第2話「幼馴染、隣の席、春の匂い」
アラームが鳴る前に目が覚めた。
キッチンに降りると、テーブルの上にラップをかけたトーストとスクランブルエッグ、味噌汁の鍋。メモが一枚。
「先に出ます。レンジで温めてね。お昼代置いておきます。いってらっしゃい——あなたの愛する母より」
うちの両親は共働きで、朝は早く夜は遅い。時間が合うのは、週末くらいだ。
こういうやり取りが、うちの“朝の会話”みたいなものになっている。
まあ、そんな生活にも慣れた。
レンジで温めながら顔を洗い、ぱぱっと食べて、制服に袖を通す。鏡の前でネクタイを整えて、鞄を準備。よし。
玄関を開けると、ちょうど二人が門の前にいた。
「おはよー、悠斗!」
大きく手を振っているのは、宮坂 陽菜。明るい茶色のポニーテールがトレードマークで、表情がころころ変わる。制服の上にカーディガンを羽織った少しラフな着こなしで、朝から相変わらずテンションが高い。
「起きてたか」
隣で静かに頷くのが、神谷 颯真。長身で、短めのベリーショート。スポーツで焼けた肌が健康的だ。相変わらず、落ち着いている。
二人とも小学校の頃から一緒のいわゆる幼馴染だ。特に意識しているわけではないが、なんだか一緒にいて心地よい、そんな気心の知れた友人。
「二人とも、おはよう」
俺はあくび混じりで返事をする。
「あー、大きなあくび。始業式だよ? シャキッとしないと!」
陽菜がジト目で言う。
「昨日遅かったんだよ。仕方ない」
「またゲームでしょ?」
「正解」
「まったく、春休みの最後の日くらい早く寝なよー」
呆れたように陽菜が呟く。
「仕方ないだろ、盛り上がっちゃったんだから」
「飽きないわねー」
「まあまあ、悠斗の寝不足はいつものことだろ」
「そうそう」
「それ自分で言う……?」
陽菜が俺にちょっかいをかけ、横から颯真がぽつりと呟く。これが俺たちのいつもの日常だ。
歩きながらも雑談を続ける。
「クラス分けどうかなあ。また一緒だといいけど」
陽菜が少し不安そうに言う。
「心配しても仕方ない。でもなんとなく一緒な気がするな」
俺は陽菜の言葉を聞きつつ適当に返す。
「まあなんだかんだ腐れ縁だよな俺ら」
颯真もそれに同意する。
「そうだね! むしろ早く見たくなってきた」
切り替えが早いのが陽菜の良いところだ。
学校に着くと、掲示板の前に人だかり。
身長の低い陽菜がぴょんぴょんする。少し可愛い。
「見えない~~」
「ちょっと待ってろ。——持ち上げるぞ」
「え、ちょ、待っ——わわっ!」
俺は陽菜の腰に手を添えて持ち上げた。平均より小さい陽菜を支えるくらい、余裕だ。
「ちょ、急に持ち上げないでよ!」
「今、言っただろ。これで見えるなら早く教えてくれよ……相変わらず軽いなあ」
「重いよりマシでしょ!! 全く、乙女に無断で触るなんて信じられないんだから!」
「はいはい、文句はあとでな。それよりクラス、どうだ?」
「むぅ……え~っと、わ、今年もみんな同じだ! 二年B組!」
「おー、良かったな」
「うん!」
そう言って俺は陽菜を降ろす。
「お前ら、相変わらず仲が良いな」
颯真はくくっと笑いをかみ殺していた。
三人とも同じクラスで、ほっと胸をなで下ろす。ひとまず教室へ向かった。
入り口の脇に座席表が貼られている。自分の名前を探して——すぐ見つかった。一番後ろ、窓側の右の席。
ただ、その左隣に、見覚えのない名前があった。
——朝霧 澄玲
(あー……もしかして)
なんとなく、——昨日の白いカーディガンを着た女の子が、胸の奥に思い浮かんだ。
もしかしたら、同じ学年の知らない女子というだけかもしれない。
昨日は名乗っていないし一旦保留。そういうことにして、ひとまず席へ。
荷物を置くと、陽菜が俺の席に来て机をとんとん叩いた。
「悠斗の隣、知らない子の名前だね。転校生かな?」
女子の陽菜が知らないということは、確定っぽい。
「そうっぽい」
「挨拶、ちゃんとしなよー?」
「お前、俺の事どう思ってるんだ」
「うーん、手のかかる弟? とか?」
「……」
自分より20cmも背が低い女子に弟扱いされるのは何となく心外だった。
「予鈴、あと一分だぞ」
俺がそういうと陽菜は慌てて自分の席に戻っていった。
チャイムが鳴り、ドアが開く。
担任——丸メガネの国語科、岸本先生が入ってきて、出席簿を抱えたまま軽く会釈。
「おはよう。今日から二年生の諸君。そろそろ受験も視野に入ってくるのでしっかりと一年励みましょう。——それと、ひとり紹介があります」
先生の後ろから、見慣れない女子生徒が一歩進む。
背中まで伸びたロングのつやのある黒髪。パリッとした白いシャツに紺のリボン。制服の着こなしは正しく、姿勢はまっすぐ。
ひときわ目を引くのは、その顔立ちが整っているからか。教室のざわめきが一段下がるのが分かる。
「朝霧 澄玲さんです。ご家庭の都合で転校してきました。今日からこのクラスに編入です。みんな仲良くやるように」
黒板に名前がチョークで書かれる間、彼女は静かに深呼吸をして——顔を上げた。
「はじめまして。朝霧澄玲です。まだ引っ越してきて日も浅いので、ご迷惑おかけするかもしれませんが、よろしくお願いします」
パチパチと、簡単な拍手が広がる。先生が席次表を確認し、手元の名簿をめくる。
「席は……一番後ろの窓側の席。——佐原の隣だな」
先生が俺の隣の空席を指さす。俺の心拍が一段だけ上がった。
彼女は教室の視線をまっすぐ受けながら、俺の方へ歩いてくる。机の横でほんの少しだけ会釈して、椅子を引いた。
座る前、目が合う。昨日と同じ、涼しい目元。
彼女は小さく口角を上げて——
「こんにちは、道案内屋さん。またお会いしましたね」
思わず、こちらも笑ってしまう。
「ようこそ。……思ったより早い再会ですね」
「確かに」
そう言って、お互いに小さく笑い合った。クスッと手を口にやる仕草も、どこか上品だ。
「それから——佐原、校内案内、頼めるか。保健室や購買の場所を一通り」
——どうやら今日も引き続き、俺は道案内屋さんらしい。
「了解です」
そう返事をすると先生が頷いて、出席番号と提出物の説明が始まる。
始業式の午前中。教室の空気はまだ新しい。
窓の外の風はまだ冷たかったが、その奥に、確かに春の匂いがした。




