99話 ジャックの完全告白
――異世界・転生・神獣
朝は、まだ来ていなかった。
部屋の中は薄暗く、
外の音もほとんど聞こえない。
ジャックは、ゆっくりと息を吸った。
「……涼香」
その声には、もう迷いがなかった。
「これから話すことは、
冗談でも、比喩でもない」
涼香は、何も言わずに頷く。
逃げないと決めた目だった。
ジャックは、言葉を一つずつ置くように話し始める。
「俺は――
一度、死んでる」
空気が、わずかに張りつめる。
「前の人生があった」
「事故だったのか、病気だったのか、
細かいことはもう覚えてない」
「でも、
“終わった”という感覚だけは、はっきり覚えてる」
涼香は、息を詰めることも、口を挟むこともしない。
「そのあと、
俺は“創造神”と名乗る存在に会った」
「そこで、
次の人生を与えられた」
「……異世界で」
涼香の指が、ほんの少しだけ強く、ジャックの手を握る。
「そこは、
魔法があって、
人間以外の存在がいて、
生きること自体が、今よりずっと厳しい世界だった」
ジャックは、淡々と続ける。
「俺は、その世界で生きた」
「逃げもしたし、
戦いもしたし、
守れなかったものもある」
一瞬、声が揺れる。
「でも、
確かに“生きた”」
少し間を置いてから、核心に踏み込む。
「……その世界で、
俺は“神獣”と契約した」
涼香の視線が、まっすぐにジャックを捉える。
「フェンリル」
「魔の森の守り神で、
人を裁き、
世界を見てきた存在」
「今も、
俺の影の中にいる」
その言葉が終わると同時に、
部屋の隅の影が、わずかに揺れた。
――だが、姿は現れない。
ジャックは続ける。
「俺が今ここにいるのは、
時空を超える魔法を使ったからだ」
「前世の記憶も、
異世界の経験も、
力も、
全部、持ったまま」
「……だから俺は、
普通の人間じゃない」
すべて、言い切った。
言い訳も、逃げ道もない。
ジャックは、静かに頭を下げる。
「信じられないなら、
信じなくていい」
「怖くなったら、
離れてもいい」
「それでも、
君にだけは、
本当のことを話したかった」
沈黙が、落ちる。
数秒か、
数十秒か。
時間の感覚が、なくなる。
涼香は、ゆっくりと息を吐いた。
そして――
顔を上げ、静かに言う。
「……全部、嘘じゃないね」
ジャックは、顔を上げる。
「話し方が、
作り話の人じゃない」
「それに」
涼香は、少しだけ笑う。
「あなた、
こんな話をして得すると思ってないでしょ」
その言葉に、
ジャックの胸が、強く打つ。
涼香は、そっと彼の頬に触れた。
「異世界とか、
転生とか、
神獣とか」
「正直、
頭では追いついてない」
正直な言葉だった。
でも、続きがあった。
「でもね」
涼香は、まっすぐに言う。
「それを話すあなたの覚悟は、
ちゃんと伝わった」
「逃げなかったことも」
「私を、
子ども扱いしなかったことも」
涼香は、静かに抱きしめる。
「だから、
大丈夫」
「あなたは、
ここにいる」
「今の私を選んで、
今の世界で生きてる」
「それで、十分」
その瞬間、
影の奥から、低く重い声が響いた。
『……人の女』
フェンリルの声。
涼香は、驚きながらも、逃げなかった。
『聞いてなお、
退かぬか』
涼香は、震える声で、でもはっきり答えた。
「退かない」
『……よかろう』
影は、静かに収まる。
ジャックは、目を閉じる。
(……終わった)
同時に、始まった。
涼香は、ジャックの胸に額を預けて言う。
「これからは、
一人で背負わないで」
「異世界の話も、
神獣のことも」
「あなたの過去も、
未来も」
「一緒に、生きる」
その言葉に、
ジャックは初めて、
完全に救われた。
夜が、静かに更けていく。
窓の外では、東京の灯りが遠く瞬いている。
その光の中で、涼香はソファに座り、湯気の立つマグカップを両手で包んでいた。
ジャックは少し離れた場所にいる。
フェンリルの気配が、部屋の奥――影の濃い場所に、はっきりと満ちていた。
空気が、重い。
涼香はそれを「怖い」とは思わなかった。
ただ、**大きな存在が“見ている”**と、直感でわかる。
そのとき。
影が、ゆっくりと形を持ち始める。
黒銀の毛並み。
天井近くまで届くほどの巨体。
理性を持つ獣の、冷たくも澄んだ瞳。
フェンリルが、完全に姿を現した。
ジャックが息を呑む。
「フェンリル……」
『黙れ、主』
低く、だが威厳のある声。
フェンリルの視線は、最初から最後まで――
涼香だけを捉えていた。
涼香は、立ち上がらなかった。
逃げなかった。
目も逸らさない。
ただ、少しだけ背筋を伸ばし、言った。
「……あなたが、フェンリル」
『然り』
フェンリルは一歩、前に出る。
床が、わずかに軋む。
『我は神獣。
この男と契約を結び、
幾度も生死を共にした存在』
『貴様が触れている男は、
幾千の運命を踏み越えてきた』
『その“弱さ”も、“未熟さ”も、
我はすべて知っている』
涼香は、ゆっくりと息を吸う。
「……それでも」
その声は、震えていなかった。
「彼は、私の大切な人です」
フェンリルの目が、細くなる。
『知っている』
『だからこそ、問う』
フェンリルは、頭を低く下げ、
涼香と視線の高さを合わせた。
『人の女』
『貴様は、
この男が“人でなくなる瞬間”を
見ることになるかもしれぬ』
『世界を敵に回す選択をする日も、
血を背負う夜も、
いずれ訪れる』
『それでも』
『手を離さぬか』
部屋の空気が、張り詰める。
ジャックは、思わず一歩踏み出しかけて――
止まる。
これは、涼香自身が答える問いだ。
涼香は、ほんの少し考えたあと、
静かに微笑った。
「……正直に言いますね」
フェンリルは、黙って聞いている。
「怖いです」
「あなたも、
彼の過去も、
これから起こることも」
「全部、怖い」
一瞬、言葉を切る。
そして。
「でも」
涼香は、ジャックの方を一度だけ見て、
またフェンリルに視線を戻す。
「それでも私は、
この人と一緒にいる未来を選びました」
「守られるだけじゃなくて」
「支えるし、
止めるし、
一緒に迷います」
「……それが、恋人でしょう?」
フェンリルは、長い沈黙のあと、
深く、深く息を吐いた。
『……人とは、
つくづく理解しがたい』
そして。
巨体が、ゆっくりと伏せられる。
――頭を下げた。
『涼香』
初めて、名を呼んだ。
『我は貴様を
“主の伴侶候補”として認める』
『契約外ではあるが』
『この身が存する限り、
貴様に理不尽な害が及ぶことはない』
『それが、
我が意思だ』
涼香は、目を見開いたあと、
小さく、深く頭を下げた。
「……ありがとう」
フェンリルは、わずかに口角を上げる。
『礼を言われるのは、慣れておらぬ』
『だが――悪くない』
影が、再び溶けるように消えていく。
静寂が戻る。
ジャックは、呆然としたまま立ち尽くしていた。
涼香が、振り返って言う。
「……すごい人(?)と
知り合っちゃったみたい」
ジャックは、苦笑して頭をかく。
「……ごめん」
涼香は、そっと彼の手を取る。
「謝らないで」
「これは、
あなたの人生なんだから」
その夜。
ジャックは初めて、
“誰かと並んで立つ”感覚を知った。
後書きという名のお願い 面白い、こんな展開もありと思った方は 下の★マークをタップ 感想やご意見お待ちしてます




