ声は、先ほどまでよりも低く、静かだった。
これは――群れに聞かせる声ではない。
「我がこの世界に留まる理由は、一つでは足りぬ」
金色の瞳が、真正面からジャックを射抜く。
「ゆえに、条件を示す。
これは命令でも、取引でもない」
一拍置き、続ける。
第一の条件
「我を、力として使わぬこと」
「神獣を盾にするな。
名を借り、恐怖を振りまく存在にするな」
銀の尾が、わずかに揺れた。
「必要ならば牙は貸す。
だが、主導権は常にお前が持て」
「責任を負わぬ者の力は、ただの災厄だ」
第二の条件
「人の理を壊さぬこと」
フェンリルは窓の外へ一瞬だけ目を向ける。
「この世界は、脆い均衡の上に立っている。
我が歩けば、法も秩序も意味を失う」
視線を戻し、告げる。
「ゆえに、我は影に留まる。
姿を見せるのは――必要な時だけだ」
第三の条件
「お前自身が、立ち止まらぬこと」
ここで、初めて声に熱が混じる。
「迷うことは許す。
恐れることも、人として当然だ」
だが、と。
「逃げ続けることだけは許さぬ」
「お前が歩みを止めた時、
我もまた、この世界を去る」
条件をすべて告げ終え、フェンリルは沈黙した。
しばらくして――
「……これが、表の言葉だ」
そう前置きして、声が一段低くなる。
フェンリルの本音
「正直に言おう」
金色の瞳が、わずかに揺らぐ。
「我は――この世界に、興味を持ってしまった」
「神獣として、これは敗北に等しい」
鼻で小さく息を吐く。
「弱き者が、弱きまま抗い続ける姿は、
我の知るどの世界よりも騒がしく、醜く、そして……目を離せぬ」
一瞬、獣らしからぬ静けさ。
「そして」
視線が、まっすぐジャックに戻る。
「お前は、その中心に立とうとしている」
「力を持ちながら、振り回されぬことを選び、
世界を壊せる位置にいながら、壊さぬ」
低く、確かな声。
「我は――それを見届けたい」
「もしお前が、いずれ理を踏み越えるなら、
その時は我が牙で終わらせてやろう」
だが、と。
「それまでは」
フェンリルはゆっくりと立ち上がり、影の中へ半身を溶かす。
「我は、お前の影に在ろう」
最後に、ほんの僅か――
誇り高き獣が、人に寄せた信頼が滲む。
「契約は不要だ、ジャック。
これは――同行だ」




