第18話「背中を預けて」
夜九時半。乃亜が帰り、シャワーを浴びた俺は、いつものようにパソコンの前に腰を下ろした。
ボイスチャットを確認すると、すでにMistが入っている。慌ててヘッドセットをかけ、通話に参加した。
『おつかれ、Mist。今日もよろしく』
『……おう、おつかれー』
短い挨拶。それでも、いつもの距離感が心地いい。
『今日は何やる? 箱庭かFPSか。他になんかあるか』
『FPSがいい。なんとなく動きたい気分』
『了解。気が合うな。俺も撃ちたかったところだ』
『おっけー。じゃあちょうどいいな』
そんなやり取りを交わしながらゲームを起動する。画面にはロードを示すプログレスバーが伸びていく。
手持ち無沙汰になった俺は、自然と今日あったことを話題にした。
『今日、花見行ってきたんだよ。人やばかったわ』
『……へえ、いいな。どうだった?』
『友達と行ったんだけどさ、楽しかったよ。まあ花より団子だったけどな』
『まあ、普通そうなるだろ。メインは屋台飯だ』
『違いない』
お互いに笑う。ロードが終わり、画面は戦闘準備へと切り替わった。
『招待、送るわ』
『頼む』
チームを組んで、いよいよ試合開始。
まずは仲間の動きを確認しながら、俺がMistに声をかける。
『右、高台取るぞ』
『了解、カバーする』
相手も同じ場所を狙っていたようで、初手から交戦になった。
俺は反応速度や射撃の精度に自信がある。ソロでもある程度は勝てるし、FPSに関しては自分で言うのもなんだが、わりと上手い方だと思う。
Mistは……正直、腕前は普通だ。撃ち合いでは負けることも多い。
それでも、俺と組んでいるときだけは妙に噛み合う。
『相手も二人だ。後ろからフォロー頼む』
『もう入ってる』
俺が前に出る瞬間、Mistの牽制射撃が後方から飛ぶ。その一瞬の援護で安全に踏み込め、敵を一人仕留めた。勢いのまま残りも倒し切る。
『ナイス! 助かった!』
『いきなり突っ込むなんて、相変わらず好戦的だな』
『はは、俺の持ち味だろ?』
『まあな。おかげでこっちはやりやすい』
Mistのプレイは単体で見ると平凡かもしれない。けれど、俺と組むと驚くほど噛み合う
。
相性が良い、ってやつなのだろう。
高台を制した俺たちは、その勢いを保ったまま、力押しで試合を決めた。
* * *
試合を取り切ってロビーに戻る。勝利の余韻を胸に抱えつつ、俺はカスタマイズ画面を開き、装備をいじっていた。
スナに切り替えるか、それともライフルで押し通すか――その小さな迷いで手が止まる。
そうしていると、Mistの声がヘッドセット越しに飛んできた。
『次、すぐ行くか?』
『いや、ちょっと待って。武器とかいじるわ』
『了解。じゃ、俺も変えるかな』
短いやり取りのあと、画面越しに互いが装備を調整する。カチャカチャとキーを叩く音だけが、ヘッドセット越しに続いた。
沈黙が長く感じて、俺は何気なく話題を振る。
『さっきの続きだけどさ、やっぱお花見って酔っ払い多いよな。あんなに飲んで、そんなに酒って美味いのかな』
『飲んだことないからわかんないけど、美味いんじゃないの。駅前とかでよく騒いでるやつ見るし』
その声に、昼間の景色が頭に浮かぶ。桜の下で笑い合う人たち。その一方で、道の真ん中をふらつく大人たち。
そして――酔っ払いに絡まれて困っていた少女の姿も思い出す。
『あー、そういえば昼間、酔っ払いに一緒に行った友達が絡まれてさ。ほら、こないだ言っただろ? 美人の転校生』
一瞬の間が空いて、低めの声が返ってくる。
『……ああ、なんか言ってたな。しかし、その友達も災難だったな』
返事が遅れた、そのわずかな間に妙な引っかかりを覚える。
『そうなんだよ。酔っぱらって人に迷惑かける大人にはなりたくないよな――っと、準備できた』
『おk。こっちも出来てる』
その瞬間、マッチングの通知音が鳴り響き、画面は新しいステージへと切り替わった。
『今回は左スタート。気をつけていこう』
『了解』
再び戦闘に意識を向ける。先ほど感じた小さな引っかかりは、既に霧散していた。
* * *
先ほどと違い試合の序盤は静かで、しばらくは敵影すら見えなかった。
俺とMistの足音だけがヘッドセットに響き、索敵の緊張感だけがじわじわと高まっていく。
(まだ当分は接敵しなさそうだな)
他の仲間の位置取りからも、相手が慎重に立ち回っているのが分かる。
張りつめた空気を少しでも和らげるように、俺はさっきの話を思い出しながら口を開いた。
『しかし、美人とかイケメンって羨ましいと思っちゃうけど、大変なことも多いんだろうな。実際、今日みたいに変なのに絡まれたりとかさ』
言いながらも視線は画面に固定したままだ。意識配分に気を付ける。
『RAYは見た目より中身派なのか? ……俺なんて美人と仲良くなれたらラッキーって思っちゃうけどな』
Mistが雑談に乗ってきた。
『うーん、難しいところだ。でも、見た目は確かに大事だけど、やっぱ中身かなあ。ちゃんとしてる人のこと、ちゃんと見たい……って言うとちょっと臭いか』
軽く笑いながらそう続ける。返事はなく、ヘッドセットからは環境音だけが流れた。
ここで沈黙は流石にちょっと照れくさい。俺はMistにも尋ね返した。
『Mistこそ、見た目重視なのか? ちょっと意外だな』
『いや、俺も中身の方が大事だなって思うよ』
『やっぱそうか。そんな感じする』
一人でうんうんと頷きながら、気楽に会話は続く。
『ならRAYはさ、その……転校生のこと』
Mistが言葉を区切る。
『――下心とかはないのか? び、美人だから近づいたとかさ』
問いに少し考え込んでから、俺は正直に答えた。
『うーん……全くゼロかって言われたら難しいけど。俺も健全な男子高校生だからな』
けど、と言葉を重ねる。
『でも、どっちかって言うと成り行きの方が大きいかな。それに、まだ会ってから日が浅いけど、本当にいい子なんだ。だからもし何かあったら、力になれたらいいなって思う』
『――っ』
一拍の間。マイク越しに呼吸のノイズが乗り、そのあとで少し掠れた声が返ってきた。
『ありが……』
『え?』
聞き返した瞬間、Mistはすぐ言い直す。
『い、いや、何でもない。続けよ』
普段よりわずかに硬い声。冷静さが少し崩れているように思えた。
(なんか変なこと言ったか?)
そう考えた矢先、銃声が響く。敵が姿を現したのだ。しかも前後からの挟撃で数も多い。
『しまった、挟まれてる!』
『わかってる。Mist、先に下がれ!』
『了解!』
俺はあえて前へ飛び出した。迎撃するというより、敵の視線を自分に集めるためだ。弾丸が画面いっぱいに飛び交い、シールドが削られていく。
ミニマップでMistのアイコンが下がっていくのを確認しながら、遮蔽物を使って少しでも長く持ちこたえる。
安堵の息をついた直後、俺のキャラは力尽きて倒れ込んだ。
視界が暗転し、観戦モードに切り替わる。するとMistがすぐに反撃に転じる。油断した敵を背後から一気に崩し、立て続けに二人をダウンさせた。
『ナイスダブルキル!!』
鮮やかな動きに思わず叫ぶ。
戦闘が落ち着くと、Mistは俺のキャラのもとへ駆け寄り、蘇生モーションに入った。ゲージが伸びていく間、マイク越しに荒い息づかいが聞こえてくる。
『RAYが前に出て囮になってくれたおかげだよ。流石の判断だ』
蘇生が完了し、視界が戻る。
『ナイスコンビネーション、ってことで』
『だな』
俺が笑いながらそう言うと、Mistも短く笑って同意した。
* * *
試合も終盤、残りは二対三。数的不利の状況で、俺とMistは遮蔽物の影に身を潜めていた。
前方からじわじわと圧をかけてくる敵に対し、Mistは姿をちらつかせては引き、撃たれては隠れる――わざと的になり、時間を稼いでいるのが分かる。
『今だ!』
その声に合わせ、俺はピンを抜いて手榴弾を放った。敵が密集した一瞬を逃さない。轟音とともに二人がダウン。残った一人も動揺して隙を晒し、追撃で仕留めた。
画面に「勝利」の文字が浮かぶ。俺は大きく息を吐き、背もたれに体を預ける。
『さすがRAY。三人抜きとはやるな』
ヘッドセット越しに笑い声が響いた。
『たまたまだよ。Mistが時間稼いでくれなかったら無理だった』
胸の奥にじんわりと広がる達成感。現実では滅多に味わえない、ぎりぎりの緊張感と勝利の高揚――だからこそ、この世界に惹かれてしまうのだろう。
緊張が解けた瞬間、ふっと会話が途切れる。
『……RAY』
『ん?』
『……ありがとう』
不意に落ちてきた声。労いの一言に過ぎないはずなのに、どこか胸に残り、俺は小さく首をかしげた。
『なんだよ、急に』
『言いたくなっただけ。気にするな』
それきり、Mistは口を閉ざした。
思い返せば、今日のMistはどこか様子が違っていた気がする。だが――。
(まあ、気にするほどじゃないか)
そう自分に言い聞かせつつ、時計をちらりと確認すると、もう十分な時間が過ぎていた。
『キリもいいし、今日はここまでにするか?』
『うん。OK。楽しかった、またやろう』
通話が切れた直後、チャット欄に短いテキストが表示される。
Mist:おやすみ。
その一言を見て、俺も同じ言葉を打ち返し、静かにパソコンを閉じた。




