表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
RE:スタート・ブルー ―止まった僕の青春が、君と出会って動き出した―  作者: 宵宮ミレ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

31/45

第31話「行けたら行く」

 五月の風が、ほんのり汗ばむ肌に心地よかった。


 今日は朝から雲ひとつない快晴。空の青がやけに眩しくて、初夏に近い空気だった。


 昨日、陽菜から「試合見に来て!」と送られてきたRINE。

 

 「行けたら行く」と返したけれど、結局律儀に来てしまった。


 公園に併設された市営コートにつくと、すでに人で賑わっている。

 

 コートの外には荷物や水筒が並び、保護者たちの話し声とシューズが地面を踏む音が混ざり合っている。


 俺は周囲を軽く見渡したあと、観客席の端に腰を下ろした。

 

 アルミのベンチがひんやりと冷たい。


 まだ試合前のようで、いくつものコートで選手たちがウォーミングアップをしている。

 

 「ナイス!」「次!」と掛け声が飛び交い、ラケットに当たるボールの乾いた音が規則的に響いていた。


 そんな中、ひときわ通る耳に馴染んだ声が届いた。


「ナイスショット! もう一球いくよ!」


 白いユニフォームの小さな背中。

 

 髪を高く結んだ陽菜が、元気いっぱいにサーブ練習をしていた。


 ラケットを振り抜くたび、風を切る音が小気味よく響く。フォームもきれいで、ボールが弧を描いて相手コートへ吸い込まれていった。


 いつもは明るくおちゃらけているのに、今は真剣な顔でボールを追っている。


(……頑張ってるな)


 そんなことを思いながら見入っていると、ふと陽菜がこちらを振り返る。視線がぶつかり、彼女が目を丸くしたかと思うと――ぱっと花が咲くように笑って手を振った。


 不意を突かれて、俺も思わず軽く手を上げて返す。なぜか背筋がむずがゆくなった。


 やがてアップを終えた陽菜が、タオルで首筋の汗を拭きながら小走りでこちらに来る。

 

 顔は汗で少し光っていて、それでもいつものように明るい笑顔だった。


「ほんとに来てくれたんだ! ありがとっ」


「……まあ、暇だったし」


 気恥ずかしさを誤魔化すように答えると、陽菜は口元を緩めて笑った。


「ふふっ、素直じゃないな〜」


 その瞬間、背後から声が飛ぶ。


「陽菜〜、彼氏〜?」


「ち、ちがうってば!」


 振り返ると、同じテニス部の女子たちがこちらを見てニヤニヤしている。陽菜は真っ赤になって両手をぶんぶん振った。


「もうっ、やめてよ!」


 そう言いながら、ちらっと俺の方を見る。


 目が合いそうになって、俺はつい視線をそらした。居心地が悪いというより、何となく気まずい。


「とにかく、応援よろしくね! 私、がんばるから!」


「……お、おう」


 声が裏返りそうになって、咳払いでごまかす。陽菜はそんな俺を見て笑うと、またコートへ駆け戻っていった。


 白いユニフォームが陽射しに揺れて、眩しく見えた。


 * * *


 午前中の試合は順調だった。

 

 陽菜は一、二回戦を危なげなく突破していく。


 あの小さな体のどこにそんな力があるのかと思うほど、サーブは鋭く、ラリーは粘り強い。

 

 声を張り上げながらも、表情には迷いがなかった。


 観客席の端から見ているだけの俺にも、その熱は伝わってきた。コートの中で動く陽菜は、本当に生き生きとしていた。


 昼休憩を挟み、三回戦は午後から行われるらしい。

 

 俺はコンビニで買ったパンを片手に、観客席のベンチに腰を下ろして食べていた。


 しばらくすると、陽菜がタオルを肩にかけたまま走ってきた。


「どう? どう? 二回も勝っちゃったよ!」


「ああ、すごいな」


 俺は素直にそう答えた。


「でも次の相手、めっちゃ強いんだよね……」


 さっきまでの明るさが少ししぼんで、陽菜は手元のペットボトルをいじる。


「まあ、頑張れ。やれることをやればいいだけ、だろ?」


「……そうだね!」


 ぱっと笑顔を取り戻し、陽菜は背筋を伸ばす。


「じゃあ、行ってくるよ!」と声を残して、再びコートへ走っていった。


 ――そして三回戦。


 周囲の話を聞く限り、相手は大会でも優勝候補と呼ばれる選手らしい。


 最初のゲームこそ互角だったが、相手の正確なコントロールとスピードに次第に押されていく。

 

 それでも陽菜は諦めなかった。ボールを追い、ギリギリまで踏み込んで、滑り込みながら打ち返す。


 スカートの裾が風に揺れ、ラケットの打球音が空気を震わせる。

 

 額の汗が光り、それでも表情には焦りよりも笑顔があった。


 結果はストレート負け。

 

 内容を見れば本当に僅差だったが、スコアの数字は冷たく結果だけを示していた。


 だが、試合が終わったあと、ネット越しに相手と握手を交わす陽菜の姿には、悔しさよりも清々しさがあった。


 俺は観客席を降り、フェンスの外で彼女が出てくるのを待つ。タオルで顔を押さえながら陽菜が現れ、俺に気づくと少しだけ笑った。


「惜しかったな」


「うん……でも、全力出せたから悔いはないよ。次は勝つ!」


 その言葉が妙にまっすぐで、俺は思わず口角を上げる。


「流石だな」


「え?」


「そういうとこ、陽菜っぽい」


 陽菜はきょとんとしたあと、照れくさそうに頬をかいた。


「……それ、褒めてる?」


「さあな」


 俺が軽く肩をすくめると、陽菜は唇を尖らせて笑う。


 それから特に言葉もなく、俺たちは並んで観客席に戻った。まだ続く試合を、二人で黙って見つめる。


 風が少し強まり、ネットがかすかに揺れる。ボールの弾む音と審判の声が響く。


 誰かが全力で何かに打ち込む姿――それを、こうして見るのは久しぶりだ。


(いや……俺が、見ようとしなかっただけか)


 そんな考えが浮かんで、思わず自嘲めいた笑みが出る。


 隣を見ると、陽菜は真剣な表情でコートを見つめていた。きっと少しでも何かを吸収しようとしているのだろう。


 その横顔がまぶしく見えて、ほんの少し、遠くへ行ってしまったように感じる。


「ん? なんかついてる?」


 視線に気づいた陽菜が首を傾げた。


「あ、ああ。髪に何かついてるぞ。そこ」


 反射的に誤魔化すと、陽菜は慌てて指先で髪を払う。


「えっ、嘘、どこどこ?」


 その必死な姿がどこか小動物を想起させ、思わず苦笑が漏れる。


 ――やっぱり、いつもの陽菜だな。


 少しだけ肩の力が抜けた。


 * * *


 すべての試合が終わり、夕方の会場には静けさが戻っていた。風の音と、遠くでボールを片付ける音だけが響いている。


 陽菜はミーティングがあると言って、少し前に部員たちのもとへ戻っていった。


 俺はベンチに腰を下ろしたまま、コートの照り返しが薄れていくのをぼんやり眺めていた。


(……そろそろ帰るか)


 名残惜しさを感じつつも腰を上げる。そのとき、フェンスの向こうでミーティングを終えた陽菜の姿が目に入った。


 陽菜はこちらに気づくと他の部員と少し話してから、スポーツバッグを揺らしながらこちらへ駆けてくる。


「悠斗、一緒に帰ろ!」


「ほかの部員と帰らなくていいのか?」


「今日は現地解散だから大丈夫。ちょっと冷やかされたけどね」


 苦笑いしながら、陽菜は前髪を指でかき上げる。汗のあとがまだ少し残っていて、それが少しだけ色っぽく映った。


(って何を考えてるだ俺は)


 頭を切り替えて口を開く。


「ん、なら帰るか」


「うん!」


 並んで歩き出す。公園を離れた途端、静けさの中に生活の匂いが戻ってきた。

 

 夕飯の香りが風に混じり、家々の窓から明かりが漏れている。


「あー、悔しい!」


 陽菜が両腕を空に伸ばして、思い切り息を吐いた。


「さっき悔いはないって言ってただろ」


「それはそれ、これはこれ! 今思えば“ああしとけばよかったな”とか山ほど出てくるんだよ。帰ったら反省会だね!」


 ケロッとした口調に、思わず苦笑が漏れる。その明るさに、試合中の真剣な表情が少し重なって見えた。


 しばらく言葉を交わさないまま歩く。


 街灯がひとつ、またひとつ灯りはじめたころ、陽菜がぽつりとつぶやいた。


「……来てくれてありがと。ほんとは来てくれないと思ってた」


「……そうか」


 素直に返すと、陽菜は少しだけ歩調を緩め、視線を足元に落とした。


「悠斗、やっぱり少し変わったね」


「え?」


「前より楽しそう。……なんか、いいことあった?」


 急にそんなことを言われて、答えに詰まる。ごまかすように息を吐き、口角を上げた。


「そう見えるか?」


「うん。なんというか、顔が柔らかくなったよ」


 夕焼けが沈みかけた空の下、陽菜の横顔が穏やかに照らされている。頬がわずかに赤く、どこか照れくさそうだった。


 俺は何も言わず、足元に伸びる二人の影を見つめた。


 並んでいるのに、少しだけ距離がある――そんな影。


 分かれ道に差しかかると、陽菜が振り向いた。


「また試合あるとき、呼ぶね」


「……行けたら行くよ」


「またそれ〜。でも、ちゃんと期待しとく。……今日も勇気出たよ、ありがとね」


 笑顔でそう言うと、陽菜はバッグを背負い直し、軽く手を振った。そのまま夕焼けの中を歩き出す。


 長く伸びた影がかすかに俺の足元と重なり、すぐに離れた。


 俺はしばらくその背中を見送っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ