137話 涼香に選択を迫る
夜明け前。
まだ空は暗く、街の音も戻っていない。
ジャックは、テーブルに向かって座っていた。
カップの中のコーヒーは、もう冷めている。
「……涼香」
その声で、彼女はすべてを察した。
涼香は向かいに座り、何も言わずに頷く。
“続きを聞く”という合図だった。
「このままなら」
ジャックは、言葉を選ばなかった。
「かなりの知り合いが、なくなる」 「義父母も、友人も、兄弟も」 「助かる人もいる。でも、助からない人の方が多い」
涼香は、目を伏せない。
「……普通の生活に戻るまで」 「想像できないくらいの時間がかかる」
机の上に、見えない未来図を並べるように。
「街が戻るのに、年単位」 「心が戻るのは、もっと先だ」
静かに、しかしはっきりと。
「何もしないなら――」
ジャックは、一度息を吸った。
「向こうの世界に行く」 「ここで起きることを、見ない場所へ行く」
それは逃避ではない。
“関与しない”という、選択。
「でも、するなら」
声が、わずかに低くなる。
「徹底的にする」 「中途半端は、一番多くの不幸を生む」
涼香の指が、膝の上でぎゅっと握られる。
「被害を最小化する」 「情報も、記録も、原因も、全部潰す」 「――それは、もう“救済”じゃない」
世界に、手を入れる行為。
「その結果」
ジャックは、初めて涼香を見る。
「……こちらの世界に、いられなくなる可能性がある」
沈黙。
遠くで、始発の音が聞こえた。
「法律じゃ済まない」 「常識じゃ裁けない」 「奇跡としても、説明できない」
ジャックの声は、震えていない。
それが、余計に重い。
「俺は、選べる立場に立ってしまった」 「だから――」
言葉が、そこで止まる。
涼香が、静かに口を開いた。
「……私に、選ばせるの?」
「一人じゃ、決められない」
即答だった。
「これは“力の話”じゃない」 「“家族の話”だから」
涼香は、ゆっくり立ち上がり、
隣の部屋を見た。
陽が眠っている。
「……陽は」
その名前を口にした瞬間、声が少し揺れた。
「どっちの未来でも、まだ何も知らない」
ジャックは、頷く。
「だからこそ、選ぶ必要がある」
涼香は、しばらく黙っていた。
考えているのではない。
受け止めている。
「……ねぇ、ジャック」
「うん」
「あなたが向こうの世界に行ったら」 「私は、ここで生きるの?」
その問いは、刃だった。
「……一緒に行く道もある」 「でも、それも――簡単じゃない」
涼香は、深く息を吐いた。
「徹底的にやったら」 「戻れない可能性があるんだよね」
「……ある」
「それでも?」
ジャックは、少しだけ目を閉じた。
「それでも」 「何もしなかった未来を、俺は一生後悔する」
涼香は、その言葉を噛みしめる。
世界。
家族。
日常。
選ばなかった方の未来。
どれも、失われる可能性がある。
涼香は、最後にこう言った。
「……今日は、結論を出さない」
ジャックは、何も言わない。
「でも」 「逃げる選択をするなら、一緒に逃げる」 「やるなら、あなた一人に背負わせない」
彼女は、まっすぐに彼を見る。
「それだけは、決めていい?」
ジャックの喉が、詰まった。
「……ありがとう」
夜は、もうすぐ終わる。
だが、本当の分岐点は、これからだった。
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