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6 あと、六夜 ~裸にする夜~

__ザナルの墜森。

分厚い雲がオルドレアの満月を覆い隠していた。昼間の出来事が嘘のように静かな夜である。

宵闇がすべてを覆いつくす中、煌々と燃え上がる焚火を中心に、暖かな光に守られた一角。

瘴獣除けと結界を兼ねた高度なまじないのかかった焚火は、そこに集う二人と一匹を温かく照らし出している。

先ほどから雨歌はずっと、地面に落ちたルーガンの羽根を描いていた。

のど元には、粘つく手でやんわりと首を絞められているような感覚がまだ残っている。

何度か声が出るかどうか試してみたが、やはり声が出せない。そのたびに彼女の声を奪った男が嬉しそうに笑うのが理解できなくて、困ったときはとりあえず絵を描くことで気持ちを落ち着かせてきた雨歌は、こうして今も焚火に照らされながらスケッチブックにペンを走らせているのだった。


焚火を挟んで、向こう側からじっと自分を見ている男には気づいていない。


(今日の瘴獣……まだぜんぶ、思い出せる。わたしのこと、食べようとしていた……描いてみたい。だけど、あれも『いのち』だから、描けない)


雨歌はルーガンの羽根をじっと見つめた。羽根は焚火の光に照らされオレンジ色に染まり、微風に羽毛部分をそよがせていた。


(これはルーガンのいのちの、抜け殻。かすかな艶があるのは油分のせい。風切羽……まわりは朱赤色に光っているように見えるのは……そうか、”彼”の家族だからなのかな)


雨歌はデッサン中に集中しきった時、いつもなら独り言が口をついて出てきて止まらなくなる。

だが、今日は声が出ないせいで心の中でしかつぶやけない。それほど不便を感じるわけでもなく、気持ちの赴くままペンを走らせる。


一枚描き上がったが、どこか納得がいかない。余白が気になる。

ふと、先ほどから自分の中で渦巻いている、奇妙な感覚を表現してみることにした。

なんだか、くすぐったいような、奥底からじっくり焙られているような__熱。

一瞬だけ目を閉じると、自分に奇妙な魔法をかけた男の、あの泣きそうな目が思い浮かぶ。それに、彼が瘴獣に向けて放った黒い炎。花火のように鮮烈に弾けた魔法陣。


(色は__)


そこまで考えて、絵の具が手元にないことに気づいた。仕方ない、ここは自分の部屋ではない。

眉を寄せ、羽根の周りの余白に感じたままの文様を、何度も、何度も書き足してゆく。

目を閉じて、脳裏に彼の黒い炎の残滓や、閃光が描いた軌跡を思い出す。

追いかけて、捕まえて、じっと見つめていると、色や形が降りてきて、ほどけていくのが面白くて雨歌は口元に微笑を刻んだ。

執念すら感じるその様子に何やら興味を持ったらしいルーガンが、そばに近寄ってくる。翼の部分をそっと撫でると、猫のように喉を鳴らすのがかわいい。


絵を覗き込んできたルーガンは、雨歌の顔と自分の主の顔を交互に見つめると、不安げにため息のような鼻息を漏らした。


「…………?」


ふいに、雨歌は自分ののど元にまとわりついていた、粘ついた不快な感覚が急に無くなったのを感じて、デッサンの手を止めた。

のどのあたりがやけに軽い。


「…………あ」


聞きなれた、自分の声。声が出るようになっていた。

ふと、粘ついた視線を感じ顔をあげると、焚火越しに男が自分をにらみつけていた。

どうやら彼の気が済んで、解除してくれたのだろう。

理不尽なことをしてきたのは彼の方だし、礼を言うほどのことではないと判断し、雨歌は再びスケッチブックにペンを走らせ始めた。


どれくらい時間がたったのだろうか。周りの空気が、焚火の前でも冷気を帯びだしたのを感じて、雨歌は身を震わせた。焚火の熱と、夜間の冷気のせいだろうか。眼鏡がうっすら曇っていて見えにくい。

彼方の山、中腹あたりに掛かっていた月はもう、頂上のあたりまで昇っている。


焚火の向こうから、じっとこちらを見つめている気配。

一度も言葉を発していないのに、なぜか、叱られているような感覚になる。


(……怒ってる? わたし、何か、した?)


目が合った気がして、ふいと視線を落とす。


「……おい、あんた」


彼の声はいつものように威圧的。だけど、どこか熱に浮かされているかのように上ずっている。

焚火越しに視線を送ると、オレンジの光に揺らめく双眸が、まっすぐ雨歌を射抜いてくる。目が外せず、双方の視線が焚火の炎ごしに絡まった。


「話せるようになったこと気づいてんだろ、なんか言えよ」


刺々しい声は拒否や曖昧を許さない強さをはらんでいた。


だから、雨歌は正直に言う。


「……今はきみに話すことが、ない」


「…………」


雨歌の返事に男が虚を突かれたように黙り込む。が、それも数秒のことで、彼は片手で顔半分を覆い、くつくつとどこか嗜虐的に笑いだした。


「ほんとあんた、いい性格してるよ。その無自覚な顔が歪むまで煽り倒して、踏みにじって跪かせたくなる。ありがとうよ、俺の新しい扉が開いたわ」


「わたし、きみに何かした?絵を描いてただけだよ?」


「『何かした?』?えぇ、えぇ、しましたとも__誰の許可とって俺の術勝手に解除してんだよ」


彼は腹が立って仕方がないというかのように、地面に落ちていた枯れ枝を火の中に投げ込んだ。赤い火が一瞬燃え上がって雨歌の顔を照らし出す。


彼の唐突な怒りの理由が全く分からない雨歌は、目を見開いて首を傾げた。


男の唇が微笑を刻む。


「煽るのがお上手なことで。いいか、俺はアンタの術をまだ解いてねぇ。あと三日はずっと黙らせて、アンタが『お願い、もうどうにかして』って顔をするのを楽しみにしてたんだよ、こっちは」


「……だから、わたし何もしてない」


「なら、ルーガンのせいにでもするか?」


急に名前を呼ばれ、とばっちりを受けたルーガンは立ち上がり、しっぽを垂らしながらシンフィルの元までとぼとぼと帰ってしまった。


「__その絵、見せろ」


急な、命令。

有無を言わせない命令に、雨歌はスケッチブックをぎゅっと胸に抱えた。

雨歌は、今まで誰かのために絵を描いてきたことがない。脳裏に母親の後ろ姿が浮かぶ。


『__気持ち悪い』


『そんな絵、見せないで』


(どうして、この人はわたしの絵を見たがるの?見たって、いいことなんかないのに)


気づけば、言い訳めいたものが口をついていた。


「ルーガンの羽根を描いたの。まだ途中までしか書いてないのもあって……」


「いいから見せろって。さっきから、アンタの絵がうるさいんだよ。わたしを見ろってな」


焦れた言葉。だが、雨歌の心に何かが刺さった気がした。

じわりと心に温かいものがしみこんできて、思わず笑ってしまう。


「わたしの絵、うるさいの?……へんなの」


「いいから見せろよ」


「そんなに?見たいの……?どうしても?」


じわじわと胸にくすぐったい気持ちが込み上げてきて、雨歌は微笑みを強くする。頬に血がゆっくり集まっていくのは、焚火の熱さのせいだろうか。

男は焚火に再び枝を投げ入れようとしていた手を止め、固まっている。その手に握られていた枝がボキ、と折れた。


「あんたな、俺にそういう顔で、そういう言い方するってことはさぁ」


彼の瞳が三日月のように細くなっていくのを、ご機嫌な猫のようだと雨歌はぼんやり考えながら見つめた。


「__俺に何されてもいいって言ってるのと同じだからな?」

「また怒らせたのならごめんなさい……だけど、絵を見たいって言われるのは少し嬉しい」


雨歌は正直に伝えた。


いつも、思ったことがそのまま口に出てしまう。


さっきも彼を怒らせたのはそういうところなのだろう。

だけど。彼にはなんでも言っていいような気がした。

突き放すのではなくて、縛り付けるようなことを言う人。


「__ありがとう」


雨歌の口から洩れたつぶやきに、彼の目が一瞬だけ大きく見開かれ、ゆらいだ。

そして、ふいと視線をはずされる。


「いいよ……わたしの絵、見ても」


雨歌は立ち上がり、ワンピースのお尻部分を払い、ゆっくり彼の隣に移動した。彼の足元に伏せていたルーガンが顔を上げてパタパタしっぽを振っているのがかわいい。


「これは、ルーガンの羽根……それと」


少し緊張しながら、彼にスケッチブックを開いて見せる。


「__きみの魔法のイメージ」


「……………………」


スケッチブックを覗き込んだ彼の目がじっと自分の絵を凝視している。焚火の影が、彼の頬の輪郭を縁取っていた。睫毛の先まで濡れて見えるほどに、夜気が濃い。


「きみがわたしにかけたふしぎな魔法とかを思い出して描いたの」


雨歌の手が優しく絵をなでた。


「わたし、たまに、言葉やものに色や形が重なって見えるの。いろんなかたちが、きみの色と一緒に万華鏡みたいにぐるぐる、動いてるんだ。追いかけたら逃げられて……もっと、もっとって」

追いかけた先に捕まえた図形。迷路のようにうねる線を雨歌は指先でゆっくりなぞっていく。

多方面から規則性を持った線と絡み合い、混ざり合う線と図形。

不協和音のようでいて、強くて悲しいリズムを刻んだその紋様は、まるで彼の出した魔法陣の曼荼羅模様をほどいて、バラバラにしたような模様だ。


見ているだけで酔いそうな線と記号の集合体と、美しいルーガンの羽根との対比。

なかなか納得できる絵が描けたと思う。

雨歌はそっと隣で先ほどから何も言わずに絵を見つめている少年の横顔を見つめた。


彼の、のどぼとけがゆっくりと上下する。


「__あんた、俺の術を解析、分解しやがったな」


「かいせき?」

「……魔術師にそれやったら、場合によっては殺されても文句言えねぇっての。ああ、俺は殺さねぇけどな……“別の意味”で罰は与えるけどよ」

「…………」

「魔術ってのはな、他人に“読まれる”のが一番の屈辱なんだよ」


言い切って黙り込む彼の目は、獲物を見つけた獰猛な獣のように瞳孔が開いている。赤い炎の奥に、何か答えがあるような気がする。だけどその正体が分からない。


雨歌はぼんやり、いつかこの目を描きたいと思った。


「かいせきは……していないよ。ただ、観て、描いただけ。ほら、ここのアラベスク模様。絡み合う紋様がきれいでしょう?きみのことを『観て』いたら、こんなに複雑で……追いかけるのがたいへ…………ん」


煤けた指で、スケッチブックを妖しく蠢く線をゆっくりなぞっていると、急にその指をつかまれ、口をつぐむ。


「……怒っているの?」


「あーあ、アンタのせいでだいぶご機嫌が斜めだよ……なぁ、俺、いまアンタのせいでこんなに火照っちゃってるの。どうしてくれんの?」


掴まれた指ごと、彼の頬に触れさせられる。


__熱い。


熱がじんわり伝わってきて、振り払うことができずに雨歌はじっと指先にその体温を感じていた。

彼の掴む力は強くて強引なのに、雨歌が本気を出したらいつでも振り払うことができるくらいの微妙な力加減。

その先を決めさせてくれるような甘さが不思議で、じっと彼の目を見つめた。

ゆらゆらと潤んだ赤い泉。そこに所在なさげな自分がうつっている。


「アンタが俺の機嫌を損ねたんだから、俺の機嫌なおせよ。気持ちよぉく、楽しく、な?」


(__ 気持ちよく、楽しく)


それは雨歌が今まで困ったときにその場をごまかすためのとっておきだった。

今は笑ってくれなくなった母親も、離れていった友達も、小さなころは雨歌が”それ”をすると笑ってくれたのだ。


「やり方……分かってるんだろ?」

「なんで……」

「いいから。あんた、いま『やらなきゃ』って顔してる」


有無を言わせない言葉に押され、雨歌は決意を秘めてうなづいた。

やるしかない。

一拍、逡巡する。焚火の音がやけに大きく響く。

でも、“笑わせる”なら、これがいちばん効くはずだ。


そっと腕を引き彼の手から逃れると、彼ののどぼとけが再び上下した。


ゆっくり彼に顔を近づける。


彼の手が伸びて眼鏡に掛かりそうになるのを、すい、とよけて。


雨歌は思い切り自分のほほを両手で押さえて白目を剝いた。


__沈黙。


焚火がパチ、とはぜる。ルーガンがクゥン、と小さく声をあげた。 シッポがぶんぶん振られているのは、どうやら喜んでいるらしい。


「…………」


(笑ってくれない。楽しく、させられない?)


「……面白くない?じゃあ……これは?」


雨歌は細い指先で器用に自身の鼻先と目をつまみ、思い切り引き下げて変形させた。

目の前の男は何もできず、固まっている。だが、口元がひくりと動いたのを雨歌の鋭い観察眼は見逃さなかった。


(あと、一押し__)


寄り目になって顎を引き、舌を思い切り出した。五歳の時に願いの石をくれたあの女の子を泣き止ませたこともある自信作だ。


出現した第三形態に、とうとう彼が決壊する。


「……クッ……ハァッ!!」


最初は抑えたような笑い声が、だんだんと遠慮することなく大きくなっていく。


前のめりになり腹の底から笑う彼を、雨歌はどこか満足げに見つめた。


……そう、昔もこれで母が笑ってくれた。

今はもう笑ってくれないけど。


「小さい時から、へんな顔で笑わせるのは、とくいだったの……」


「……気色悪ぃ女だな。あんた、マジで正気かよ」


涙をぬぐいながら男は雨歌をにらみつけてくる。


「だって、きみが言ったんだよ 『楽しい気持ちにさせろ』」……って」


「言葉をそのまんま受け取ってんじゃねぇよ!あぁ、この変態女、ほんとムカつく」


拳を握りしめる彼の横で、雨歌は第四形態に入る準備を始めた。


ルーガンゆったり放ったあくびが夜に溶けてゆく。


それは、誰も本当のことを言わないまま、過ぎた夜。

焚火の灯だけが、すべてを見ていた。


彼女たちがここを出るまで、あと、五夜。


雨歌は共感覚の持ち主です。持ってる人、魔法つかえるかもね。

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