第3話「道案内屋さん、昼の部」
ホームルームが終わると同時に、隣の朝霧さんへ声をかけた。
「朝霧さん、今ちょっといい?」
「なんでしょう?」
彼女がこちらに体を向ける。姿勢が正しくて、動きのひとつひとつが丁寧に見えた。
「昨日は名前も名乗らずに別れたからさ。改めて自己紹介しとこうかと思って。俺は佐原悠斗。よろしく」
「はい、よろしくお願いします、佐原君。私は……先ほども紹介がありましたが、朝霧澄玲です。昨日は助けていただいて、ありがとうございました」
ぺこりと、きれいにお辞儀をする。
「いえいえ、あれくらいどうってことないよ。あ、同じ二年なんだから敬語使わなくても大丈夫」
「あ、すみません。でも、これは癖みたいなものなので……気にしないでいただけると助かります」
「……なんか、お嬢さまっぽいね」
「ええっ、そんなことないですよ。一般家庭の生まれです」
そこへ、いつの間に来ていたのか、陽菜が口を挟んだ。
「あれっ、二人とも知り合いなの?」
「ああ、昨日ちょっとな」
「なにそれ、聞いてなーい。……まあいいや。悠斗、紹介してよ」
「はいはい」
俺は改めて朝霧さんの方へ向き直る。
「こちら、宮坂陽菜。俺の幼馴染で腐れ縁。……まあ、いい奴だから何かあったら相談相手にはちょうどいい」
「なんか引っかかる言い方ー! まあいいや。紹介にあった通り、宮坂陽菜です。よろしくねー」
「はい、よろしくお願いします。宮坂さん」
「えー、苗字呼びはちょっと距離感じるなあ。陽菜って呼んでよ!」
いつもの陽菜らしい。距離感ゼロのコミュ力は健在だ。
「えっと……じゃあ、ひ、陽菜ちゃんで」
その答えに陽菜は満面の笑顔になった。
「うん! 私も澄玲ちゃんって呼んでもいい?」
「大丈夫ですよ」
そのやり取りに、これまたいつの間にか来ていた颯真が口を挟む。
「朝霧さん、こいつはグイグイくるから嫌なら嫌って言っていいから」
「何それ、心外なんですけど!」
陽菜がふくれっ面をする横で、颯真は俺を見て言った。
「悠斗、俺も紹介してくれ」
「はいはい。朝霧さん、こっちは神谷颯真。俺の幼馴染その二。見ての通りスポーツマンで、サッカー部のエース」
「よろしく、朝霧さん。エースはちょっと言いすぎだけど」
「はい、よろしくお願いします、神谷君。……確かに身長高くて、がっちりしてますね」
「ああ、サッカー部でビシバシ鍛えられてるからな。悠斗と陽菜とは長い付き合いで、大体いつも一緒にいる。でも気にせず朝霧さんも話しかけてくれると嬉しい」
「はい、ありがとうございます」
「ねね、澄玲ちゃん、色々聞きたいことが……」
待ちきれないとばかりに陽菜が口を開いたその瞬間、予鈴が鳴った。
「あー、時間切れ……」
陽菜が残念そうに唇を尖らせる。
「はいはい、続きはまたあとでな」
俺が追い返すようにジェスチャーすると、陽菜は渋々席に戻り、颯真もその後に続いた。
「……仲が良いんですね」
「あー、小学校からずっと一緒だから自然とね。まあ喧嘩も結構するけど」
「そこは“喧嘩するほど仲が良い”とも言いますよね」
「まあ、仲がいいのは否定できないかな。なんだかんだいい奴らだし。だから朝霧さんもすぐ仲良くなれるよ」
「はい、ありがとうございます。初日で緊張していたんですが……佐原君たちのおかげで少しほぐれました」
そう言って、朝霧さんが柔らかく微笑んだ。
ちょうどその時、先生が入ってきて会話は強制的に打ち切られた。
* * *
それから何度か休み時間に会話を挟みつつ、時間は過ぎていった。
お昼休みのチャイムが鳴り終わると同時に、ざわざわと教室が緩む。
椅子を引く音、弁当袋を開く音、購買に走る足音。
二年の最初のお昼休みは、クラス替えをしたばかりでまだグループが固まりきっていないからか、どこか落ち着かない空気に包まれていた。
「さーて! 待ちに待ったお昼だー! 澄玲ちゃんはお弁当?」
そんな中、陽菜はいつもの調子で俺の机をとんとん叩き、目を輝かせる。ポニーテールが揺れるたび、すでに浮かれているのが分かる。
「いえ、食堂があると聞いていたので、そこに行ってみたいなと。もしくは購買でも」
「おっけおっけー。じゃあ私たちと一緒に行こ! 大体いつも悠斗と食堂で食べてるんだ」
陽菜は隣の席にいる朝霧さんへ、にこっと笑顔を向けた。
「はい。よろしくお願いします」
朝霧さんは落ち着いた声で応じ、軽く会釈する。姿勢がきれいすぎて、ただの昼誘いでも妙に品がある。
俺は肩をすくめつつ立ち上がった。
「じゃあ案内係の俺が先導するよ」
「あ、ちなみに颯ちゃんは美羽ちゃんと食べるって先に出ていったよ」
「リア充が……あ、颯真の彼女ね」
颯真にはギャル系の美人彼女がいる。妬ましい。
その旨を朝霧さんに説明すると、彼女はわずかに驚いたように目を丸くした。
「なるほど、神谷君は彼女さんがいるんですね。……あれ? 陽菜ちゃんと佐原君は付き合ってはいないんですか? もしかして私、お邪魔虫?」
ふと疑問に思ったのか、朝霧さんが小首をかしげる。悪気のない声色がかえって直球に響いた。
「いやいや無い無い! 悠斗とは付き合ってないよ。ただの幼馴染!」
陽菜が両手をぶんぶん振って全力で否定する。
……事実だけど、そこまで拒否られるとちょっと心にくるな。
まあ陽菜は他の男子からも人気があるし、変な勘繰りをされたくないのだろう。
朝霧さんも「あ、そうなんですね」と小さく頷き、納得したようだった。
「……まあ、そういうことだから気にしなくていい。さっさと行こうぜ。混むとめんどくさい」
三人で列を作り、教室を出る。廊下の窓から差し込む光がまぶしかった。
俺のすぐ後ろに朝霧さん、その隣に陽菜が並ぶ。小柄な陽菜が矢継ぎ早に話しかけ、それに朝霧さんが丁寧に返す。俺はただ前を見て歩く。その並びは自然にできていた。
階段を下りると、食堂の熱気が遠くからでも分かる。
——昼の食堂は戦場だ。
入口前にはすでに列ができていた。食器がぶつかる甲高い音、人のざわめき、カレーと揚げ油の匂い。
湯気が制服の布にまとわりつき、外の冷え込みを忘れさせる。窓際の席は次々と埋まっていった。
「まず券売機! 並びは二列、ちゃんと詰めないと怒られる文化ね」
陽菜が指差しで解説する。
「券売機は硬貨の方が早いんだ。ポンコツだから札だと結構エラーが出る。小銭ある? 無ければ両替するよ」
俺が声をかけると、朝霧さんは一瞬だけ驚いたように目を丸くし、すぐに柔らかく頷いた。
「なるほど……助かります」
その受け答えがあまりにきちんとしていて、思わずこちらも姿勢を正してしまう。
小銭を手に、トレーを取る。さて今日は何にしようか——そんなことを考えているうちに、列がじわじわと進んでいった。
「さて、澄玲ちゃん、何にする?」
陽菜がようやくたどり着いた券売機を指差す。ポニーテールがぴょんと跳ね、待ちきれない様子が伝わってくる。
「わあ、たくさんメニューがありますね……。迷ってしまいます」
初めての食堂らしく、朝霧さんは慎重にボタンの並びを見比べている。
「俺のおすすめは蕎麦かな。特に春限定の山菜蕎麦は美味いよ。定番のカレーとかラーメンもアリだな」
俺は自分の分を買いながら、さりげなく助言する。
「私は唐揚げ派! 胃は青春!」
陽菜がドヤ顔でボタンを叩く。唐揚げ定食のランプが光り、券がするりと出てきた。
「あ、アレルギーとか、苦手なものはない?」
俺が念のため尋ねると、朝霧さんはわずかに目を瞬かせてから、控えめに首を横に振った。
「大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
「なら良かった」
彼女は少し迷ったあと、はっきりと答える。
「では……佐原君おすすめの山菜蕎麦にします」
「二人とも蕎麦? 健康的だねー。私は揚げ物で突っ走るけど!」
陽菜が茶化して笑う。食券が次々に出てきて、手の中に紙の感触が残った。
温かい蕎麦の香りを想像しただけで、腹が一気に空いてくる。
朝霧さんは受け取った食券を胸の前で大切そうに持ち、俺の方へ小さく微笑んだ。
「お蕎麦、楽しみです」
その一言に、不思議と肩の力が抜けた。




