第3話 言葉なき観察者
声が、意味を持って聞こえる。
それに気づいたのは、生まれてしばらく経ったある日のことだった。
「ジャック、今日は機嫌がいいわね」
「さすがは辺境伯家の三男だな」
(……理解できてる)
音ではない。
言葉として、内容として、正確に頭の中に入ってくる。
(記憶も知性も、完全に引き継ぎか)
内心でそう結論づけながらも、彼――俺は小さく息を呑んだ。
問題は、返す手段がないことだ。
喉を動かそうとしても、舌を操ろうとしても、出てくるのは意味を持たない赤子の声だけ。
頭の中では文章が組み上がっているのに、それを世界へ届ける方法が存在しない。
(……これは、想像以上に不便だな)
◆
だから俺は、割り切った。
(話せないなら、観察する)
動けないなら見る。
選べないなら記憶する。
言葉を拾い、関係を整理し、世界の輪郭を少しずつ掴んでいく。
断片的な会話から、家族構成はすぐに把握できた。
ここは――
マルーン王国。
その中でも、王国の外縁を守る辺境伯領。
父の名は、フォニアジーク。
辺境伯にして、この家の当主。
母は、サリーシャ・エバンス。
穏やかな声と、よく俺を抱く温かな腕の持ち主だ。
兄弟は三人。
長男――ジルフォニア。
次代の辺境伯として育てられているらしく、名前が出るたびに空気が引き締まる。
次男――ロンドフェスト。
剣の稽古がどうだとか、活発だとか、そんな言葉と一緒に語られることが多い。
そして――
(三男、俺)
名前は、
ジャック・フォン・キルヒアイス。
(……貴族名だな)
前世では、画面の向こうで名前も顔も知られない配信者だった。
それが今では、名を持ち、家を背負う立場として生まれている。
重みを感じないわけがない。
◆
もう一つ、気づいたことがある。
どうやら俺は――
金髪らしい。
「本当に、綺麗な金色ね」
「フォニアジークに似たな」
そんな会話が、何度も耳に入った。
(金髪の貴族三男、か……)
鏡は見えない。
だが、周囲の反応から察するに、見た目もそれなりに“期待される側”なのだろう。
(前世とは、正反対だな)
◆
そして俺は、もう一つの“違和感”を観察していた。
感情が強く揺れた瞬間。
泣いたとき、驚いたとき、あるいは強く何かを願ったとき。
世界の動きが、ほんの一瞬だけ鈍る。
(止まってはいない……でも、伸びた)
時空魔法。
完全な停止でも、明確な巻き戻しでもない。
だが確かに、時間に“触れている”感覚がある。
(無意識下での微調整……今はこれが限界か)
赤子の身体では、力を扱う器が小さすぎる。
焦れば暴発しかねない。
(急ぐな)
それは、前世で最後までできなかったことだ。
(今回は、時間がある)
◆
ある夜、両親が静かに話していた。
「この子……あまり泣かないわね」
「よく周りを見ている気がする」
一瞬、心臓が跳ねた。
(気づかれてる、か)
だが次の言葉に、胸の奥が熱くなる。
「賢い子になるかもしれないな」
「そうね……」
期待。
前世で、俺が最も避け続けたもの。
(でも……今度は)
逃げない。
貴族の三男として。
ジャック・フォン・キルヒアイスとして。
期待されるなら、それを背負う。
応えられるかは、これから決めればいい。
(後悔は、もうたくさんだ)
言葉を得る日まで。
歩き出す日まで。
時空魔法を、意志で使える日まで。
――言葉なき観察者は、沈黙の中で、確実に未来を組み立て始めていた。




