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RE:スタート・ブルー ―止まった僕の青春が、君と出会って動き出した―  作者: 宵宮ミレ


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第48話「キャンプ④」

 どれくらい時間が経っただろう。


 二段ベッドの下段で横になって、何度も寝返りを打つ。目を閉じては開き、枕元のスマホを見るたびに、表示される時間がほんの数分しか進んでいなくて、ため息が出た。


 山の中の夜は静かなのに、静かすぎない。虫の声や風の音が重なって、いつもの自分の部屋とは違う空気になっている。その微妙な違和感が、どうにも落ち着かなかった。


「……外の空気でも吸うか」


 小さくつぶやいて、そっと体を起こす。上段で寝ている颯真を起こさないように、ゆっくりシーツを押しのけて足を下ろした。


 スマホだけポケットに入れて、スニーカーを片足ずつつっかける。ギシ、と床がきしむ音にひやっとしたが、上から聞こえてくるのは相変わらずの寝息だけだ。


 ドアノブをゆっくり回し、息を殺すようにして男子部屋を抜け出した。


 * * *


 バンガローの外に出ると、さっきまでこもっていた室内よりも空気がひんやりして感じられた。


 空を見上げる。寝る前に窓から見たときよりも、星の数が増えている気がする。


 もう少し開けた場所の方が、よく見えるかもしれない。そう思って一歩外へ踏み出した、そのときだった。


 バンガローの入口の方で、小さくドアが開く音がした。


 振り返ると、薄手のパーカーを羽織った朝霧さんが、こちらを見て立っていた。


「……佐原君?」


「うわっ」


 思わず変な声が出る。心臓が無駄に跳ねた。


「すみません。驚かせるつもりは……」


「いや、気にしないで」


 朝霧さんは、胸の前で手を合わせるようにして、申し訳なさそうに笑う。足元はスニーカーで、さっきまでとは違うジャージ姿にパーカーを羽織っていた。


「眠れませんか?」


 少し声を潜めて、朝霧さんが尋ねる。


「まあ……そんなところ」


「私もです。いつもと音が違うからか、なんだか落ち着かなくて」


 そう言って、周りの虫の声に耳を傾けるように目を細めた。


「俺も同じ。なんか気になっちゃって」


「ふふ、仲間ですね。なら、ちょっとだけ外を歩きませんか? せっかく星がきれいですし」


 提案されて、少しだけ迷ってから頷く。


「じゃあ、ちょっとだけ」


 そうして俺たちは、バンガローの明かりから少し離れた場所へと並んで歩き出した。


 * * *


 バンガローからしばらく歩くと、視界が開けて湖に出た。


「……わあ」

「……すご」


 思わず、ふたり同時に声が漏れる。そのまま湖畔に並んで座り込んだ。


 空全体に、小さな光の点がひろがっている。それを映した湖面は夜空と同化して、境界線があいまいになっていた。


「綺麗……」


 隣で、朝霧さんがぽつりと言う。


「前住んでいたところは明るくて。夜でも、人の気配や車の音が途切れなくて。星は見えるんですけど、ここまでたくさんじゃなくて」


「都会は星が見えないってよく聞くね」


「はい。でもこちらに来て、街灯の少ない夜は思ったより暗いんだなって。それが、最初は少し怖かったんですけど……」


 言いかけて、少しだけ笑った。


「今、全部書き換わっちゃいました。綺麗で、素敵です」


「……それはよかった」


 横顔を見ると、視線は真上じゃなくて、少し斜め上あたりに向いている。星をなぞるように、視線がゆっくりと動いていた。


「まだ慣れないことも多いですけど……引っ越して来てよかったって、今はそう思います」


「例えば?」


「冬とかですね。みんな『長野は冬が本番だ』って言うので……想像がつかなくて」


「あー、それはまあ、寒いな」


 苦笑しながら答える。生まれも育ちもこの辺の自分からしても、冬は普通にきつい。


 自転車にでも乗ろうものなら、寒さで耳が取れそうになる。


「でも――」


 朝霧さんは、小さく息を吸ってから続けた。


「きっと佐原君たちと一緒なら、それも楽しいんだろうなって。今からちょっとワクワクしてます」


 一瞬だけ、こちらを見たあと、また空に視線を戻す。


「ほんと、皆さんのおかげ、ですね」


「……そうだと嬉しい」


 心のどこかが、少しむず痒くなる。


 俺も、星を見上げた。さっきまで、ただ眺めているだけで十分だった景色が、何かひとつ言葉を乗せないといけない気がしてくる。


「俺もさ」


 自分でも、少しだけ真面目な声になったのが分かった。


「このメンバーで来れて、よかったなって思ってる」


「……はい」


「いつもの感じで騒いで、なんかよく分かんないボケして、カレー作って。たぶん、他の誰かと一緒に来てたら、こんな感じにはならなかったと思うし」


 言いながら、ちょっと言い過ぎたかもしれないと思って視線を泳がせる。


 でも、もう遅い。言葉は戻ってこない。


 横から、ほんの少しだけ息を飲むような気配がした。


「……なんだか珍しいですね。佐原君のそういうところ」


 少し間を置いて、朝霧さんが静かに口を開く。


「あー、ちょっと雰囲気にあてられて。忘れてくれると……」


 気恥ずかしくなって、俺は顔を背けた。


「忘れませんよ。でも……二人だけの秘密ってことで」


 さっきよりも小さな声だった。そのまま言葉が途切れる。


 風が少し強くなって、足元の草がざわめいた。吹き抜ける空気がひやりとして、半袖の腕に鳥肌が立つ。


「……ちょっと冷えてきたな」


「そうですね」


 しばらく、ふたりとも黙ったまま星を見上げる時間が続いた。虫の声と、風の音だけが間を埋めている。


 どれくらいそうしていたか分からないが、ふと、朝霧さんの肩が小さく揺れたように見えた。


 顔を向けると、まぶたがとろんとしている。何度もまばたきして、それでも重そうに落ちかけていた。


「……眠い?」


「すみません。少しだけ、眠くなってきました」


 申し訳なさそうに笑う。話す声も、さっきより少しゆったりとしていた。


「そろそろ戻るか。風邪ひくと困るし」


「そう……ですね」


 返事をしながら立ち上がるとき、ふらっとバランスを崩しかけたので、反射的に腕を伸ばした。


「っと」


「……ありがとう、ございます」


 軽く腕を支える形になって、お互い気まずくなってすぐ離れる。


 バンガローに向かって歩き出す。足元の砂利がざくざくと音を立てた。


 その途中で、隣から小さな声が聞こえた。


「……おやすみ、RAY……」


 ささやくような、半分寝言みたいなぼんやりとした声色。


「え?」


 聞き覚えのある単語に、思わず足が止まり、顔を向ける。


 朝霧さんは、前を向いたまま。目は半分閉じかけていて、さっきよりも表情の力が抜けていた。


「今、なんて……」


 問いかけようとして、言葉が喉のところで止まる。


 RAY。オンラインゲームでの俺のハンドルネーム。


 聞き間違いかもしれない。たまたま似た響きの別の単語だったのかもしれない。


 そうやって、自分で勝手に理由を探した。


「……気のせいだろ」


 小さく息を吐いて、ひとまず飲み込む。


「行こうか」


 そう声をかけて、ふらつき気味の歩調にさりげなく合わせながら、俺たちはバンガローへ戻った。


 * * *


 翌朝は、予想通りというか、全員が全体的に眠そうだった。


「ねむ……」


 朝食のとき、陽菜はパンを持ったまま、今にもテーブルに突っ伏しそうな勢いであくびをしている。


「筋肉痛……」


 乃亜は乃亜で、「昨日はしゃぎすぎた」とか言いながら、ふくらはぎをさすっていた。


「自業自得だろ」


「うるさい。お兄ちゃんも絶対あとで来るからね、その痛み」


「俺はきちんと鍛えてるから大丈夫」


「ぐぬぬ」


 そんなやりとりをしながら、片付けや荷物の整理を済ませていく。


 チェックアウトを終え、キャンプ場を後にしてバスに乗り込むと、行きと同じ景色が逆流するみたいに窓の外を流れ始めた。


 電車に乗り換える頃には、陽菜はすでに寝息を立てていて、乃亜も数分もしないうちにうとうとし始める。颯真も窓にもたれかかって目を閉じていた。


 俺も、なんとなく目を閉じてみる。だが、結局すぐに開けてしまった。


 視線を横に向けると、朝霧さんとちょうど目が合う。


 一瞬だけ驚いたように目を丸くして、それから、ふわりと笑った。


 つられて、俺も小さく笑い返す。


 言葉は交わさない。けれど、それで十分だと思えた。


 * * *


 家に帰り着いたのは、夕方を少し過ぎた頃だった。


 荷物をざっと片付けて、シャワーを浴びて汗を流し、いつもの自分の部屋に戻る。椅子に腰を下ろすと、ようやく一息つけた気がした。


 身体は疲れているが、長年しみついた動きでパソコンの電源を入れる。起動を待っているあいだにヘッドセットを手元に引き寄せると、すぐにMistからの通話が飛んできた。


『やあ、おつかれ』


 ボイスチャットをつなぐと、いつもの落ち着いた声が耳に届く。


『おつかれ。今日は何する?』


『うーん……今日もまったり系かな』


『了解』


 短い応酬のあと、そのままいつも通りにゲームを起動した。


『……そういえばキャンプ、行ってきたの?』


 キャラクター選択画面をいじっていると、Mistが問いかけてくる。


『ああ。行ってきた』


『どうだった? リア充してきた?』


『だからリア充の基準が雑なんだよ』


 ツッコみつつも、反射的に笑ってしまう。


『まあ、楽しかったのは楽しかったよ。湖綺麗だったし』


『湖かー。いいね』


『カレーも普通にうまかったし。虫は多すぎたけど』


『あー、アウトドア最大の敵ね。虫』


 いつも通りの相づち。どこか、少しだけ嬉しそうにも聞こえた。


『夜は? 花火とかしたの?』


『花火はやらなかったな。代わりに星はすごかった』


『星?』


『街じゃ見えないくらい、やたらいっぱい出ててさ。なんか、上見てるだけで首痛くなるレベルで』


 星空の下での時間が、頭の中に少しだけ鮮明に浮かび上がる。


 隣に誰がいたか。何を話したか。


 その全部が喉まで出かかって、結局、言葉になる前に引っ込んでいった。


『……いいね、そういうの』


 Mistが、小さくそう言う。


『そっちは、あんま星見えないのか?』


『……まあね。こっちは明るいから。ビルも多いし』


 その言い方に、ほんの少しだけ既視感があった。


『でも、話聞いてるだけでちょっと行った気になれたから、まあ良しってことで』


『それでいいのかよ』


『RAYが楽しんできたなら、それで十分でしょ』


 さらっと言われて、返す言葉に一瞬詰まる。


『……まあ、楽しかったのは楽しかったな』


『ならOK』


 ふと、朝霧さんが寝ぼけて呟いた言葉が浮かんできた。


 ――おやすみ、RAY……。


 (まさかな……)


 きっと何かの聞き間違いだろう、と自分に言い聞かせて頭を振る。


 キャンプのことも、湖のことも、星空のことも。

 

 そして、こうしてゲームをする夜のことも。


 こういうのがひとつずつ増えていけば、この夏も悪くない――そんなことを、なんとなく考えた。

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