129話 決行の日とスリープの魔法
夜だった。
病院の外灯が、静かに駐車場を照らしている。
面会時間はとっくに終わり、廊下に人影はない。
(……これしかない)
ジャックは、そう結論づけていた。
人知れず。
記録に残らず。
誰の人生も、余計に揺らさない方法。
スリープ――
それが一番現実的で、そして安全だ。
鑑定。
視界の向こうに、あの女の子の情報が浮かぶ。
病室番号。
大部屋。
今夜は点滴だけで、処置はない。
次の瞬間、世界が折りたたまれる。
転移。
病室のカーテン越しに、微かな寝息が聞こえる。
四人部屋。
看護師の巡回は、あと二十分は来ない。
ジャックは、音を立てずに一歩踏み出した。
「……眠れ」
小さく、しかし確実に。
スリープ魔法が、波紋のように広がる。
母親の肩が、すとんと落ちる。
隣のベッドの高齢男性の呼吸が、深くなる。
病室全体が、不自然なほど静かになった。
深い眠り。
夢も見ない、完全な休止。
(……よし)
ジャックは、あの女の子のベッドに近づく。
顔色は、やはり良くない。
鑑定で見える生命の炎は、今にも消えそうだった。
「少しだけ、失礼する」
誰にともなく呟きながら、
上半身を慎重に起こす。
首に負担をかけないよう、
枕をずらし、背中を支える。
小さな瓶を取り出す。
透明な液体。
光を反射して、わずかに虹色に揺れる。
エリクサー。
唇に、そっと触れさせる。
ゆっくり。
一滴ずつ。
喉が、反射的に動く。
(……飲んだ)
鑑定が即座に反応する。
歪んでいた数値が、
信じられない速度で整っていく。
暴れていた異常細胞が、
存在そのものを失っていく。
ジャックは、女の子を静かに寝かせ直す。
表情は、穏やかだった。
さっきまでの苦しさが、
嘘のように消えている。
(……これでいい)
誰にも感謝されなくていい。
名前を知られなくていい。
ただ、朝を迎えられれば、それでいい。
スリープを解除する前に、
ジャックは一歩下がる。
そして――
転移。
次の瞬間、
自宅の地下駐車場の冷たいコンクリートの感触が足裏に戻る。
深夜。
エンジン音も、人の気配もない。
ジャックは、その場で一度だけ、深く息を吐いた。
「……頼むから」
誰にも届かない声で。
「普通の人生を、歩いてくれ」
それが、
最初の“闇の治療”だった。
そしてまだ、
誰もこの夜の意味を知らない。
後書きという名のお願い
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