忘れられない
湿気で広がる髪の毛のおかげで毎年憂鬱だった梅雨も、今年は少し気分がいい。
放課後の静けさが増す廊下。降りやまない雨が窓ガラスをたたく中、物理の先生に頼まれたクラス全員分のプリントを回収し、6階の物理準備室へ届ける。
その帰り道、通り過ぎようとした屋上へ続く階段の踊り場にいたのは、若松くんと、誰だかわからない女の子。
肩の上で切りそろえられた艶やかな黒髪に、制服のスカートから除いた足は白くて華奢で、きっとかわいい子に違いない。
「好き」と聞こえた声は、少し震えていた。
人の告白現場を覗き見するなんて、悪趣味だ。
わかっている。わかってはいるけれど、床と足がくっついてしまったように、動かない。目が、離せない。
(若松くん。…なんて、返事するんだろう。)
目が離せなかったくせに、若松くんが女の子の告白を受け入れる姿なんて見たくなくて、目を閉じる。けど、一瞬で、ここにいるほうがよくないと思い直す。
(帰ろう。)
そう、瞳をあけて、心臓がドクンっと音を立てた。慌ててその場を離れる。
階段を駆け下りて、廊下を走る。走っているつもりが、足がもつれてうまく走れない。
昇降口まで来たところで、速度を落とす。
若松くんが、…女の子をそっと抱きしめていた。
見てしまった、そのシーンが鼓動を速くさせる。
悲しいのか悔しいのか寂しいのか辛いのか。
わからなかった。
でも、心がぐちゃぐちゃで、すごく、乱れた。
そして、自覚した。改めて。
若松くんへの想いを自覚した。
好きだった人、忘れられない人。では、ない。
まだ、好きな人。
(でも、もうダメかなぁ。)
若松くんは、女の子を抱きしめていた。
きっと、告白を受け入れたんだろう。
それに、若松くんと目があってしまった。と、思う。
のぞいていたことがばれてしまった。
嫌われてしまったかもしれない。
いや、一度振られている時点で…私は、なしか。
「俺には、無理だよ。一緒にいられない。」
そう言った切なくて苦しそうな顔が、最後に若松くんと言葉をかわした時の表情が、かすれた声が、脳裏に浮かぶ。
苦しいな。
私だけが、若松くんのこと、忘れられないのかな。
(……帰ろう。)
溢れてきた涙をぬぐって、教室へ向かう。
誰もいないと思っていた教室に、俊の姿があった。なかなか止まらない涙をまたぬぐう。
「…璃亜?」
俊の優しい声が聞こえる。その声に、さらに涙が溢れた。
俯く私に、ふわっと、俊の香水が香って、抱きよせられたのがわかった。
泣いている理由なんてわからないはずなのに、何度も大丈夫だって言って、頭を撫でてくれる。
俊の彼女には悪いけど、今はこの幼馴染に甘えてしまおう。
若松くんへの想いを、もう気づかないふりなんてできない。
忘れたい。忘れられない。忘れたくない。
好き。