第9話「放課後スイーツ巡り①」
朝、支度を終えて家を出る。
玄関のドアを閉めた瞬間、春の空気が頬を撫でた。まだわずかにひんやりしているが、陽射しは柔らかい。歩き出せば、すぐに身体が温まりそうだった。
顔を横に向けると、通学路をこちらへ歩いてくる二人の姿が見えた。陽菜と颯真だ。
「おはよー悠斗!」
「おう、おはよう」
陽菜は元気いっぱいに手を振り、颯真は軽く片手を上げて挨拶する。
「おはよ」
俺も返し、自然に三人で並んで歩き出した。
ちょうどその時、隣の家から小柄な人影が飛び出してきた。乃亜だ。
「あっ、お兄ちゃん! おはよ!」
私立清峰女子高の制服に身を包んだ乃亜は、赤いチェックのスカートをひらりと揺らしながら駆け寄ってくる。紺のブレザーにえんじ色のリボン。
その可愛らしいデザインが、童顔気味の顔立ちによく似合っていた。
「ああ、おはよう」
乃亜は俺の隣にいた二人にも気づき、ぱっと笑顔を向ける。
「あ、陽菜ちゃんと颯真くんもおはよう!」
「乃亜ちゃん、おはよう! 相変わらず悠斗と仲いいね」
「おはよ、乃亜ちゃん」
陽菜と颯真も挨拶を返す。そのやり取りに、乃亜がいたずらっぽく口元をゆがめた。
「そりゃあ夜を共にする関係ですから……ね? お兄ちゃん」
「えっ!?」
唐突な発言に陽菜が素っ頓狂な声を上げる。
「変な言い方をするな。ただ夕飯を一緒に食べただけだろ」
「なーんだ、いつものことじゃん」
「毎度よく騙されるな、陽菜」
陽菜が胸をなで下ろし、颯真は呆れ気味に言う。
「ねえねえ、お兄ちゃん。制服の乃亜、どう?」
乃亜はその場でくるりと回り、スカートの裾をひらひらさせる。思わず視線が吸い寄せられ、どきりとした。
「ああ……よく似合ってるよ」
「やった!」
乃亜はガッツポーズを決める。
「清女の制服、可愛いよね。羨ましい」
陽菜が自分の制服と見比べてため息をつく。
「制服目当てで入る子もいるらしいよ。……まあ、本当はお兄ちゃんと同じ学校が良かったんだけど、パパがね」
乃亜がしょんぼり肩を落とす。
「まあ、家は隣なんだし夜は会えるからいいだろ」
俺がフォローすると、陽菜も笑顔で乗ってくる。
「休みの日とかまた遊ぼう! 声かけるね」
「うん、ありがと。じゃあ私あっちだから行くね。みんないってらっしゃい!」
乃亜は小走りで別方向へ去っていった。駆けていく背中が、小動物のように可愛らしい。
「相変わらず“お兄ちゃん”呼びか。朝からほほえましいねえ」
乃亜の姿が見えなくなったところで、陽菜が言った。
「茶化すな」
「いいじゃない。頼られてるんだから」
颯真まで頷く。確かに可愛い女の子に慕われているのは悪い気はしない。けれど二人に揶揄われるのは、なんとなく面白くなかった。
会話が一段落し、俺たちも学校へ足を向ける。
途中、颯真が思い出したように声をかけた。
「そういや昨日、放課後どうだった? 朝霧さん案内したんだろ? グラウンドにも来てたよな」
「楽しかったよ! 校内探索して、最後に颯ちゃんの部活を見学! それからグループも結成したんだ」
陽菜が胸を張る。
「グループ?」
「そう、『夢中探し部』!」
「なんだそれ」
颯真が眉をひそめる。
「ほら、澄玲ちゃんも含めて、なんか色々しようって話!」
「なんか漠然としてるな。部活なのか?」
「部活っていうより、朝霧さんにこの辺りを案内しようって流れで……何故かグループ名が夢中探し部になった」
俺が補足すると、颯真は「なるほどな」と苦笑する。
「まあ、らしいっちゃらしい」
「でしょ! 次の活動は本日の放課後、スイーツ食べ歩きの旅!」
「へえ、楽しそうだな」
「颯ちゃんもそのうち誘うからね」
「ああ、暇なときなら付き合うよ」
そんな会話を続けているうちに校門へ着いた。
朝のざわめきに包まれた教室へ入ると、朝霧さんはすでに席についていた。
「あっ、おはようございます」
彼女は小さく頭を下げて挨拶する。
「おはよう、朝霧さん」
「おはよう」
「おはよー澄玲ちゃん!」
三人で返す。
「澄玲ちゃん、今日の放課後は予定通りで大丈夫?」
「はい、大丈夫です」
陽菜の問いに朝霧さんが笑顔で頷く。
「昨日聞きそびれたけど、甘いもの好き?」
「大好きです!」
「それなら安心。きっと楽しめると思う」
「はい、案内よろしくお願いします」
その微笑みを見た瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
* * *
休み時間。授業が終わると、教室のざわめきが一段と増す。
机を囲んで駄弁るグループや、廊下へ出ていく生徒たち。そんな喧噪の中で、自然と視線を集めているのは朝霧さんだった。
窓際の席で文庫本を開いているだけなのに、空気が違う。黒く艶やかな髪が光を受けてさらりと揺れ、細い指先がページを繰る所作まで絵になっている。
「やっぱ綺麗だよな……」
「うん。モデルとかやっててもおかしくない」
前の席の男子二人が声を潜めて囁き合う。その近くの女子たちも、憧れ混じりの視線を送っていた。
改めて周囲を見回すと、何人もの生徒がちらちらと彼女を気にしている。
……そうか。俺の感覚が間違っていたわけじゃない。
初めて会ったときから「美人だ」と思っていたけれど、やはり誰の目から見ても特別なんだな、と妙に納得した。
そんなことを考えていると、不意に名前を呼ばれた。
「……佐原君」
顔を上げると、朝霧さんがこちらを見ていた。教室のざわめきの中でも、不思議とその声ははっきりと届く。
「ん、どうかした?」
彼女は一瞬ためらい、唇を結んでからおずおずと口を開いた。
「いえ、大したことじゃないんですけど……佐原君の趣味って、何かなって」
少し遠回しな聞き方に思えたが、隠すようなことでもない。素直に答える。
「趣味か……そうだな。筋トレは趣味って言っていいかも。あと、料理もわりと好きだな」
「料理……ですか? 男の子でというのは少し意外ですね」
「うちは親の帰りが遅いからさ。自分で作るうちに自然と覚えたって感じ」
「なるほど……家庭的でいいですね」
朝霧さんはしばらく目を丸くしてから、また問いかけてきた。
「えっと、そのほかに何か、例えば――ゲームとか」
「え? ああ、まあ普通にやるよ。ジャンルは問わずって感じかな」
意図が読めず、思わず首をかしげる。
「……そう、ですか」
それ以上は言わず、小さく微笑むと再び本に視線を戻した。
なんだったんだろう。雑談にしては唐突だし、かといって深い意味があるとも思えない。
俺が首をかしげている間にも、周囲の視線はまだ彼女に集まっていた。教室にいるだけで注目を浴びる存在。
羨ましいと思うと同時に、少し大変そうだなとも感じる。
――俺はできる限り、自然体で接していこう。
休み時間のざわめきの中、ペットボトルの水を一口飲み、気持ちを切り替えることにした。




