第27話「連休、小さな旅②」
駅前を抜け、善光寺へ向かって歩き出す。
長野の街は歩道も広く、どこかゆったりとした空気が流れていた。
ビルの合間から覗く山の稜線は薄く霞み、通り沿いにはカフェや土産屋が並んでいる。
行き交う人々の笑顔と、連休らしい賑わい。どこを見ても明るい色があふれていた。
「ねえ、見て見て! あそこにソフトクリーム屋さんある!」
陽菜が声を上げて指さす。
カラフルな旗が風にはためき、小さな店の前には家族連れの列ができていた。
「抹茶味に栗味……気になる!」
「栗も有名なんですか? おいしそうですね」
朝霧さんが興味深そうに看板を覗き込む。
「ああ、この辺り、栗の名産地があるんだ」
そう答えると、乃亜が俺の腕を軽く引っ張った。
「お兄ちゃん、後で食べようね!」
すでに次の予定を決めた顔で笑うその様子に、思わず苦笑が漏れる。
歩くたびに目を奪われるものが増えていく。
まんじゅうの湯気、焼きたての甘い香り、搾りたてのリンゴジュース――どれも新鮮で、五感が次々と刺激される。
「善光寺まで二十分って言ってたけど、寄り道したら永遠に着かなさそうだな」
颯真が笑い混じりに言う。
「まあ、それも旅の醍醐味ってやつでしょ!」
陽菜が両手を広げて笑う。その明るさにつられて、俺も自然と口元が緩んだ。
やがて、善光寺へ近づくにつれて通りの雰囲気が変わっていく。
GWイベントで、表参道沿いには色とりどりの花が飾られていた。チューリップ、ビオラ、マーガレット……まるで花の絨毯のように並び、歩くだけでも目を奪われる。
「わあ、きれい……」
朝霧さんが小さく息をのむ。淡い風が吹き抜け、黒髪の先をそっと揺らした。
「んー、いい香り。こういうの、癒されるね」
乃亜がスマホを構えながら笑うと、陽菜も頷いた。
「ね、歩くだけでも楽しい。観光って感じする!」
「いいね。写真、あとでアルバムに追加しといてくれよ」
「はーい!」
明るい声が花の並ぶ通りに響く。人の多さも気にならないほど、みんな楽しそうだった。
そんなふうにのんびり歩いていると、気づけば時計は正午近く。
「そろそろお昼にしない?」
陽菜の言葉に、乃亜が即座に手を挙げる。
「お蕎麦! 食べたい!」
「ちょうどいいな。善光寺の手前に蕎麦屋多いし」
颯真が周りを見渡しながら、一軒の暖簾を指さした。
白壁の古民家風の店構えに、木製の看板で「信州手打ちそば」とある。
俺がスマホで調べると、評価も高く雰囲気も良さそうだった。
「ここ、口コミもいいし、人気みたいだ」
「決まりだね!」
陽菜が嬉しそうに頷き、先頭に立って暖簾をくぐる。
店に入ると、木の香りがふわっと広がった。壁には古い写真や短冊が飾られ、テーブルにはそば湯のポットが並んでいる。
「わあ……いい匂い」
朝霧さんが思わず呟く。
ちょうど席が空いていたようで、店員さんがすぐに案内してくれた。
腰を下ろすと、木の椅子が小さく軋む音を立てる。
メニューを開いた瞬間、五人の視線が一斉に文字へ吸い寄せられた。
「俺は天ざるかな。蕎麦大盛で」
「王道だな。じゃあ俺はざる蕎麦特盛で」
俺と颯真は、迷わずがっつり系。
「私は山菜そば! 温かいのが食べたい」
「乃亜は天ぷら蕎麦!」
「うーん……私はざる蕎麦にします」
全員の注文がそろったところで、店員さんが笑顔でオーダーを取っていった。
湯呑みから立ちのぼる湯気が、ほっとする香りを運んでくる。
窓の外には、春の光が格子越しに差し込み、ゆっくりとした時間が流れていた。
* * *
「はあ〜、おいしかったねぇ!」
店を出た瞬間、陽菜が幸せそうに伸びをした。
「天ぷらサクサクだった!」
「東京で食べたお蕎麦と全然違いました。香りが上品で、とても美味しかったです」
乃亜が満足げにお腹をさすり、朝霧さんが嬉しそうに微笑む。
「そういえば――」と、朝霧さんが少し首を傾げて言った。
「蕎麦湯をそのまま飲むのは、初めて見ました」
「え、そうなの?」
陽菜が目を丸くする。
「はい。蕎麦つゆで割るくらいで……あんなふうに湯呑みに注いで飲むなんて新鮮でした」
「あー、こっちじゃけっこう普通かも。栄養もあるし、最後の締めって感じだな」
颯真が軽く説明すると、朝霧さんは「なるほど……」と感心したように頷いた。
「もちろん蕎麦つゆで割るのも美味しいけどね。うちの爺ちゃんは塩分が気になるからって、いつもそのまま飲んでた」
そんな小話に笑いがこぼれる。
腹も満たされ、全員の表情がどこか柔らかかった。
「さてと、行くか」
俺の一言に、みんなが一斉に頷く。
通りを抜けると、正面に善光寺の門が姿を現した。
「あ、見えてきた!」
陽菜が思わず声を上げる。
大きな山門の向こうに、本堂の屋根が青空を背景にそびえていた。連休の人出で参道は賑わっていたが、その喧騒すらもどこか心地いい。
門をくぐると、道の両側に土産屋や甘味処が軒を連ねていた。焼き団子の香ばしい匂いと、スイーツの甘い香りが風に混ざって流れてくる。
「ここが仲見世通りですか?」
朝霧さんが周囲を見回しながら尋ねる。
「ああ、そうだな。参拝客向けの店がずらっと並んでる」
「見て見て! アップルパイだって!」
「こっちは味噌ソフトクリーム!」
「お前ら、まださっき昼食べたばっかだぞ……」
俺が苦笑すると、颯真も肩をすくめて「元気だな」と笑う。
そのすぐ隣で、朝霧さんが静かに笑みを浮かべていた。
「……楽しそうですね」
「まあ、いつものこと。こういうときの陽菜と乃亜は止まらないから」
俺が言うと、颯真が肘で軽く突いてくる。
「お前も似たようなもんだろ。甘いの好きだし」
「それは否定できない」
そんな他愛ない会話をしながら、先にお参りを済ませることにした。
手水舎で冷たい水に触れ、指先をすっと清める。お線香の香りが漂い、どこか懐かしい気持ちになる。お賽銭を投げ、それぞれが思い思いに手を合わせた。
「陽菜ちゃんは何お願いしたの?」
「それ言ったら叶わないんだってば」
「ずるい〜!」
乃亜が頬を膨らませ、陽菜が笑う。朝霧さんは静かに手を合わせ、ほんの少し目を閉じていた。
お参りを終えると、境内の売店でお守りとおみくじを買うことに。
「私は健康守! これで部活も安泰!」
「私は学業のを買います」
「乃亜はおみくじ〜! みんなも引こうよ、勝負しよ!」
「勝負と聞いたら燃えるな」
颯真が妙に真顔で立ち上がる。
「いや、そこで闘志燃やすなって」
俺がツッコむも聞く耳を持たない。結局、全員でおみくじを引くことになった。
「せーので開けるよ? せーの!」
乃亜の掛け声と同時に紙を開く。陽菜は中吉、颯真は吉、俺は小吉。
「あっ、大吉です!」
朝霧さんが嬉しそうに見せてきて、拍手が起こる。颯真が「やるな」と悔しそうに眉を下げた。
「えっ、乃亜は……凶!? おかしい、課金して引き直す!」
「そんなガチャじゃないんだから!」
おみくじをもう一枚引こうとする乃亜を、俺は慌てて止めた。
ひとしきり笑い合ったあと、朝霧さんが控えめに言う。
「あの……善光寺を背景に、みんなで写真撮りませんか?」
「いいね!」
陽菜が即答し、颯真が頷く。
「インカメだと入りきらないな」
「任せて!」
陽菜が通りすがりの観光客に声をかけ、すぐに快諾をもらった。
「ありがとうございます!」
颯真がスマホを預け、全員で並ぶ。陽菜がピース、乃亜がハート、朝霧さんは控えめに微笑み、俺は颯真と肩を組んだ。
「はい、チーズ!」
カシャッという音とともに、今日の思い出が一枚の写真に収まる。
撮ってくれた人にお礼を伝え、スマホを受け取った。
画面の中では、全員が本当に楽しそうに笑っていた。
「いい写真だな」
「うん、RINEのアルバムに入れよ!」
境内を出て再び仲見世通りへ戻る。甘い香りが漂い、観光客の列をすり抜けながら歩いた。
「さあ、メインイベントだよ! アップルパイ待ってて!」
「ソフトクリームも行くでしょ!」
陽菜と乃亜が勢いよく駆け出す。朝霧さんも思わず笑いながら後を追った。
「ほんと、元気だな」
「楽しそうで何よりだ」
俺と颯真は顔を見合わせて笑い、少し遅れてついていく。
女子三人はすでにベンチでスイーツを手にしていた。陽菜が焼きたてのアップルパイを差し出してくる。
「はい、颯ちゃんと悠斗の分!」
「サンキュ」
一口かじると、外はサクサク、中のリンゴがとろりと甘い。熱と香りが広がり、自然と頬がゆるんだ。
「ん〜、しあわせ〜!」
「おいひい……」
乃亜は夢中でパイにかじりついており、小動物みたいで可笑しい。
「……本当に、美味しいです」
朝霧さんはゆっくりと味わい、唇に微笑を浮かべた。
その穏やかな表情に、陽菜がふっと笑う。
「澄玲ちゃん、今日なんだかすっごく楽しそう」
「はい。皆さんと来られて、嬉しいです」
そのやり取りに、胸の奥が少し温かくなった。
食べ終えると、女子三人は雑貨屋のほうへ吸い込まれていく。
和柄のハンカチ、金魚のキーホルダー、ガラス細工の鈴――どれも可愛らしい小物ばかりだ。
「見て見て、このストラップかわいい!」
「おそろいにしよっか!」
そんな声を聞きながら、俺と颯真は少し離れた場所でその様子を見守る。
「楽しそうだな」
「悠斗も行ってこいよ」
「いや、あの輪に入る勇気はない」
「じゃあ、俺とおそろいのキーホルダーでも買うか?」
「勘弁してくれ」
俺は笑って肩をすくめた。
――こうして、善光寺の参道で過ごす時間は、あっという間に過ぎていった。
* * *
気づけば、夕暮れの光が街をやわらかく染め始めていた。昼間のにぎわいが少し落ち着き、人の流れもゆったりしている。
「いっぱい歩いた〜! でも楽しかったね!」
陽菜が大きく伸びをして、笑顔を弾ませる。その声に、乃亜が両手を広げながらうなずいた。
「お腹も心も満タンって感じ〜」
「同感。……ちょっと食べすぎたけどな」
颯真が苦笑しつつお腹を押さえると、全員から笑いがこぼれた。
足は少し疲れているのに、心のどこかが満たされている。
「また行こうね、こういうの」
陽菜の何気ない一言に、みんなが顔を見合わせる。
「――はい、ぜひ!」
朝霧さんが誰よりも早く返事をした。思ったより声が大きかったのか、頬を少し赤らめて俯く。
その様子に、自然と空気がやわらいだ。
(今日は、楽しんでもらえたみたいだな)
みんなの笑顔を見て、胸の奥でそっと安堵する。
“輪”の中心には、確かに温かさがあった。
* * *
帰りの電車に乗ると、行きよりも人が多く、車内には心地よいざわめきが漂っていた。
五人でどうにかボックス席を見つけ、向かい合う形で座る。とはいえ、四人掛けの狭いスペースだ。
「俺は立ってるよ」
颯真がさらっと言って立ち上がる。さすが運動部、最後まで元気だ。
「助かる。ありがとう」
俺がそう言うと、彼は「気にすんな」と手を振った。
「ふぁぁ……眠い……」
乃亜があくびをしながら、一番に座席へ沈み込む。
目をこすったと思ったら、あっという間にコトンと肩を落とし、眠ってしまった。
「私も限界かも……」
陽菜もその隣に腰を下ろし、乃亜にもたれかかるように目を閉じる。
二人が寄り添って眠る姿は微笑ましい。
「乃亜ちゃんと陽菜ちゃん、寝ちゃいましたね。なんだか本当に姉妹みたいです」
俺の隣に座る朝霧さんが、小声でそう言って笑う。
そういう彼女も昼間よりも少しだけ、まぶたが重そうに見えた。
「朝霧さんも、疲れてない?」
「……すみません。私も少し、はしゃぎすぎたみたいです」
そう言って目を細める彼女の表情は、どこか柔らかかった。電車の揺れに合わせて黒髪がさらりと揺れ、頬をかすめる。
車窓の外から差し込むオレンジ色の光が、その横顔をそっと照らしていた。
やがて、彼女のまつ毛がゆっくりと伏せられる。うとうとと船をこぎ、やがて頭が俺の肩にふわりと触れた。
――心臓が、跳ねる。
けれど、無理に離すのも不自然だ。微妙な距離感に戸惑いながら、俺は息を潜める。
車窓の外では、茜が群青に溶けていく。
その色の変化が、今日という一日の余韻のように見えた。
隣からは小さな寝息。
そのリズムに合わせるように、胸の鼓動も静かに落ち着いていく。
ただ並んで座っているだけなのに、どうしようもなく満たされている――そんな不思議な感覚だった。
俺は窓の外を眺めながら、隣の温もりを意識しないふりをする。
それでも、身体のどこかが確かに覚えていた。
そして気づけば、俺自身もまぶたが重くなっていた。
夕暮れの電車は、一定のリズムで上田へと走り続けた。
今日という一日が、穏やかな記憶の中に溶けていくように。




