154話 配信の中の喧騒
照明を落とした部屋で、ジャックは静かに配信を開始した。
配信開始から数十秒。
画面右上の同時接続数が、明らかに異常な速度で跳ね上がっていく。
──一万。
──三万。
──五万。
コメント欄は、もはや「流れる」という言葉では足りなかった。
滝のように、音を立てて落ちていく文字の洪水。
「本物なのか?」
「昼の会見、あれ何だった?」
「政府とグル?」
「地震ってマジ?」
「フェイクニュースじゃないの?」
「信じたいけど怖い」
肯定と否定、期待と不安、怒りと恐怖。
あらゆる感情が、無秩序に画面を埋め尽くしていく。
そして――
各所の配信者たちが、一斉に反応を始めた。
別の画面では、ニュース系配信者が声を荒らげている。
「待て待て、昼の会見見たか?
首相があそこまで踏み込むって普通じゃないぞ」
別の配信では、オカルト系の配信者が興奮気味に語る。
「念話だぞ!?
いや、科学的に説明できるわけが……でも全国同時だぞ?」
冷静派の配信者は、資料を画面に映しながら言う。
「地震予測自体は研究されている。
問題は“時期を断言したこと”だ。
普通、政府はそこを避ける」
そして、雑談系の配信者ですら、話題を変えられずにいた。
「今日の空気、やばくない?
スーパー寄ったら、みんなスマホ見て黙ってるんだよ」
そのすべての中心に、
ジャックの配信画面があった。
彼は、騒がしさとは対照的に、穏やかな表情で画面を見つめている。
コメントの速度が、さらに上がる。
「説明してくれ!」
「信じていいのか!」
「嘘なら嘘って言ってくれ!」
「ジャック、頼む!」
ジャックは、少しだけ息を吸い、ゆっくりと口を開いた。
「……大丈夫です」
その一言で、
不思議なほど、コメントの勢いが一瞬だけ鈍った。
「昼にも言いましたが、もう一度言います。
“時間はあります”」
彼の声は、配信特有の軽さがない。
会見のときと同じ、落ち着いた、芯のある声音。
「一ヶ月。
それは“恐れるための時間”じゃない。
“準備して、支え合うための時間”です」
コメントが割れる。
「きれいごとだ」
「でも、なんか落ち着く」
「この人、ブレてない」
ジャックは、視線をカメラから逸らさずに続ける。
「信じるかどうかは、皆さんの自由です。
疑ってもいい。議論してもいい」
「でも――
“焦って動くこと”だけは、しないでください」
画面の向こうで、誰かが息を呑んだ気配がする。
そんな錯覚を覚えるほど、言葉が静かに染み込んでいく。
「買い占めをすれば、
誰かの“今日”が奪われます」
「怒りの言葉を投げれば、
それは不安を増幅させるだけです」
コメント欄に、変化が生まれ始める。
「……確かに」
「昼の念話、怖かったけど落ち着いた」
「家族と話してみる」
ジャックは、少しだけ微笑んだ。
「皆さん一人一人の行動が、
周りの人を冷静にします」
「今日、ここで聞いたことを
“誰かを安心させるため”に使ってください」
同時接続数は、過去最高を更新していた。
だが、コメント欄は徐々に――
騒音から、対話へと変わり始めていた。
「会社で変な噂流さないようにする」
「親にちゃんと説明する」
「買いだめしないで様子見る」
ジャックは最後に、ゆっくりと頭を下げる。
「一緒に、乗り越えましょう。
時間は、まだあります」
その瞬間、
無数の配信者たちが、同時にこう言った。
「……この人、
少なくとも“煽ってはいない”」
夜はまだ深い。
だが、画面の向こうで、
確かに“静かな連帯”が生まれ始めていた
官邸地下、危機管理センター。
普段なら深夜帯にしか埋まらない席が、この夜はほぼ満席だった。
大型モニターの中央には、ジャックの配信画面。
左右にはSNSのリアルタイム分析、検索ワードの推移、地方自治体からの問い合わせログが流れている。
誰も喋らない。
ただ、キーボードを叩く音と、空調の低い唸りだけが続いていた。
「……同時接続、更新しました」
若い内閣官房職員が、声を抑えて報告する。
「過去最高です。昼の会見を上回っています」
一瞬、空気がわずかに動いた。
だが、誰も驚いた様子を見せない。
予想されていた数字だったからだ。
むしろ、ここまで来てしまった、という確認に近い。
総理補佐官の一人が、腕を組んだまま画面を見つめていた。
ジャックは、派手な演出もなく、
煽る言葉も、断定的な未来予測も口にしない。
ただ――
「時間はあります。
一人ひとりの冷静な判断が、周りを落ち着かせます」
その言葉が、コメント欄の荒波の上に、ゆっくりと落ちていく。
「……この男、政治的な言い回しを一切しないな」
財務省から来ている幹部が、低く呟く。
「それが一番厄介でもあり、一番強い」
別の官僚が即座に返した。
「政府が言えば“統制”と言われる。
彼が言えば“お願い”として届く」
誰も否定しなかった。
別室では、総務省と警察庁の合同チームが、
配信コメントと関連配信者の動きを追っている。
「否定派、増えてます。
“フェイクだ”“信用できない”という反応が急増」
「でも、炎上してないな」
「はい。対立が起きてるのに、分断が拡散していない」
それは異常だった。
通常なら、真偽不明の話題は一気に感情的な衝突を生む。
だが今夜は違う。
議論は荒れているのに、暴走していない。
画面の中で、ジャックが少しだけ言葉を選ぶ間があった。
「信じるかどうかは、皆さんが決めてください。
ただ……誰かを煽るより、隣の人を落ち着かせてほしい」
その瞬間、
解析担当の職員が息を呑んだ。
「……買いだめ関連ワード、減少傾向に入ってます」
官邸内に、抑えたざわめきが走る。
「つまり――」
内閣官房長官が、ゆっくりと言葉を繋いだ。
「昼の会見、念話、そして今夜の配信。
この三段階で、国民心理の暴発を抑え込んでいる」
「我々がやろうとして、できなかったことを?」
「……そうだ」
誰も笑わない。
誇らしさも、悔しさも、ここでは許されない。
ただ、事実として受け止めるだけだ。
危機管理監は、最後まで黙って配信を見ていたが、
ジャックがこう言った瞬間、静かに頷いた。
「政府は、もう動いています。
それを信じてください」
「……彼は、我々の背中を守っている」
誰かがそう言った。
それは評価であり、同時に重い確認だった。
官邸の時計が、日付を越える直前を指す。
同時接続は、まだ落ちない。
全国の家庭、職場、配信者、学生たち――
様々な場所で、同じ言葉に耳を傾けている。
そして官邸もまた、
一人の配信者の声に、国家として耳を澄ませていた。
この夜、政府は初めて明確に理解する。
――彼は「外側の存在」ではない。
――そして、もはや「無視できる存在」でもない。
静かな緊張の中で、
配信は続いていた。
後書きという名のお願い
下の★マークのタップとブックマークをお願いします。
今後の活動の励みになります。




