第12話「秘密を抱えたまま」
――朝霧澄玲視点
『おやすみ』
そう告げて通話を切ると、画面の右上からボイスチャットのアイコンが消えた。ヘッドセットの中は一瞬で静まり返り、残るのは自分の息遣いだけになる。
外したヘッドセットを机の上に置き、無意識に独り言が漏れた。
「……やっぱり、佐原君なの?」
胸の奥がざわつく。昨日の夜から抱きはじめた疑念が、今日でほぼ確信に変わった。
RAYの正体について。
――転校生がきた。
高校では珍しいけれど、ない話じゃない。
――前日に会い、学校まで案内した。
初日、私が道に迷ったときに声をかけ、校舎まで導いてくれた佐原君。そんなの、誰にでも起こるようなありふれたエピソードじゃない。
さらに、RAYは長野出身だと言っていた。場所も重なる。――重なってしまう。
そして先ほどのRAYとの会話。
――「今日は転校生に街を案内してきた」
私を案内してくれた佐原君と、RAYの言葉はそのまま一致する。
――「幼馴染も一緒にいた」
その幼馴染はきっと陽菜ちゃんだ。
極めつけは「じまん焼き」の話題。
呼び名が地域によって違うのは知っていたけれど、ネットで調べても「じまん焼き」と呼ぶ地域はほとんど見当たらない。大判焼きや今川焼きに比べれば、マイナーすぎる呼び方だ。
偶然という言葉では片づけられない。これだけ揃えば――。
「……もう、間違いないよね」
小さくつぶやいた瞬間、背筋に冷たいものが走った。
けれど同時に、胸の奥はじんわりと温かくなる。
(こんな事あり得るんだ)
――嬉しいような、怖いような。
そんな正反対の感情がせめぎ合い、私の中で渦を巻いていた。
* * *
机に肘をつきながら、私はふと昔のことを思い出す。
――中学生の頃。
オンラインゲームにどっぷりはまっていた時期。最初はただ、同じ趣味の人たちと遊べるのが楽しくて仕方なかった。
その頃、私はとあるギルドに所属して、毎日のようにチャットで盛り上がっていた。
けれど、ある日「みんなでボイスチャットしてみよう」という提案が出て、軽い気持ちで了承してしまった。
それが、失敗の始まりだった。
通話を繋いだ瞬間、自分が「女の子」だと気づかれてしまったのだ。そこから、ゲームは純粋に楽しめるものではなくなった。
急に距離を詰めてきて、しつこく「付き合おう」とか「連絡先を教えて」と迫ってくる人が現れた。断れば空気が険悪になるし、曖昧にすれば余計に粘られる。
一方で、同じギルドにいた女の子たちからは妙な嫉妬を向けられた。
「あなただけ扱いが違くない?」と陰口を叩かれ、ひどいときは嫌がらせまで受けた。気づけば私は、いつの間にか輪の中心から外されていた。
結局そのオンラインゲームからは引退し、繋がっていた人たちもすべてブロックした。
――ああ、女の子でいるのって、面倒なんだ。
そのとき、強烈にそう痛感した。
ゲーム自体をやめようかとも思ったけれど、他人のせいで自分の趣味が一つ奪われるのは、どうしても悔しかった。
だから私は、ボイスチェンジャーを導入した。Mistとしてマイクをつないでも、もう、声で性別を当てられることはない。性別を隠せるからこそ、自由に笑える。余計な気を遣わずに遊べる。
それからずっと、私はMistという“仮の自分”で過ごしてきた。
その世界では性別を気にせず、ただ好きなように言葉を交わせた。気づけばその時間は、私にとって欠かせない「安心できる居場所」になっていた。
――そして、ある日、RAYに出会った。
驚くほど息が合って、同じ作業をしているだけでも心地よくて。どれだけ時間を重ねても、不思議と嫌な気持ちになることは一度もなかった。
いつの間にか、私はRAYと遊ぶ時間を、毎日のように心待ちにするようになっていた。
* * *
――RAYと一緒にいる時間は、本当に居心地がいい。
何気ない雑談も、ただ素材を集めているだけの作業も。
画面の向こうにRAYがいるだけで、不思議と胸が弾む。
正直、毎日だってゲームをしていたい。そう願ってしまう自分がいる。
けれど――。
もし佐原君が、私の正体を知ってしまったら。
Mistが朝霧澄玲だと分かってしまったら。
今みたいな関係は、きっと全部壊れてしまうだろう。
せっかく築いた安心できる時間。私にとって何より大切な、この居場所が消えてしまうのは――怖くて仕方ない。
だから、秘密は守る。この胸の奥に、しっかり閉じ込めておく。
卑怯なのは分かっている。本当はちゃんと打ち明けたほうがいいのだと、頭では理解している。
――でも。
その勇気が、今の私にはまだない。
私はMistでいる限り、RAYの隣にいられる。
朝霧澄玲ではなく、ただのMistとして。
RAYとの時間を壊したくない。
――その思いだけが、頭の中をぐるぐると回り続けていた。
* * *
パソコンの画面に残るチャットログを見つめながら、私はふっと微笑んだ。
「……そういえば、RAYには助けられてばっかりだな。ゲームでも、リアルでも」
マウスから手を放し、指先でログの文字をなぞる。そこに浮かぶのは、画面越しの相棒の声と姿だった。
――初日に道に迷ったときも。
――校内や街を案内してくれたときも。
佐原君は、何度も私を助けてくれた。
その姿が、いつもゲーム内でフォローしてくれるRAYと重なって、心の奥でじんわりと嬉しくなる。
思えば、普段は男の人と話すと緊張してしまうのに、佐原君と話しているときだけは自然体でいられた気がする。
……もしかして、心のどこかでずっと気づいていたのかもしれない。
「……いや、考えすぎかな」
小さく自分に突っ込みを入れて、気持ちを落ち着ける。
ふと今日の会話がよみがえる。
「“美人の転校生”、か。RAYから言われるとなんだか照れるな……」
つぶやくと、胸の奥がくすぐったくなった。嬉しさもあるけれど、どこか気恥ずかしさが勝っている。
ふと時計を見ると日付を回ろうとしていた。
――そろそろ、Mistとしての時間は終わり。
私は画面を閉じて、深く息を吸い込んだ。
そして、決意を胸に刻む。明日の学校では——朝霧澄玲として、佐原君の隣に座るのだと。




