143話 「深夜の再訪問」
始まりは、深夜の再訪問だった。
首相官邸は眠っていない。
だがこの時間帯の空気は、昼間とは質が違う。人の気配は削ぎ落とされ、建物そのものが巨大な思考装置として静かに稼働しているようだった。
通用口を抜け、無言のまま案内される。
照明は最低限。足音がやけに大きく響く。
会議室に入ると、既に数名が揃っていた。
首相、官房長官、数人の側近、そして――ジャック。
彼は相変わらず、感情の読めない表情でこちらを見た。
「段階が進んだ」
開口一番、ジャックが告げる。
「この間、君が“脳内に流した映像”。あれを、今度は国民に見せる」
重い沈黙が落ちた。
誰もがその言葉の意味を理解している。理解しているからこそ、すぐには口を開けない。
「テレビを使う。全国放送だ」
官房長官が確認するように言う。
「そうだ。編集は最小限。演出もしない。事実として提示する」
首相が低く息を吐いた。
「混乱は避けられないな」
「承知している」
ジャックは淡々と続ける。
「だが、国民の選択の権利を奪わないための措置だ。
個人として出来ることはある。資産のある者は海外に避難するだろう。親類を頼って移動する者もいる」
それは、突き放したようでいて、奇妙に誠実な言い方だった。
「強制はしない。ただ“知る機会”を与える」
誰かが言葉を探すように、指を組み直した。
「……放送の後は?」
その問いに、ジャックは一拍だけ間を置いた。
「次の段階に進む」
静かだが、揺るぎない声。
「テレビ放送の後、関東圏内の人間に――直接、話しかける」
空気が凍りついた。
「脳内に、か」
「可能だ」
否定も誇張もない、事実の提示。
「人々はパニックになるだろう」
首相が現実的な懸念を口にする。
「分かっている。しかし」
ジャックは首相をまっすぐに見た。
「命が失われた後では、取り返しがつかない。
今なら、まだ時間的猶予がある」
誰も反論できなかった。
理屈としては、あまりにも正しい。
そのとき、今まで黙っていた人物が、ゆっくりと口を開いた。
「……少し、待ってくれ」
声は震えていなかった。だが、必死さが滲んでいた。
「放送のタイミングを、今夜ではなく――」
その言葉に、ジャックは首を傾げる。
「理由は?」
「準備が、足りない。国民も、我々もだ」
一瞬、誰もがジャックの反応を待った。
彼はしばらく考え込むように視線を落とし、やがて言った。
「……分かった」
意外なほど、あっさりと。
「だが、猶予は短い」
その一言で、会議室の全員が理解した。
これは“止められた”のではない。“延期された”だけなのだと。
深夜の官邸は、再び沈黙を取り戻した。
だがその静けさの下で、すでに歯車は回り始めていた。
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