119話 披露宴
静かな前奏が流れ、会場のざわめきが自然と収まっていく。
列席者の顔ぶれは、実に多彩だった。
最前列の一角――
ジャックがかつて世話になった、懐かしい社長の姿がある。
目が合うと、彼は小さく頷き、親指を立てた。
親族席と呼ぶには少し離れているが、
兄と、その隣には兄の友人。
さらに――筆頭株主の会社からも、きちんと正装した列席者が座っている。
そして何より目を引くのは、
現在の勤め先からの列席者の多さだった。
「人望あるんだな……」 「仕事、ちゃんとしてたんだね」
そんな小声が、あちこちから漏れる。
司会の声が、穏やかに響く。
「それでは、新婦のご入場です」
会場の扉が、ゆっくりと開いた。
新婦と父のバージンロード
白いドレスに身を包んだ涼香の腕を、父がしっかりと取る。
一歩、一歩。
絨毯の上を進むその足取りは、決して早くない。
涼香は、父の横顔をちらりと見た。
少しだけ強張っている。 でも、その目は誇らしげだった。
(ありがとう……)
言葉にはしないまま、涼香は心の中で呟く。
ジャックの前に辿り着くと、父は一瞬だけ立ち止まり、低く言った。
「……よろしく頼む」
「はい」
短い言葉。 それで十分だった。
父の手が離れ、ジャックが涼香の手を取る。
その瞬間、拍手が会場を包んだ。
娘から両親への手紙
披露宴も中盤に差しかかり、涼香が一人、マイクの前に立つ。
手紙を持つ指が、ほんの少し震えている。
「お父さん、お母さん」
会場が、しんと静まる。
「今まで、大切に育ててくれて、ありがとう」
読み進めるうちに、声がかすれる。
反抗したこと。 迷惑をかけたこと。 それでも、変わらず味方でいてくれたこと。
母は、すでにハンカチを目に当てていた。 父は、じっと前を見たまま、何度も小さく頷いている。
「今日からは、守られるだけじゃなくて」 「支え合って、生きていきます」
最後の一文を読み終えた瞬間、
会場のあちこちで、鼻をすする音がした。
ブーケトス
空気を切り替えるように、軽やかな音楽。
涼香が背を向け、ブーケを高く掲げる。
「いきますよー!」
――ふわり。
弧を描いて飛んだブーケは、
一瞬の混乱ののち、誰かの手にしっかりと収まった。
歓声と笑い声が広がる。
涼香も、ようやく肩の力を抜いて笑った。
滞りなく、式は終了する
歓談。 写真撮影。 最後の挨拶。
どの瞬間も、過不足なく、穏やかに流れていく。
派手なハプニングはない。 誰かが困ることもない。
ただ――
「大切な人たちに見守られて終わる式」。
それだけで、十分だった。
新郎新婦が退場すると、
拍手が、ゆっくりと、長く続いた。
披露宴は、滞りなく終了する。
そして――
このあと、二人きりになった瞬間に、ようやく本当の実感が訪れる。
控室の扉が、静かに閉まる。
――その音を境に、世界が一段落ちた気がした。
さっきまであれほど賑やかだったはずなのに、
今は、空調の微かな音と、二人の呼吸だけ。
涼香は、ふう、と息を吐いた。
「……終わったね」
ジャックはネクタイを少し緩めながら、苦笑する。
「終わったな。長かった」
「長かったけど……」 涼香は一拍置いて、続けた。 「ちゃんと、できた気がする」
ジャックは何も言わず、ただ頷く。
涼香は、そっとドレスの裾を押さえながら、椅子に腰を下ろした。
「ねぇ」 「バージンロード、歩いてるときさ」
「うん」
「足、震えてたの。自分でも分かるくらい」
ジャックは少し驚いた顔をする。
「全然、そうは見えなかった」
「そう?」 涼香は小さく笑う。 「必死だったんだよ。転ばないように」
少しの沈黙。
それから、涼香はぽつりと呟いた。
「……お父さん、あんな顔するんだね」
「どんな?」
「泣きそうで、でも泣かない顔」
ジャックは、思い出すように視線を落とす。
「ああ……分かる」
二人の間に、温かい静けさが落ちる。
涼香は、ゆっくりと顔を上げて、ジャックを見る。
「ねぇ、ジャック」
「ん?」
「今日さ……」 言葉を探すように、一度唇を噛んでから。 「やっと、“結婚した”って思えた」
ジャックは、一歩近づく。
「俺も」
そして、少し照れたように続けた。
「向こうで式を挙げたときも、ちゃんと実感はあったけど」 「今日は……現実に根を下ろした感じがする」
涼香は、その言葉に目を細めた。
「不思議だね」 「世界を越えてるのに、ちゃんと地続き」
「それが、俺たちなんだろ」
ジャックは、そっと涼香の手を取る。
ドレス越しでも分かる、温度。
「改めて言うよ」
涼香が、少しだけ身構える。
「結婚してくれて、ありがとう」
一瞬、言葉が詰まる。
それから涼香は、ゆっくりと首を振った。
「……こちらこそ」 「私を、ちゃんとここまで連れてきてくれて、ありがとう」
ジャックは、彼女の額に軽く額を当てる。
「これからは」 「どっちの世界でも、一緒だ」
涼香は、迷いなく頷いた。
「うん」
外から、遠く拍手の余韻が聞こえる。
でも、二人にはもう必要ない。
ここで交わした言葉だけで、十分だった。
――披露宴は終わった。
そして、二人の“生活”が、静かに始まる。
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