32話 帰還と、名を持たない青年
渡ることはできた。
世界線の移動は、成功した。
だが――
ジャックは最初から理解していた。
国籍の問題は、今は解決しない。
20歳まで保留。
それが、あの世界で交わした約束だった。
どのみち、
経済活動ができなければ基盤は成り立たない。
身分がなければ、仕事も住居も、口座すら持てない。
そして何より――
彼には戻る約束があった。
異世界で待つ家族。
父と母、兄たち。
「必ず戻る」と告げてきた以上、
ここで腰を据える選択はできない。
「今回は、準備だな」
そう結論づけた。
家族への“証明”
ただ戻るだけでは意味がない。
向こうの世界に戻ったとき、
「確かに、別の世界に行ってきた」
そう示せる証拠が欲しかった。
若返りの薬?
意味がない。
ならば――逆だ。
ジャックは取り出した小瓶を見つめ、
一切の躊躇なく口に含んだ。
年齢操作薬・逆位相版
効果は即座に現れた。
骨格が伸び、
筋肉が締まり、
視線の高さが変わる。
鏡に映ったのは、
21歳相当の青年。
「これなら……通るな」
未成年という最大の制限を消す。
同時に、社会の入口に立つための最低条件。
だが――
現実は、そこで終わらなかった。
金がない
当然だ。
身分証もない。
口座もない。
現金など、あるはずがない。
「さて……詰んだか?」
何をするにも身分証明が求められる。
店、宿、移動手段。
盗む?
一瞬たりとも、その選択肢は続かなかった。
「それをやったら、全部終わる」
彼は“戻る人間”だ。
ここで人生を壊すわけにはいかない。
人の流れの隅で立ち尽くす青年。
財布もなく、
行き先もなく、
ただ世界の重さだけを実感していた。
声をかけてきた女性
「……どうしたの?」
不意に、声がした。
振り向くと、
年の頃は30前後だろうか。
落ち着いた服装の女性が、心配そうにこちらを見ている。
ジャックは一瞬迷い――
だが、嘘はつかなかった。
「お金がなくて……」
「何も買えなくて、困ってます」
言葉にした瞬間、
自分が今どれほど無力かを、はっきりと自覚した。
そして、運命が動き出す
女性は一瞬、驚いた顔をした後、
ジャックの顔をじっと見つめる。
胡散臭さではなく、
警戒でもなく――
観察する目だった。
「……少し、話を聞いてもいい?」
この出会いが、
彼の“準備期間”を大きく変えることになるとは、
この時のジャックは、まだ知らない。




