第16話「花より団子、時々ヒーロー」
相変わらず俺たちはシートの上で食べたり飲んだりしながら雑談していた。完全に花より団子だが、まあ予想の範囲内だ。
そんな中、朝霧さんが小さく手を挙げる。
「少し……お手洗いに行ってきます」
控えめな声に、俺たちは「行ってらっしゃい」と軽く頷いた。
「トイレはあっちを真っすぐ行った先だよ」
俺が教えると、彼女はぺこりと頭を下げ、シートの端に置いていたバッグを持ち直して人混みへと消えていった。
それからしばらく、俺たちは唐揚げをつまんだり、くだらない話で笑ったりしていたが——ふと時計を見ると、もう十分ほど経っている。
(……ちょっと遅いな)
混んでいるだけかもしれないが、なんとなく落ち着かない。
「どうした?」
唐揚げをつまんでいた颯真が怪訝そうに俺を見た。
「いや……朝霧さんがちょっと遅いなと思って」
「あー、確かに。何かあったのかな」
陽菜も心配そうに頷く。
「迷ってるかもしれないし……探してくるわ。すれ違ったら嫌だから、お前らはここで待っててくれ。もし戻ってきたら連絡頼む」
そう言って腰を上げる。
「了解」
「よろしくー」
二人の声を背に受けながら、俺は人混みへ足を踏み出した。
* * *
公園の中は相変わらず人でごった返していた。
桜の下でシートを広げて酒を酌み交わす大人たち、走り回る子どもたち。屋台の前には行列ができ、威勢のいい呼び込みの声が響いている。
その中を縫うように進みながら、俺は周囲をきょろきょろと見回した。
(トイレまではそれほど遠くないはず……混んでるか、それとも迷ったか……)
心配が募る。だがシートを広げる花見客も多く、方向感覚を失いやすいのも無理はないだろう。
俺自身も少し迷いそうになりながら、人波をかき分けて歩いた。肩や腕が何度もぶつかり、思うように進めない。
ようやくトイレの近くまで来た時、耳にざらつくような酔っ払いの声が飛び込んできた。
「お嬢さん可愛いんだからさ、ちょっとこっち来て飲もうよ。楽しませるからさ!」
嫌な胸騒ぎがして振り向く。そこには、困った顔の朝霧さんと、酒瓶を片手にした男がいた。
二十代後半くらい。顔は真っ赤で、足取りもおぼつかない。典型的な酔っ払いだ。
周囲の花見客は遠巻きにその様子を眺めていたが、助けに入る様子はない。ただ迷惑そうに眉をひそめている。
「す、すみません……」
朝霧さんは視線を逸らし、震える声で断っていた。しかし男はさらに近づいていく。
「遠慮すんなって。ちょっとだけだから」
伸ばされた手が肩に触れようとした瞬間、俺の体はもう走り出していた。
「――迷惑してるのが分からないんですか」
気づけば二人の間に割って入っていた。
* * *
「さ、佐原君……」
俺の背後で朝霧さんが小さく名を呼ぶ。驚きと安堵が入り混じった声だった。一瞬だけ視線を向け、俺は「大丈夫」と目で伝える。
突然前に割って入った俺を見て、男は不機嫌そうに眉をひそめた。
「……なんだ、お前?」
酒臭い息が鼻をつく距離。正直心臓はバクバクだったが、一歩も引くつもりはなかった。
「彼女の友人です。嫌がってるのが分からないんですか」
できるだけ落ち着いた声で告げる。男は俺を頭の先から足元までじろじろと眺め、鼻で笑った。
「チッ……ガキのくせに。格好つけてんじゃねえよ」
舌打ちしながら肩をすくめる。
「酔って知らない人に絡む方がよほど子どもじみてますけど」
「なんだと、てめえ!」
声を荒げるが、手は出してこない。
身長はほぼ同じだが、俺は鍛えている分だけ体格はしっかりしている。一方で相手は小太りで、腕っぷしが強そうには見えない。
もし荒事になれば分が悪いと気づいているのだろう。とはいえ、俺だって喧嘩慣れしているわけじゃない。内心は冷や汗ものだった。それでも表情に出さず、じっと視線を合わせ続ける。
やがて周囲の人々も足を止め、こちらに注目し始めた。
その視線に居心地の悪さを感じたのか、男は「面倒くせぇ」と吐き捨て、踵を返して歩き去っていく。人混みに紛れ、すぐに見えなくなった。
* * *
残された空気が一気に静まる。周囲の人たちもそれを見届けたからか散っていく。
朝霧さんは胸に手を当て、ほっとしたように息をついた。そして俺に向き直り、深々と頭を下げる。
「……助けていただいて、ありがとうございます。絡まれてしまって、抜け出せなくて」
「いや、友達が困ってたら助けるのは当然だ。まあ、内心はバクバクだったけどな」
わざとおどけて言うと、彼女は顔を上げてふっと笑った。
「ご迷惑をかけてしまって……すみません」
「朝霧さんが悪いわけじゃない。とりあえず戻ろう。みんな待ってる」
そう促して歩き出すと、彼女はこくりと頷き、俺の後ろからついてくる。
お堀沿いの道に戻ると、屋台の呼び込みや談笑の声が耳に届いた。
さっきまでの緊張から解放されたせいか、朝霧さんの頬は少し赤いように見えた。
* * *
人混みを抜けて戻る途中、後ろを歩く朝霧さんがぽつりと口を開いた。
「佐原君には本当に、助けられてばかりですね」
「そこまで大したことはしてないと思うけど……」
振り返りながら答える。実際、今日だって少し割って入った程度で、他は道案内やら荷物持ちくらいだ。
「いーえ、どんどん積み重なってます」
朝霧さんは片手をぐんと上に伸ばして、何かを積み上げる仕草をする。
「これは早急に恩返しをしないといけませんね」
うんうん、とひとりで納得したように頷く姿に、思わず苦笑する。
「いや、ほんと気にしなくていいって」
そう言った瞬間、彼女は少し肩を落とし、視線を下げた。
「……私が何かするの、ご迷惑ですか?」
「もちろん、そんなことないけど……」
反射的に返した声は自分でも驚くほど早かった。朝霧さんは顔を上げて、真剣な瞳をこちらに向けてくる。
「じゃあ、何かしてほしいこと、ありませんか?」
「してほしいこと……うーん」
口にしたまま言葉を探していると、これまでの光景が次々と浮かぶ。出会ってからの時間は短いのに、不思議と濃くて鮮やかに思える。
サッカーをやめてからは、ただ流されるように過ごしてきた。けれど、誰かと一緒に何かをするのも案外悪くない。そんな実感が今はある。
俺だって人並みに、青春というものに触れてみたい気持ちはあるんだから。
「——なら、良ければしばらく付き合ってほしい」
「ふぇえっ!?」
突拍子もない声に、思わず足を止める。朝霧さんの頬が一瞬で真っ赤に染まっていた。
(……俺、変な言い方したか?)
慌てて補足する。
「放課後とか休日とか、陽菜や颯真も一緒にさ。もし他に誘いたい人がいたら、それでもいい。……そうだな、夢中探し部って名目で。だから、また一緒に遊んでくれると嬉しい」
言葉にすると、朝霧さんは瞬きを繰り返し、それから小さく息を吐いて笑った。
「なんだ、それくらいのことでいいなら大歓迎ですよ!」
ぱっと綻んだ笑顔に思わず息をのむ。今まで見た中で一番自然で、惹きつけられる笑顔だった。
「良かった。じゃあ、これからもよろしく」
「はい、こちらこそ! ……まったく、紛らわしいんですから」
「え? 今なんて?」
「なんでもないです。ほら、早く戻りましょう。陽菜ちゃんたちが心配してます」
小走りに前へ出て、腰に手を当てながら振り返る仕草。慌てて俺も歩を速めた。
* * *
人波をかき分けて戻ると、シートの上で待っていた陽菜と颯真が同時に声をかけてきた。
「遅かったね、大丈夫?」
「何かあったのか?」
心配そうな視線を受けて、朝霧さんは少し申し訳なさそうに微笑む。
「ごめんなさい。ちょっと酔った方に絡まれてしまって……」
「ええっ!? 本当に? 大丈夫だったの?」
陽菜が思わず目を丸くする。
「はい。佐原君が助けてくれたので、大丈夫です」
穏やかにそう答えると、二人の視線が同時に俺に向いた。
「悠斗、流石だな」
「ほんと、相変わらずのヒーローっぷり!」
颯真と陽菜が茶化すように笑い、俺は気恥ずかしくなって肩を落とす。
「そんな大したことじゃないって。お前らだって、あの場にいたら同じことしたさ」
「ヒーロー?」
朝霧さんが小首を傾げて問い返す。
「お、聞きたい? それはね、私たちが小学生の頃……」
「やめろ、やめろ! 過去の話は恥ずかしいから!」
慌てて陽菜の口をふさぐ。
「えー、私だけ知らないのは不公平です」
頬をふくらませる朝霧さんに、陽菜も「そうそう!」と同調する。
「そのうち、な。そのうち」
「……約束ですよ?」
軽く笑いながらも、朝霧さんの瞳は存外に真剣で、俺は曖昧に頷くしかなかった。
* * *
「まあ、何事もなく無事に戻ったならよかった」
「そうそう、ほら団子食べよー!」
陽菜が袋を広げ、場の空気を切り替える。
シートの上には屋台で買った食べ物やお菓子がまだ残っていたが、だいぶ減っていて、もう片付けに入れるくらいだった。弁当類はすでに食べ尽くしている。
「意外と食べきれるもんだな」
俺の独り言に陽菜がすかさず反応する。
「それはね、悠斗と颯真がほとんど平らげたからだよ」
「いや、陽菜もだいぶ食べてたぞ」
「そ、そんなことないし!」
わざとらしい声色に、周囲から笑い声がこぼれる。和やかな空気の中で、残りの食べ物も順調に減っていった。
ふと、先ほどの出来事が脳裏をよぎる。
(……美人っていうのも楽じゃないんだな)
目立つ分、余計な視線や厄介事も集まりやすいのだろう。
そう思いながら顔を上げると、朝霧さんと目が合った。彼女は一瞬驚いたように瞬きをして、それから柔らかい笑みを浮かべる。まぶしさに耐えきれず、俺は視線を外した。
(……何やってんだ俺は)
気を取り直して桜を仰ぎ見る。花びらがひらひらと舞い落ち、シートの上に散らばる。
隣では陽菜の弾む声、颯真のツッコミ、そして朝霧さんの笑い声。遠くからは屋台の呼び込みが混じり合い、春のざわめきが続いていた。
(トラブルもあったけど……悪くない一日だった)
心の中でそう呟き、俺はそっと残っていた菓子に手を伸ばした。




