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2010年7月某日

作者: 千秋

家の裏の郵便局前が僕たちのラジオ体操の集合場所だった。

6時40分からスタートしたのは、もう今となっては思い出せない夏の朝の心地良さが過ぎだったからだ。


時間になっても来ない友だちを家にまで迎えに行くのは、口では悪態を吐きつつも少しワクワクした記憶がある。

ラジオ体操が始まっても駄弁り続けて、意味の無いハンコを押して解散する頃には、もう日差しの暑さに辟易していた。

絶え間ない心の動きが未だに鮮明に思い出されるのは、ただ僕があの時間が好きだったからだろう。


家に帰ると卵の焼ける匂いと食器の音がしていて、朝から「おかえり」と声をかけてくれる母の顔はもう思い出せない。

新聞を読む父はいつも僕が帰ると読む手を止めて、その日の天気を知らせてくれた。

リビングの白いレースカーテンは風に揺れていて、その日のニュースの音がTVから流れ続けていた。


10時になると学校のプールが開放されて、いつも僕は1番乗りだった。

地獄のシャワーと呼んでいた冷たい水を浴びて、8割型水の溜まったプールに入る。

まだ太陽を浴びきっていないプールは冷たいけど、1番のりで入れるのは嬉しかった。

友だちが集まってくると浮島と呼んでいた大きなマットをプールに浮かべて遊ぶ。

浮島に仰向けになりながらゴーグル越しに見た空は、ひたすらに青く遠く澄み渡っていたと思う。


あの頃は毎日が同じことの繰り返しなのに、楽しくて無限に感じられるような日々を過ごしていた。

記憶の中で美化されたものはあるかもしれないが、何にも悩まず、恐れず、苦しまずに生きていた。

そんな思い出が毎年夏になると蘇ってくる。


無邪気な心や美しい家庭の記憶は遥か遠くにあって、あの澄渡る空はもう見られなくなった。

それでもその記憶は決して色褪せることなく思い出として大切に保管されている。


この先何年生きたとしても変わることなくその思い出を引き出そう。

次第に暑く長くなる夏を、今年もようやく乗りきった。

毎年思い出すあの頃の夏の記憶を題材にしました。

名前の無い記憶を。

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