第6話「夢中探し部」
図書館の前に着くと、廊下のざわめきがまだ続いているのに、扉の向こうからは不思議な静けさが伝わってきた。空気が一枚隔てられているだけで、雰囲気がまるで違う。
「中は声、小さめで」
俺は口元に指を当てて合図する。澄玲と陽菜が、息を合わせるように頷いた。扉をそっと開け、二人を先に通す。
受付前には返本台と掲示板。閉館時刻の札を指で示すと、朝霧さんが静かに目を向けた。
「平日は十八時まで。テスト前だけ十九時まで延長されることもある」
「なるほど」
控えめな声で相づちを打ち、掲示の文字を丁寧に追っていく。
「カードは最初だけ図書委員に申し込めば今日から使えるよ。貸出は一人五冊、二週間。延長は一回まで」
受付のカウンターを指さして説明する。
俺は館内を見回しながら、手で導線を描いた。
「自習席は奥。仕切り付きで二十席くらい。テスト前は——」
「——席取り合戦になる!」
陽菜が俺の言葉を笑い声で引き取り、声量を落としつつも表情は誇らしげだ。
「一応、テスト期間は席も増やされるけどね。それでも足りないときは全然足りない」
「そうそう。まあ、一応進学校だからな。やる気あるやつは一定数いるってことだ」
「なるほど。テスト前は早めに来るのが良さそうですね」
朝霧さんが丁寧に頷く。それだけで勉強に対しては真剣な様子が見て取れた。
「こっちは資料コーナー。受験対策本とか過去問が並んでるよ」
陽菜が棚を指さす。赤や青の背表紙が整然と並び、学年別に仕切られている。
「期末前はここも取り合いだな。家でやるならコピーを取る人もいる」
「私は書き込みたいので、家派かもしれません」
朝霧さんが小さく答え、本棚に目を走らせる。
「好きな本のジャンルとかある?」
話題を変えるように、陽菜が前置きしてから身を寄せてきた。興味津々といった表情だ。
「物語なら……ファンタジー系が結構好きです。日常から少し離れられる感じがあって」
その言葉に、意外だなと内心思う。見た目からは落ち着いた文学少女を想像していた。
「へえ、私も読むよ。でも私はラブコメの方が好きかな!」
「ラブコメもたまに読みます。良かったら今度おすすめを教えてください」
「もちろん!」
二人のやり取りを横目に時計を確認する。そろそろ次へ移る頃合いだ。
「じゃあ、図書館はこんなところかな」
「ありがとうございます。分かりやすくて助かります」
朝霧さんがきれいに頭を下げる。俺たちは来たときと同じように扉を静かに閉め、再び廊下のざわめきへ戻った。
* * *
一通り校舎内の案内を終え、最後にグラウンドへ足を向けた。
昇降口を抜けると、夕方の空気がひんやりと肌を撫でる。吐く息はまだ白くはならないが、確かに昼間とは違う冷たさがあった。
「うわ、寒いね」
陽菜が両腕を抱え、わざとらしく震えるポーズを取る。
「流石に夕方は冷えるな。上着、取りに戻るか?」
「んー、私は大丈夫。澄玲ちゃんは?」
「私も大丈夫です」
「なら、ささっと紹介だけして戻ろう」
「お願いします」
「颯ちゃんの見学にレッツゴー!」
元気な掛け声に合わせて歩き出す。
グラウンドが近づくにつれて、土の匂いが風に混じり、スパイクが地面を蹴る乾いた音が響いてきた。サッカー部の掛け声が一定のリズムで耳に届き、練習の熱気を伝えてくる。
フェンス越しに視線をやると、颯真がボールを足元で軽くトラップし、仲間とのワンツーから一気に駆け上がる。そして放たれたシュートが、勢いよくネットを揺らした。
「おっ、さっそく大活躍だね。相変わらず速いなー」
陽菜が柵に手をかけ、感心したように声を漏らす。
その様子をしばらく眺めていると、朝霧さんが小さく口を開いた。
「サッカーは詳しくないのですが……颯真君すごく上手ですね」
「まあ、エースだからな。本人は謙遜するけど」
俺はフェンス越しに目を細めて答える。持って生まれた体格に努力が重なり、中学の頃にはサッカー推薦の話も来ていた。それでも選手の道は選ばず、勉強を優先して進学校を選んだ。
「そういえば澄玲ちゃんは、部活とか入ってた?」
陽菜が思いついたように尋ねる。
「いえ、前の学校では帰宅部でした。……運動は少し苦手で」
朝霧さんは穏やかに言い、視線をピッチに残したまま口元に柔らかな笑みを浮かべた。
「あはは、確かに澄玲ちゃんは文化部っぽい!」
「よく言われます。中学では美術部に所属していました。でも高校では勉強も不安で……結局どこにも入らず過ごしてました」
そう言ったあと、ふと思い出したように俺へ視線を向ける。
「佐原君も帰宅部でしたよね。中学の時は何かされていたんですか?」
「ああ、俺も中学まではサッカーだった。けど途中で怪我して、それを機にやめたんだ」
敢えて軽く言った。もう自分の中では終わった話だ。
「今は治ってるけど、再開する気力がなくてな」
「そうだったんですね」
朝霧さんはほんの少し目を細める。その表情には余計な同情はなく、ただ受け止めてくれる温度があった。
「颯ちゃんと悠斗のコンビ、凄かったんだよ。息ぴったりで、見ててワクワクしたよ!」
陽菜が懐かしそうに声を弾ませる。
「まあ、それからは暇になったけどな。ほかに夢中になれることでも見つかればよかったんだけど」
実際、サッカーをやめてからは、どこか日々を流されるように過ごしている気がする。
それでも暗い雰囲気にしたくなくて、できるだけ軽い調子で言い切ると、朝霧さんもすぐに柔らかな笑みを返してくれた。
「いいですね。私も、夢中になれることを探しているところです」
「私も私も!」
「お前はテニスがあるだろ」
「えー、いくつあったっていいじゃん!」
確かに、と妙に納得してしまった。
「ふふ、それなら——みんなで“夢中探し部”でも結成しましょうか」
「いいね! 部長は悠斗!」
「なんでだよ」
冗談めかした朝霧さんの提案に、陽菜がすぐさま乗っかる。その軽さに俺も思わず苦笑した。
ふと見上げれば西の空は、燃える橙から群青へと溶けていく。
「っと、そろそろいい時間だな。冷える前に戻ろう」
「はい、案内ありがとうございました!」
そう言い合いながら、俺たちは教室へと急いだ。
* * *
教室へ戻ると、窓の外はすっかり暮れかけていた。机の上に置いてあった鞄を肩に掛け、忘れ物がないかざっと確認する。陽菜と朝霧さんもそれぞれ荷物をまとめ、三人並んで廊下へ出た。
昇降口を抜けると、夕方特有の冷たい風が頬を撫でていく。外灯が一つ、また一つと灯り始め、校門へ続く道を淡く照らしていた。
予定ではもっと早く終わるはずだったのに、雑談を交えながらゆっくり回ったため、思った以上に時間がかかっていた。
「結構時間かかっちゃったな。遅くなってごめん、時間は大丈夫?」
俺は朝霧さんに視線を向ける。
「大丈夫です。むしろ、お話ししながら色々見られて楽しかったです」
「ならよかった」
「私も澄玲ちゃんと話せてよかった!」
陽菜が元気よく笑う。
「ふふ、ありがとうございます。私も陽菜ちゃんと仲良くなれた気がします。これからよろしくお願いしますね」
「もち!」
そんな会話を続けながら裏門へ出る。分かれ道の前で、俺は足を止めた。
「俺と陽菜はまっすぐだけど、朝霧さんは?」
「私は右の道ですね」
「じゃあ、ここでお別れか」
「はい。今日は本当にありがとうございました」
朝霧さんはぺこりと丁寧にお辞儀をする。
その姿を見て、少し名残惜しさを覚えてしまったのかもしれない。気づけば言葉が口をついて出ていた。
「——ねえ、明日の放課後なんだけど」
一息置いて続ける。
「もし良かったら、この辺のおいしいもの、知りたくない?」
「賛成! 明日も部活ないし、食べ歩きしようよ」
陽菜が即答で手を挙げる。
「いいんですか?」
「勿論」
「それでは、ぜひお願いしたいです。まだ全然、街の散策もできていなくて……」
朝霧さんも少し頬を緩め、素直に頷いた。
「じゃあ、明日の放課後は教室集合で」
「オッケー!」
「了解です」
そこで陽菜が「あっ」と声を上げ、思い出したように朝霧さんへ向き直った。
「澄玲ちゃん、RINE交換しよ?」
「はい。佐原君も、よければ……」
「ああ」
自然な流れでスマホを取り出し、三人でRINEを交換する。画面に新しい名前が並ぶと、それだけで胸の奥が少し弾んだ。
「グループ作ったよ! 招待送るね」
陽菜が素早く操作する。スマホに通知が届き、画面には新しいグループ名が表示されていた。
『夢中探し部』
「……本当にその名前にしたのか」
俺が苦笑すると、陽菜は「いいでしょ?」と得意げに胸を張る。
「ふふ、かわいらしくて素敵だと思います」
朝霧さんが柔らかく笑い、俺は観念したように肩をすくめた。
「せっかく澄玲ちゃんと友達になれたことだし、色々遊びたいなって」
「こちらこそよろしくお願いします」
陽菜の提案に朝霧さんが丁寧にお辞儀する。
「後で颯ちゃんも勧誘したいね!」
「勝手に増えていくな……」
小さくぼやきながらも、悪い気はしない。
——明日の予定ができた。
新学期初日としては、上々の滑り出しだ。そう心の中で呟きながら、俺は家路についた。




