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7.あと、五夜 ~わたしのせかいは~①

瘴気の濃度は、夜明けとともにわずかに薄れ始めていた。

まだ霧が残る足元を、雨歌は小さく息をつきながら踏み出す。

前を歩く男の足元で、枯れた枝が割れて乾いた音を立てていた。

雨歌は歩を進めながら、ひび割れた眼鏡越しに彼の背中をじっと見つめた。

マント越しでも肩甲骨の起点と終点が分かる、しなやかな筋肉に覆われた背中。


(__思ったより広い背中。意外と、鍛えてる。肩甲骨から斜めに落ちる斜筋……腰へとつながる流線がきれい。戦士の体、完璧なデッサンモデル……描けたら、きっとデッサンが捗る)


目を細めて背中を見続けてていると、男の背中が悪寒を感じたかのように、びくりと震えたような気がして、雨歌は首を傾げた。

何かの皮でできているのか、不思議な光沢を放つ黒いマントが風に揺れる。

一見無地に見えるが、同色の黒い糸で細かい刺繍がなされている。

異世界の文字なのか、記号なのか、雨歌には分からない。

いつかそこに書かれているものの意味を聞いてみたい気がする。

でも。


(………きっと、聞く日はこない)


彼は神殿に雨歌を連れて行ってくれるといっていた。

そこで、彼との旅も終わりなのだろう。

別に、寂しいとか心細い気持ちはない。

だが、別れるときにはきちんと、世話になった礼として絵でも渡そうと雨歌は考えた。

渡すのは昨日見せた絵がいい。

ルーガンの羽根の絵を見た時、目が血走っていてやけに興奮しているように見えたのは勘違いではないはずだ。魔術師の怒りがどうこうと言っていたが、要は欲しいということだろう。

そこまで欲しがるのなら、あげてもいい。


「もう少し歩けば、この先に瘴気の薄い水場がある。そこでひとまず休憩とるぞ」


振り向かずに歩く男の声は、気遣いの様子もなく、淡々としている。

ルーガンが時折振り向いてこちらを確認してくるのが、人間と魔獣が逆転したようで面白い。

足元の小石を蹴りながら、歩く。眼鏡のせいで視界が悪い。

彼について、雨歌は考えてみた。

知らないことがたくさんある。

名前も、年齢も。好きな色も、食べ物も──なにも、知らない。

それは向こうも一緒だろう。

聞いてこないということは、興味がないのだろう。お互いに。


色々と分かってきたこともある。

決して優しくはない。よく毒づいている。

それでも、前の世界にいた時に一緒にいたクラスメイト達の言葉よりも、ずっと分かりやすい。

『絵が上手だね』と言っていた人が、雨歌のいない教室で『石の絵ばっかり描いてて気持ち悪い』と笑っていたのを見た。

『真面目で偉いね』と褒めてくれた人が、『空気が読めなくてやばい』と言っていた。

そのたびに眼鏡をかけなおして、分厚いガラスで自分と世界を隔ててきた。


男は口調こそ乱暴で、それこそルーガン以外にはこの世に大切なものなんてないようなふるまいをしているのに、今朝起きたら、きっちりたたんだ自分のマントの一番上に、雨歌のスケッチブックを乗せてくれていた。


優しいようで、優しくない人たち。

怖いようで、雨歌の絵を守る男。絵を見せろという変な人。


男曰く、雨歌の寝相は壊滅的らしい。

何度も焚火に転がっていきそうになり、スケッチブックが不憫で救出してやったんだよ、と不機嫌そうにいったあと、『これでスケッチブック助けたの、二回目だからな。アンタの借金、2,000ダルに増額な。利子もつけとくか?』と言っていたのを思い出して、雨歌は異世界でどうやってお金を稼げばいいのか、少しだけ不安になった。


と、考えていたところで、衝撃がつま先に伝わる。

割れて視界の見えにくい眼鏡のせいで、足元の大きな石に気がつけなかった。

意識がぐらつき、視界が反転する。


気づくと仰向けに転がっていて、上から男とルーガンが覗き込んでいた。


「あんた、これで転ぶの3回目だけど?いっそ四つん這いで移動しろよ。ほんと、何考えて歩いてたらそんな転べるんだよ」


「きみのことだけど」


正直に言うと、彼の顔から、一瞬だけ表情が消えたように見えた。雨歌はまた、自分が不用意な発言をして怒らせてしまったのかと思い唇をかみしめた。


「……ふーん。昨日さんざん人外の造形で人の腹筋壊してくれたあとは、そうやって煽るのかよ。つがいってやつは怖いねぇ……それにしてもアンタの頭ん中、ずいぶん下品だなぁ?」


そんなことを言いながら手を差し伸べてくれるのが、やっぱり口が悪くて優しいと思う。怒ってはいないようで、むしろ機嫌がいいような気もする。


「で、俺の何について考えてたって?この指?唇?それとも背中から腰の__」

「お金、きみにどうやって返そうかなって」


自分で起き上がれるのでその手は使わず、雨歌は身を起こしながら正直に答えた。

「…………あっそ」


男が差し伸べた手をそのままルーガンの頭にポン、と置いた。ルーガンもクゥン、と鳴いて主を黄金色の瞳で見上げている。

この一人と一匹は本当に仲がいい。

目を凝らすと特別な絆が朱赤色の光になって二人を包んでいるような気がして、とてもきれいだ。


「さっさと歩けよ、変態顔芸女。次転んだら蹴り飛ばして神殿までそのまま転がしてやるからな。そんで神殿についてアンタの用事が終わったら、アンタを蹴っ飛ばして元の世界に戻してやる……」


ぶつぶつ呟きだした男の急変に、雨歌は眉を寄せて考え込んだ。

難しいものである、人の心を推し量るということは。


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