第1話:魔王
「お前は……魔王」
「……」
黒く染まった空の下、あらゆる死を見てきた生暖かい風が2人の間を通り抜けた。
男は目の前に立っている魔王を見て、怒りよりも先に笑みが零れそうになる。
ようやく、終わる。
思い出の街と小さくありふれた記憶。
数少ない理解者だった友との出会いと別れ。
最愛だった人の笑顔の記憶は、色褪せてもう思い出せない。
憎悪と憤怒だけが男の心中で渦巻いていたが、
ただ今は……愉快さで満たされていた。
全ての憎悪と憤怒は、私を狂的な笑いへと誘う。
これは旅が終着点へと辿り着いたことへの喜びから生まれたものなのだろうか。それとも、自分もまた目の前に立つ悪魔と同様に狂ってしまったのだろうか。その答えを得ることはもうないだろう。
男は、全ての記憶とそこから生まれた全ての因縁を込めるように、右手の大剣を握りしめる。
「……」
「俺は、お前を殺す。」
魔王はただ、この世全ての苦痛と憎悪で満ち満ちたその両の瞳で目の前の男を見つめていた。
男の剣先が、魔王の喉元へ向かって、飛んだ。
そこで、その世界は終局を迎えた。
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木の葉の香りが鼻の辺りを漂う。小鳥の囀りが遠くから聞こえる。
遠い、遠い記憶の中で覚えのある景色が、目を開いた先に広がっていた。
「ここは……?」
目覚めると、自分は森の真ん中で倒れていた。
起き上がり、周囲を見渡す。そこはやはり潰えたはずの命が芽吹いた、新緑で満ちた森であった。
記憶を辿る。
自分は魔王と出会った。その後、奴を殺したはずだ。
確かに、奴の喉元を剣先が貫いた感覚がした。肉を貫いた感覚、それは右手に今も残っている。
ではなぜ自分は今ここにいる?
……奴を殺した先の記憶がない。
自分はあの後、どうした?
そもそも自分は奴を殺した後、後を追って自殺するつもりだった。
俺は死んだのか? それで、転生でもしたっていうのか?
いや待て、相手はあの魔王だ。喉を貫いた程度で本当に死んだのか?
これは奴の作り出した幻覚という可能性は無いだろうか。だとしたら……
「あ、いたいた。 おいキミ、こんなところで何をしているんだい?」
全ての思考が、その瞬間、泡になって弾けた。
声の主は、後ろにいる。
だが、振り向けない。否、振り向きたい思いを必死に食い止めている自分がいる。
これは、魔王の、罠、だ。
でももし、罠じゃなかったら?
これが転生だったり、走馬灯だったり……
もしも……
もしも……
タイムリープだったら?
「やぁ。」
私は振り向いた。
そこには、笑顔でこちらを見つめるかつて私の妻であった女がいた。