127話 少し、出張みたいなものだから
夕食後。
リビングは穏やかな空気に包まれていた。
母は後片付けをし、父はソファでテレビを眺めている。
涼香は、クッションを抱えるようにして座っていた。
「……あのさ」
ジャックが、少しだけ声を落として切り出した。
「俺、ちょっと一人で出てくる」
父が、テレビから目を離す。
「仕事か?」
「まあ……そんな感じです」
曖昧だけど、嘘ではない言い方。
「今のうちに、整理しておきたいことがあって」
母が、振り返る。
「長くなるの?」
「数日……もしかしたら、少し早く戻るかもしれません」
涼香は、ジャックの横顔を見た。
詳しく聞かない方がいいことだと、直感で分かる。
「……一人で?」
母が、少し心配そうに言う。
「はい」
ジャックは、はっきり頷いた。
「一人の方が、都合がいいので」
父は、短く息を吐いた。
「……今は、体調優先だ」
「無理するなよ」
「ありがとうございます」
深く頭を下げる。
それ以上、誰も踏み込まなかった。
この家では、そういう距離感が守られている。
玄関。
靴を履く前に、涼香が小さく声をかける。
「……すぐ戻る?」
「戻る」
即答。
「必ず」
涼香は、少しだけ迷ってから言った。
「じゃあ……」
お腹に手を当てる。
「無事に帰ってきて」
ジャックは、その仕草を見て、一瞬だけ表情を緩めた。
「……分かってる」
軽く、涼香の頭に手を置く。
キスも、言葉もない。
今は、それで十分だった。
ドアが閉まる。
鍵の音。
母が、ぽつりと言う。
「……大事な仕事なのね」
涼香は、少しだけ微笑んだ。
「うん」
「たぶん……とても」
その夜。
家族は誰も知らない。
ジャックが向かう先が、
“もう一つの世界”であることを。
そして、
生まれてくる命の報告をしに行くことを。
音もなく、世界が切り替わる。
足元の感覚が消え、
次の瞬間――白。
上下も、距離も、境界もない空間。
それでもジャックは、もう迷わなかった。
「……お久しぶりです」
声は、自然と静かになる。
「ええ、本当に」
柔らかな声が、四方から降りてくる。
白の中に、ゆっくりと“輪郭”が浮かび上がる。
「ずいぶん久しぶりですね、使徒ジャック」
創造神は、いつもの調子だった。
穏やかで、親しみ深く、
それでいて――底が見えない。
「ジャック一人か?」
「娘っ子は?」
「……今回は」
ジャックは、一度息を整える。
「俺だけで来るべきだと思いました」
「フォフォフォ」
創造神は、少しだけ笑った。
「“報告”ですね」
ジャックは、跪かなかった。
だが、背筋を正す。
使徒として、父になる者として。
「はい」
「地球側で……」
一拍。
「新しい命を授かりました」
白い空間が、わずかに震えた。
風も、音もないのに、
**“祝福が通った”**感覚だけがあった。
「……それは」
創造神の声が、ほんの少しだけ低くなる。
それは、感情だった。
「あのジャックが父親とは」
「はい」
「まだ初期ですが、母子ともに健康です」
「それは、何より」
創造神は、にこやかに言う。
だが、その次の言葉は、いつもより慎重だった。
「この報告を、
“誰にも知られず”持ってきた理由は?」
ジャックは、即答しなかった。
白い空間で、ほんの一瞬だけ考える。
「……地球側の家族は、何も知りません」
「俺の立場も、この世界のことも」
「だからこれは――」
言葉を選ぶ。
「“使徒としての報告”であると同時に」
「“父としての確認”です」
「確認?」
「この命が」
静かに。
「両方の世界にとって、
“重荷”にならないかどうか」
創造神は、すぐには答えなかった。
白の奥で、何かが動く。
測っている。
未来を。
因果を。
まだ名もない存在を。
「……心配せずともよい」
ようやく、いつもの調子に戻る。
「ですが」
少しだけ、声が優しくなる。
「心配する父親は、嫌いではないぞ」
創造神は、告げる。
「その命は、
どちらの世界にも“過剰な歪み”を生まんじゃろ」
「ジャックが恐れているような、
祝福による暴走もなかろうで」
ジャックは、わずかに肩の力を抜いた。
「……そうですか」
「ただし」
創造神は、指を一本立てる。
「“何も起きない”わけではない!」
白い空間に、淡い光が浮かぶ。
まだ形を持たない、小さな灯。
「この子は」
「境界に近い」
「境界……?」
「世界と世界の“あわい”に生まれる存在」
創造神は、穏やかに続ける。
「使徒の血を引き、
生活魔法師の母の想像力を受け継ぐ」
そして、はっきりと。
「――観測される前から、世界に優しい」
その言葉に、
ジャックは、ただ黙って頭を下げた。
「……ありがとうございます」
「それを聞けただけで、十分です」
創造神は、微笑む。
「では、最後に一つだけ」
「はい」
「ジャックよ
“どちらの世界を優先するのじゃ?”」
試すような問い。
だが、ジャックは迷わなかった。
「帰る場所です」
「今、俺が帰ると言った場所」
白い空間が、静かに満ちる。
「――良い答えです」
創造神は、満足そうに言った。
「では、父になる使徒に」
「特別な加護は与えない」
ジャックは、目を瞬く。
「代わりに」
創造神は、やさしく告げる。
「“選ばない自由”を、守ってやることにしよかの!」
次の瞬間、世界が反転する。
ジャックは、
何事もなかったように、夜の地球に立っていた。
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