第1話:歪曲した谷
「変。」
俺達全員が感じていた違和感を、疑問として初めて言葉にしたのは、助手席に座っていたキョウマだった。
「ああ……そうだな」
運転手のリオも、積極的ではないが彼の言葉に賛同する。
言葉にはしなかったが、後部座席に座っていた俺とシオリも同様に違和感を覚えていた。
「いっかい車止めるぞ。」
***
現在地は、宮崎県に位置するとある海沿いの道路上だ。
車から降りて見える景色も、片側は地平線まで広がる青い海で、もう片側を見れば山以外何もなかった。
通って来た道も先の道を見ても、車は一台も見当たらない。
この場所には俺達四人以外、誰もいないようだった。
「……状況を確認する前に、先に聞いておくべきことがあるんだが。」
辺りの様子を伺っていた俺達三人に、リオは話す。
「俺達の中で誰も体調が悪かったりする奴はいないな? いるならすぐに言ってくれ、緊急事態なんだ、メンバーの状況は把握しておきたい。」
そう聞かれ、特に言うことも無かった俺は隣のシオリの方を見る。シオリもまた俺と同じで言うことも無かったのか、俺の方を見た。
誰も何もないのだろうとお互いにそう思った時、やけに汗をかいていて、中腰になっているキョウマが手を挙げた。
「……どうした?」
「腹痛い。」
「……そこの林の奥でしてこい。あんまり奥行くなよ、迷うから。」
「うい。」
草木を掻き分けて、山の中に入っていくキョウマの背中を俺達三人はまるで他人事のように眺めていた。
それから、キョウマがトイレから戻って来てから、再びリオが話始めた。
「状況を確認するか。まず、俺達は何をしにここまで来た? キョウマ。」
「旅行。」
「そうだな。俺達は旅行しに宮崎まで来た。レンタカーを借りてな、それからどこに向かう途中だった? シオリ。」
「確か……鵜戸神宮、でしたよね? 岬に出来た洞窟の中に本殿があるっていう……」
「その通りだ。それで……アキト、今俺達に何が起きている?」
「この場から動けなくなってるな。」
「その原因は?」
「原因……ねぇ……」
俺達の身に起きていることは、今この場から動けないということ。
そして、俺達が今ここで動けない原因は1つしかない。それは、この道から抜け出せないことだ。
道の繰り返しに入ってから約75分間、一切景色が変化している様子が見られない。いや正確な時間は分からないな。景色がそもそも海と山しかないこの道では、景色の変化が無いことなんて別に違和感を持つようなことじゃない。もしかしたら75分よりも短いかもしれないし、長かったのかもしれない。しかし、今ここで重要なのは、同じ道の繰り返しから抜け出せないという事実だけだろう。
この異常を異常だと確信できる根拠は、変わらない景色とは別であと三つある。
一つ目は、この繰り返しの途中で見かける「止まれ」の標識だ。
正確には標識だけではない。ちゃんとアスファルト上にも「止まれ」と書かれている。
これ自体がそもそも異常だった。こんな崖沿いの一本道なのに、なぜ止まる必要があるのだろう。むしろ止まったら追突事故が起こる可能性だってあるだろうに。
一回のループにつき必ず一度はこの「止まれ」を目にすることになる。俺達が違和感に気づけたのもこの印象に残りやすい標識が一番の要因だった。
二つ目は、壊れたカーナビだ。
まあコレはもう文字通りのもので、カーナビ上の車の位置があり得ない座標にあって、あり得ない方向に進み続けている。
さっき確認したら、今の俺達は九十九里浜に近い太平洋上を爆速で北上していた。
そもそも一時間前ほどまでは正常に作動していたのだ、これも異常の一つとして数えていいだろう。
三つ目は……明らかだった。
事前に調べていた神宮への道上にも、持ってきた地図にも載っていない謎の分かれ道。
ここがループの起点となっているのかどうかは分からないが、この分かれ道の一方から先は変わらない道が続いていて、俺達は分かれ道に辿り着く度にそちらを選んで進んでいた。そして今、こういう状況下におかれているわけだが……
もう一方の道の先が問題だった。
曲がった先に見えるのは、谷だった。
空間が歪んだように、山の間に出来た谷。谷の奥は深い霧で包まれていて奥の様子を伺うことはできないのだ。
これ自体、異常以外の何物でもないのだが……それ以上に不気味なのが、霧の奥を見る度、「知りたくない」という気持ちが湧いてくるのだ。あの谷は見る度に背筋が凍る。未知に対する恐怖なのか、それとも、本能で危険を察知しているのかは分からないが、あの谷には人間が人間という生物で在る限り避けられない恐怖の根源があるように思えた。
「同じ道の繰り返しが原因で、変わらない景色に標識、カーナビ……あと谷が根拠かな。」
「その通りだ。」
リオは俺達三人の顔を一人ずつ見てから、天を仰ぎ、大きく深呼吸をした。
迷いを息と一緒に吐き出したのか、彼の顔は覚悟に満ちた様子だった。
「……このまま、抜け出せずに餓死寸前までいっても手遅れだ。」
「……」
「そこで、俺はお前らに提案したい。」
「……」
「あの曲がり角……俺達は谷に進む。」
「……」
「どうだ?」
反対する者は誰もいなかった。
リオは目を瞑る。現実からの逃避か、神への祈りか、それともその両方か。
きっと両方だろう。
俺達もまた同じように、静かに息をして、目を瞑っていた。