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「ホント……こんな物、見つけなければ良いのに」


 相変わらず動けない伸二の体の上に、清子はA4の紙袋を投げた。あのデイトレーダーから受け取った資料が入っている袋だ。


 丁寧に隠しておいたつもりだが、清子は目敏く見つけ出し、しばらく知らぬ振りをしていたのだろう。


 夫の命を絶つ準備が整うまで。


「最後の仕上げはもう少しゆっくりやるつもりだったのに。段取りが狂ってしまいましたよ」


 なぁ、教えてくれ、お前は人殺しなのか?


 伸二が口にした問いは、口の痺れでまともな言葉になっていなかったが、その意図は清子へ伝わった様だ。


 艶やかに微笑み、非情な告白を始めた。


「世の中には、馬鹿な寂しがり屋が沢山いますからね。少し優しくしてあげれば、簡単に自分の命を投げ出してくる。ええ、これまで四人ほど、保険金を掛けて死んでもらいましたよ」


 資料に書かれていた男の数は三人。


 つまり、まだ世に知られていない罪を、伸二の妻は背負っている事になる。


「少し前、私と似た手口の女がボロを出し、詐欺と殺人で警察に捕まりましたでしょう。御蔭で首尾よく男を殺しても、保険金を受け取る為の審査が厳しくなったんですよ。仕方ないから、保険金より遺産を稼ぐ方へ宗旨替えして、最初の相手があなたでした」


 伸二は、婚活パーティの広く混雑した会場で真っすぐ歩み寄って来る清子の姿を思い出していた。


 やはり、あの出会いは偶然では無かったのだ。


「カモを探しに結婚相談所を訪ね、あなたの資料を見た時はうれしかったわ。親を失い、裕福とは言えないまでも、それなりの不動産を持っている。新しい仕事のやり方を試すのに御誂え向きだと思ったの」


 伸二に顔を寄せ、清子は優しく頬刷りをした。


「会場で話をしたら、あなた、違法ハーブで警察に捕まった事があるって言うじゃないですか。これも私には好都合」


 僕を殺す時、大した偽装が要らないからだろ、と伸二の唇が動く。

 

「フフッ、又、危ない薬に手を出した挙句、失火で家が火事になる……ラりった指先から煙草が落ちたりしてね。で、私は辛うじて逃げ出した事にすれば誰も疑わない。警察だって、あなたの前科を知れば、私の事なんか調べもしないわ」


 伸二は床へ頭を打ち付け、痺れを少しでも体から追い出そうとした。


 馬鹿な男の、最後の意地だ。積み上げられた悪巧みの通り、始末されるのだけは嫌だと思った。


「あぁ、心配しないでね。不動産の権利証とか、金目の物はみんな銀行の貸金庫に預けてあるから、全焼しても大丈夫。ふふ、備えあれば憂いなしってね」


 死にもの狂いで伸二がもがくと、やれやれとあきれ顔で清子が首を横に振る。


 何故だ!? 何故、こうまでしてお前は金が欲しいんだ?


 声にならない夫の声を、今度も清子は聞き取った。


「お金はあるに越した事無いのよ。だって、あの人を見つけなきゃいけないもの」


 清子は、ふと虚ろな眼差しを窓の外へ向け、半ば黒雲に隠れた月を見やる。


 今は伸二も見慣れた素振り、現実から乖離した幻想へ陥る時、彼女が決まって浮かべる表情だ。


「あの人……確か、有難い法要へ向かう若い御坊さまでした。私を可愛いと言った。法要が済んだら迎えに来ると言ってくれた……運命の人なんです。何としてでも、もう一度会わなきゃ」


 少女の様なあどけなさが清子の顔に浮かび、潤んだ瞳を月から離さない。


 伸二は妻の幻想に思いをはせた。或いは、その内容の中に彼女を出し抜く活路があるかもしれない。






 御坊さまとは……誰だ?


 迎えに来る?


 何処までも追いかけた?


 あぁ、そう言えば、子供の頃、似たような伝説を読んだ気がする。


 童話向けに中身を要約した絵本だと思うが、確か、紀州にある道成寺という寺を舞台にした物語だ。


 清子は、SNSの中で自身を「キヨヒメ」と呼んでいた。


 清姫と言えば、物語の中で安珍という僧侶を愛し、裏切られて、蛇と化した美女の名だった筈。でも、何故、それを自分に重ねたのだろう?


 似たような辛い恋をしたのかもしれない。


 そのせいで男性不振に陥り、結婚詐欺の類を繰り返すきっかけになった……そんな感じだろうか?


 自分を加害者ではなく被害者と見なす事で罪の意識を逃れ、何時しか現実と幻想の間の見分けがつかなくなったのかも知れない。






「あ……感じるわ。あの人が、この世界の何処かで私を待ってる。他の男なんか、どうなっても構わない」


 着けたライターの火を目の前にかざし、清子は伸二の目を覗き込んだ。


 揺れる炎の中で女の瞳が蛇になる。


 そして、伸二を再び鮮やかなデジャブが襲った。






 山里で暮らすまだ十五才にも満たない少女が脳裏に浮かび、現在の清子に重なる。


 そして、旅姿の年老いた僧と共に街道を歩き出し、村外れで立ち竦む少女に手を振る自分の姿を思う。

 

 これは……僕が何処かで見た光景なのだろうか?

 

 いや、それはありえない。


 遥か昔、淡いモノクロームの色合いに何処までも包まれた幻想の世界であり、ずっと母と二人、都会で暮らして来た伸二の記憶と根本的に食い違っている。


 自分が清姫の生まれ変わりと信じる清子の影響だろうか?


 それとも、本当に前世の記憶が?


 もし……もしも、自分こそ安珍だとしたら、どうだろう?


 彼女が探している男の生まれ変わりだとしたら?


 奇妙なデジャブ以外、何の証拠も無い。でも、伸二の中で確かな実感が生じつつあった。清子と出会って以来、繰返し、繰返し、積み上げて来た幻影の欠片が今や一つの物語の形を成しつつある。


 一方、意識の混濁も確実に進んでいた。


 現実には逃げ場の無い死の恐怖と絶望感が、「キヨヒメ」と化した清子の幻想へ、伸二の心を誘い、シンクロさせていく。






 ポトリ。


 無造作に清子がライターを落とした。

 

 瞬く間に炎が床の灯油を舐め、燃え広がる。その真っ赤な揺らめきに促され、又も、脳裏へ浮かび上がるデジャブ……


 だが、いつもの物と現実感が違う。


 あまりに鮮明で強烈。前世の記憶と言うより、今、この瞬間、リアルタイムに体験しうる心象風景が伸二の周囲で展開していく。


 そう、彼は自宅の床では無く、道成寺の鐘堂で天井から下ろされ、床へ伏せられた巨大な鐘の中にいた。


 月明かりがさし込む隙間など鐘の何処にも無いけれど、尚、周囲が見えるのは巻き付く大蛇の熱を受け、灼けた鋼が赤く光を発しているからだ。


 このままだと、いずれ鐘は溶けだすのだろう。


 あの伝説が物語る通り、伸二は……いや、平安時代の僧・安珍は焼き尽くされてしまうのだろう。


 むしろ、全身が火傷に覆われ、呼吸もできない状況で、意識が途絶えていない方が不思議に思えてならない。


 まだ耳も聞こえている。


 鐘の外側で、誰かすすり泣く声がする。


 あの少女、清姫の声だ。






 もう大人になった筈なのに、蛇に身をやつした筈なのに、初めて出会った時と何も変わらない彼女の姿が、薄れゆく僕の意識を過っていく。


 忘れた事など無い、でも忘れなければならない愛しい面影。


 再会を約束して彼女と別れた後、僕は仏法の修行へ没頭した。そして、恋慕が精進の妨げになると、ある時期から考えるようになった。


 あの頃の僕は思いあがっていたんだ。


 学んだ知識で乱れた世を鎮め、あまねく民草を救う力を得る。それが彼女を救う事にも繋がるのだと、本気で信じていた。


 馬鹿だったよ。


 僕の帰りを待ち続けた一途な君を、あんな風に変えてしまったのは誰でもない、僕だ。僕の罪だ。


 君は全然悪くない。


 千年にも及ぶ遥かな時の流れの中、この世界でただ一人、僕だけが、それを君に告げる事ができる。


 告げて、積み重ねた罪を共に背負い、かたく手を繋いだまま、地獄の果てまで堕ちていく事ができる。


 だから……






「さよなら、私の旦那様。短い間だったけれど、あなたとの時間はそれなりに楽しかったわ」


 火の広がりを確認し、清子は満足げに頷いた。


 こちらに背を向け、歩き出す。


 追わなきゃ。


 痺れた手足の先に床の炎が移り、痛みと同時に少しだけ感覚が戻ってきて、伸二は這う。清子の方へ這って行く。






 前は君が追ってきた。でも、今度は僕が君を追う。


 生と死の狭間を縫い、生まれ変わる度に出会い、結ばれ、君の手で殺され続ける。でも、何度繰り返しても、逃げる君の背に追いつけない。


 何せ、僕に得られるのは断片的なデジャブだけ。


 死の淵へ追い詰められるまで前世の記憶を完全に取り戻せないのは、多分、僕に与えられた罰なのだろう。


 修羅と化した君を救えない哀しみこそ、僕が味わい得る最大の痛みなのだから。






 手と足の先端から炎の舌が駆け上り、ついに伸二の全身が業火に包まれた。


 夫がのたうち回る間、清子は素早く廊下へ飛び出す。玄関ドアの扉が開き、閉じ、慌ただしく駆け去る足音が聞こえる。






 あぁ、待ってくれ! お前が探している男はここにいる。


 どうしても伝えたいんだ。


 君は全然、悪くない。






 尚も虚しい幻想に縋りつき、声にならない声で呼びかける伸二は、灼熱する巨大な鐘の中で溶けていく己を感じた。


 これから、清子はどうなるのだろう。


 決して巡り会えない男の面影を追いかけ、「運命の出会い」を演出しながら、更に罪を重ねていくのだろうか?


 そう言えば、伝説の中で清姫は最後にどうなったっけ?


 失われゆく意識の中で、愛する女の末路へ伸二は思いを馳せた。


 もう少しでわかりそうに思えた時、燃え盛る炎が、僅かに残る彼の心を体ごと焼き尽くしていった。


 道明寺の伝説と同じく、骨の欠片も残さぬ程に。


読んで頂き、ありがとうございます。


今回も何とか書き終える事ができました。

長編も含め、書いてみたい題材が幾つか溜まっているので、少し検討する時間を取り、執筆を再開したいと思っています。


良かったら、又、ご覧下さい。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 巡りあってるのに気付かない。 もはや復讐で心が壊れてしまっているのかも……。何度生まれ変わっても──。
[良い点] なるほど、日本の、昔話に、原点があったのか? どこかで、読んだ記憶がありましたが、こういう、結末だとは意外でした。 先生のざらなる活躍を、期待致します!!!
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