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5・言葉にできない思いは沈黙に

「____クソ変態女ァァァァァッ!!」


シンフィルの絶叫が響いている。


彼の視線の先には、ぼんやり立ち尽くす雨歌と、その横で低い声で唸り声をあげる異形の魔獣__堕ちた、瘴獣がいた。

ねじ曲がった角を額から生やし、奇妙に大きな目玉だけが顔全体を占めている、四つ足の瘴獣。

その大きさは、片翼のみ翼を広げて勇敢に威嚇しているルーガンの倍ほどもある。

瘴獣の口の乱杭歯には生々しい何かの肉片がこびりつき、いまだその口元からは赤い臓腑が垂れ下がって揺れていた。風が腐臭を運ぶ。

並の神経の持ち主なら、耐えられずに失神しそうな化け物。

それにふらふらと近づく女が。

スケッチブックと筆記具を胸に抱えた雨歌だ。


(……すごい。目の中に瞳孔がふたつ、ううん、みっつもある。視界はどうなっているんだろう……体、ふらついている。そうか、瞳孔がたくさんあるせいで、光が増幅して見えているんだ)


雨歌はシンフィルの絶叫など全く耳に入らない様子で、魅了されたように動かない。

異形の黄色く濁った大きな目玉がぎょろりと動き、そばで立ちすくむ雨歌を視界に捉える。

クァ、とその口が大きく開いた。


「クソ女、変態女、イカレ女ァ!このスットコドッコイ!出てくんじゃねぇーーー!!」


こめかみに青筋を立て叫びながらも、魔獣殲滅隊、無法級の称号を持つ彼の反射神経は伊達ではない。

彼の右手は素早く魔法陣を描いて口もとからは低い詠唱が続く。

赤い軌跡が複雑な曼荼羅模様を宙に描き出す。

魔法陣は淡く光り、静かにひび割れ、ひとつの爆ぜ音とともに霧散した。

同時に天地が引き裂かれたような咆哮とともに__激しいうねりが巻き起こる。


__刹那。


消えた魔法陣の中心から黒と見まごうような禍々しい色に沈んだ炎が現れ、雨歌に牙を剥き飛びかかろうとしていた瘴獣と、ついでにシンフィル自身の背後からも飛びかかろうとしていた瘴獣をも三匹まとめて包み込む。

黒い渦が竜巻のように荒れ狂い周りの小石やねじ曲がった草木をも巻き込んでゆき。

炎にはじかれて飛んだ小石が雨歌の頬をかすめ、その柔らかそうな白い肌に赤い筋を作った。


「……」


かすかに流れた血の色が目に焼き付き、シンフィルは不快なざわめきを胸に覚える。しかしすぐにその感情に『わざわざ危険に飛び込むスットコドッコイも一緒に殲滅したい気持ち』と名付け、詠唱を続けた。

__数秒後には、静寂。

そこには何も残っていない。そこにいたはずの瘴獣の、骨さえも。


「……アンタさ。舐めてんの?俺が優しく、やさぁしく言ってやった言葉覚えてる?わざわざ結界組んでやって、『ここから出るな』って言ったよなぁ?耳に絵の具でも詰まってんの?」


シンフィルはマントを後ろにはねのけると、焼け焦げた大地にぺたんと座り込んでいる雨歌にゆっくり近づいた。ルーガンも羽をたたみ、それに続く。


「うるさかった」


「ああ?」


「きみ、なんか叫んでたでしょ。あれがうるさかった」


シンフェルは雨歌の頬にできた傷をぬぐおうと伸ばした手を下げた。

呆気にとられ、何も言えない。ずる、とマントがずれたような気がする。


「あの生き物……瘴獣、瞳孔が三つあった。瞳孔がみっつもあるといったい物は何重に見えるのかな。それに体がふらふらしていて、視線も定まらず……多分ほとんど目が見えてなかったんだと思う」


「…………」


「音で動いていた。たぶん、きみが叫ばなかったら瘴獣も反応しなかったはず。

きみのあの花火みたいな魔法、すごくきれいだったけど、力押しって感じ。もっと簡単に終わらせてあげたかったら多分閃光を__」


「…………もういい。あんた、だまれ」 


ぞっとするような低い声がシンフィルの口から洩れた。

彼は目の奥に揺らめきと、静かな怒りと__雨歌には分からない熱を宿して雨歌の顔を覗き込む。


「もともと俺は魔獣治癒士であって、観察変態女の護衛なんざ仕事の範疇じゃない。瘴獣殲滅隊として神官長より”俺のつがい”保護を拝命されたわけだが、なんだろうな…………生まれて初めてこの地位を捨ててもいいと今猛烈に思っている」


「それは__」


「”だまれ”__誰が話していいって言った?」


低い声が、二重に響いた。

彼が何かしたのだ、と悟った時にはシンフィルの手が雨歌の口を覆っていた。

唇の間からぬるりと侵入してきた指の感触が不快で、雨歌の眉が苦し気に寄せられる。

ようやく、シンフィルの目が和らいだ。瞳の奥に獰猛な光を宿したまま。


「なんだ、あんたいい顔できるじゃん」

「……く……ぁ」

雨歌の苦しげな声にルーガンがピクリ、と耳を動かした。主の顔をじっと見上げる。その瞳を見たシンフェルの顔に一瞬、ほんの一瞬だけばつの悪そうな影が差した。が、それも一瞬のこと。彼は目をそらしてルーガンを無視した。


「……これは、”しつけ”なんだよ」


言い訳のような言葉に、ルーガンが、かすかに鼻を鳴らした。

その音には抗議も、理解も、ただ静かな問いかけもなかった。


「……んん」


顔を振ってシンフィルの指から逃れた雨歌は、抗議の一つでも言わないと気が済まないとばかりに口を開いた。だが、のどを押さえ、口を開けては閉じる。酸欠の金魚のようにもがくことしかできない。


(声が、でない)


「あと、六夜」


そう言ったシンフィルが雨歌の前にゆっくりとしゃがみこむ。

シンフィルの指が、まだ雨歌の唇の余熱を指先に残したまま、雨歌のあごを優しくつかんだ。

視線を合わせるかのように顔を息がかかるまで近づけて__雨歌が身を引くよりも先にスイッと引いた。

その目はずっと雨歌を見つめている。先ほどまで戦っていた時の方が、よほど理性のある目をしているが、雨歌には彼の狂気めいたものがどこからやってきているのか分からない。


「あと六夜もある」


雨歌は意味が分からず首を傾げた。肩にかかっていた三つ編みが揺れ、胸の前に落ちる。


「そのしぐさ、あんたみたいなやつがやるとなかなかいいな。頭が悪そうでさ……教えてやるよ、このザナルの墜森を抜けるまでの日数のことだよ。森を抜けた先にあるアベイルの町で俺の上官と合流だ」


シンフィルはわざとらしく困った顔をしながら、雨歌の手をゆっくりと取り、人差し指で雨歌の人差し指や指の間を優し気な手つきでなぞるように撫であげた。

そして、手に取った雨歌の両手の指をいっぽん、いっぽんゆっくり折っていき、数を六まで数え上げる。


「なげぇよなぁ。でも自分のせいだって分かる?アンタがわざわざ森の奥深くに落ちてくれたおかげでさ、こっちは七晩もの間、つがい様を探し回る羽目になったってわけ。こんな変態女だって分かってたらさっさと見切りつけてアベイルの町の娼館にでもしけこんでたが、まぁ終わったことだ、しかたねぇ」


ふう、とため息ひとつ。

となりで所在なさげにお座りをするルーガンが、先ほどからずっと不穏なものを感じているのか、しきりと主人と雨歌の、顔を見比べていた。


「まぁ俺と行動する分には安心しろ。瘴気も、瘴獣も怖くない、ザナルの墜森観光ツアー、六泊七日の旅ってやつ__」

シンフィルの指が、無遠慮に雨歌の人差し指をなぞる。ペンだこに触れると、その場所を意図的に何度も撫でる。


「……これ。アンタの“お絵描き馬鹿”の証拠なわけ?こういうの、案外嫌いじゃないんだよな」


雨歌が微かに身をすくめる。昏く嗤い、その反応ごと、指で弄ぶ。


「そのかわり、あんたには黙っていてもらう。俺の許可なく喋らせない。勝手な行動も」


雨歌はなぜ彼がこんなことをしているのか分からない。それでもその目の奥に何か答えがあるような気がして。


「のこのこ瘴気の漂う戦場にあらわれて、バカみてぇに目見開いて観察して……こっちが守ってるのもどうでもいいって顔して……あんたには、怖いって感情もないのかよ」


「…………」


雨歌はじっと、シンフィルを見ていた。でも割れた眼鏡ごしに彼の気持ちを推し量ることなんか、到底無理な話だった。


(でも。なんで、きみ、泣きそうなの……)


見えているはずの理由が、どうしても分からない。

ふいに心に浮かんだ疑問は、彼のかけた魔法のせいで言葉にかわることはなく、泡となり消えていった。



シンフィルのどうでもいい裏設定。

こんな彼は童貞です。童貞のどはドSのど。


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