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後悔ばかりの男の逆転人生  作者: れんれん


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閑話 涼香の決意

キッチンから、コーヒーの香りが漂ってきた。

 いつもと同じ豆、同じ湯量。なのに、なぜか空気だけが違う。

「砂糖、いる?」

 涼香の声がする。

 背を向けたまま、迷いなくカップを二つ並べている。

「ああ……いや、今日はブラックでいい」

 そう答えた自分の声が、少しだけ低く聞こえた。

「ふふ、珍しいね」

 くすっと笑う。

 その笑い方も、昨日より落ち着いている。

 テーブルに向かい合って座る。

 カップの縁から立ちのぼる湯気が、二人の間を一瞬だけ曇らせた。

「今日、何か予定ある?」

 俺が聞くと、涼香は少し考える“ふり”をする。

 本当に考えている人の間とは、違う。

「うーん……午後から少しだけ」

「仕事?」

「ううん。私のほうの話」

 それ以上、言わない。

 ――まただ。

 隠している、というより、

 もう決めていて、説明する必要がないという距離感。

 パンを一口かじる。

 涼香も同じタイミングでナイフを置く。

「ジャック」

 名前を呼ばれて、顔を上げる。

「なに?」

「……ありがとうね」

 唐突すぎる言葉。

「昨日のこと?」

 そう聞くと、涼香は一瞬だけ微笑んで、首を横に振った。

「ううん。全部」

 “全部”。

 その言葉が、胸の奥に小さな棘のように残る。

 感謝なら、理由があるはずだ。

 でも彼女は、それを説明しない。

 食器を片づける後ろ姿を見ながら、俺は思考を巡らせる。

 ・俺が知らない決断

 ・でも、俺を切り離す決断ではない

・むしろ、覚悟を含んだ静けさ

 ふと、フェンリルの声が頭の奥にかすかに響いた気がした。

 ――気づけ。

 ――すでに、兆しは出ている。

「……涼香」

 呼び止めると、彼女は振り返る。

「今度さ、どこか少し遠くに行かないか」

 試すような言葉だった。

 日常から、一歩だけ外へ出る提案。

 涼香は驚かない。

 少しだけ目を細めて、柔らかく頷いた。

「うん。行こう」

 即答。

 その返事が、妙に重く、そして嬉しかった。

 ――彼女はもう、未来を“点”じゃなく“線”で見ている。

 まだ何も語られていない。

 でも確実に、歯車は動き始めている。

 朝は、何も壊さずに終わった。

 それが逆に、いちばん不安で、いちばん確かな違和感だった。


――午後。

 駅前の喧騒から一本外れた道を、涼香は一人で歩いていた。

 ヒールの音が、一定のリズムでアスファルトを叩く。

 目的地は、いつものカフェでも、会社でもない。

 人目を避けるような場所でもないが、誰かと一緒には来ない場所。

 ガラス張りの建物の前で立ち止まる。

 外観は静かで、控えめで、少しだけ古い。

 深く息を吸い、吐く。

「……大丈夫」

 誰に向けた言葉でもない。

 自分自身に言い聞かせるように、そう呟いてから扉を押した。

 中は驚くほど静かだった。

 受付の女性が顔を上げ、事務的な微笑みを向ける。

「ご予約の方ですね」

「はい。涼香です」

 名前を口にした瞬間、胸の奥がきゅっと縮む。

 この名前で生きてきた時間。

 そして、この名前のまま、どこまで行くのか。

 通された小さな部屋には、窓が一つだけ。

 カーテン越しの光が、柔らかく床に落ちている。

 椅子に腰かけると、自然と両手が膝の上で重なった。

 指先が、わずかに震えている。

 怖くないわけじゃない。

 でも――逃げたいとも、思っていない。

(ジャック……)

 名前を心の中で呼ぶ。

 今朝の彼の顔が浮かぶ。

 コーヒーを飲む横顔、少しだけ探るような視線。

 きっと、もう気づき始めている。

 それでも彼は、踏み込まなかった。

 問い詰めなかった。

 信じるという選択を、黙ってした。

(……ずるいよ)

 そんな優しさを向けられて、

 何も考えずにいられるほど、子どもじゃない。

 ドアの向こうで、かすかな足音。

 担当者が来る気配。

 涼香は背筋を伸ばした。

 この場所で何を決めるのか。

 それを誰にも説明するつもりはない。

 ただ一つだけ、はっきりしていることがある。

(私は――)

 言葉にする前に、胸の奥で結論は固まっていた。

 彼の隣に立つ未来を、選ぶ。

 それが、どんな世界につながっていようとも。

 ノックの音がして、扉が開く。

「お待たせしました」

「……はい」

 涼香は微笑んで、頷いた。

 この午後の出来事は、

 まだ物語の中では“伏せられたまま”。

 けれど確実に、

 夜の二人の会話を、

 そして“世界を越える未来”を、

 一歩だけ前へ進める時間だった

後書きという名のお願い 面白い、こんな展開もありと思った方は 下の★マークをタップ 感想やご意見お待ちしてます

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