2
ノコノコ出かけた婚活パーティ当日、会場は生花やイルミネーションで飾り立てられていた。
定番の段取りで、30分毎に男性は違うテーブルへ移動し、待ち構える女性に自分をアピールしなければならない。
同じ年頃の男達を見ると、移動する度にテーブルへ貯金通帳や自宅の写真等を広げ、涙ぐましい売り込みを繰り広げていて、とても真似できそうに無い。
参加者全員がテーブルを離れる「雑談タイム」へ移行した頃、伸二は壁際に凭れ、手持無沙汰に佇んでいた。
帰るタイミングを計りつつ、それとなく出口の辺りを伺う内、
「……あぶれてしまったのかしら、あなたも?」
その声で反射的に振向くと、ゆっくり近づいてくる女が見えた。
小柄で均整の取れた体をシックなワンピースで包み、地味な反面、落ち着いた雰囲気がある。
「あの、失礼ですけど、僕、あなたと前にお会いした事ありますか?」
水上清子と名乗る女を間近に見、伸二は強いデジャブを感じた。それは、この後、彼が何度も繰り返し抱く感覚を最初に意識させられた瞬間でもある。
「いえ、ですが、私もあなたと初対面には思えません。何故だか、古いお友達を見つけた気がして……ご迷惑だったかしら?」
「いえっ、とんでもない!」
緊張の余り声が裏返る伸二に対し、頬を赤らめる清子の表情には、年に似合わぬ可憐さがある。
地味な色合いの蕾が膨らみ、瞬く間に鮮やかな花弁を開いたようだ。釘付けになった視線をどうしても逸らす事ができない。
珍しく伸二は多弁になった。言葉のやり取りを途切れさせたくなくて、話が弾む内、つい調子に乗り過ぎたのだろう。
違法ハーブで警察沙汰になった件まで打ち明けてしまったのだが、
「……魔がさす事なんて、誰にでもあるわ」
清子は、事も無く伸二の告白を受止め、優しく微笑んだ。
「私の場合はね、多分、或る人から生まれて初めて好きだと言われた瞬間が、それだと思います」
「つまり、初恋の人ですか?」
「昔……私がまだ幼いと言っても良い年頃に、ある旅人と出会いました」
「旅人?」
「ふふっ、昔話だから、話半分に聞いて下さい。大事な仕事を任されて、故郷から出てきた人、とでも思ってくれたら良いわ」
転勤が多い職種なら証券会社の営業マン辺りだろうか?
清子の屈託のない言葉づかいを聞き、伸二は素直に頷いた。
「一目で私達は惹かれ合い、やがてお互いの気持ちを打ち明けました」
「……ちょっと妬けるな、その話」
軽いツッコミでも、彼女は恥じらい、微かに頬を赤らめる。
その反応が嬉しかった。子供の頃、休み時間に教室の片隅で女子とからかい合っていた時の未熟な胸のときめきも、丁度こんな風だった記憶がある。
清子の側にいるだけで、少し若返った気さえしたのだが、
「でも、今夜、ここに来られていると言う事は?」
「ええ、初恋は実を結ばなかったの」
あくまで静かな語り口でありながら、その言葉に高まる熱を感じた。
「いずれ必ず迎えに来ると誓い、その人は私の元から去っていきました。でも、何時まで待っても、戻らない」
「何故です?」
「きっと、嫌われちゃったのね」
「あなたが? まさか!?」
「いいえ、私が住む街のすぐ側まで来た時さえ、連絡はせず、素通りしてしまった……共通の知人にそう聞いています」
小さな拳が強く握りしめられ、震えている。
物静かな瞳の奥に強い気持ちを秘めた人だな、そう伸二は思い、同時に無責任な男の仕打ちに怒りを募らせた。
「私……山を越え、河を超え、何処までも、その人の後を追いたかったけれど」
「諦めたのですか?」
答える代わり、清子は俯き、苦し気な吐息を漏らす。
頬を伝う涙が、パーティ会場のシャンデリアから降り注ぐ光で白く煌いた。
そして、伸二が息を呑む音に気付いたのだろうか。
こちらへ視線を戻し、静かに微笑む。
「おかげさまで、私、この年まで見事に売れ残っちゃいました。怖い物です、一時の過ちは」
「わ、私なら絶対、あなたを置いて行ったりはしません!」
「ふふっ、たとえ鉄をも溶かす熱い炎にその身を焼かれても、ですか?」
「あなたの為なら、炎なんて怖くない!」
冗談めいた問いかけにも、一世一代の恋と信じて声を張り上げる伸二へ、清子は窘める口調で言った。
「ダメですよ、そんな軽はずみな物言い……自分を大事になさって下さい。変なお薬も、もう二度とやっちゃダメですからね」
おでこを突く指先の感触が心地良い。母を失って以来、そんな風に叱られたのは初めてだ。
伸二の目にも涙が溢れた。子供を諭すように、軽く頬を膨らます清子へ言い知れぬ愛おしさが募っていく。
「きっと僕、今日と言う日の為、孤独な人生をこれまで生きてきたんですね」
普段ならとても言えない陳腐な台詞が堰を切って溢れ出し、止まらない。
すぐさまデートの約束を取り付け、それから半年続いた交際は、伸二にとって夢の日々だった。
箱根への一泊旅行に誘い、ひなびた宿の一室で初めて体を重ねた翌朝に決死の覚悟でプロポーズ。
高鳴る心臓の音を聞きながら、差し出した指輪を受け取ってもらえた瞬間、天にも昇る感激を覚えたものだ。
結婚前の戸籍によると、清子に親は無く、天涯孤独の身の上。身一つで伸二の家へ引っ越して来れば良い。
不動産管理を新妻に任せ、伸二は近所へ出店したばかりのドラッグストアにパート薬剤師として勤務する事を決めた。
アパートの住民は年々減少しており、今や行き場の無い高齢者の夫婦が三組、それと自称デイ・トレーダーの40男が入居しているだけ。
持ち出しの諸経費を差し引きしたら、家賃収入はスズメの涙に過ぎない。
付近の再開発に合せ、取り壊して売る方がずっと儲かるのだが、今の入居者は母の知人ばかりでそれも忍びなかった。
およそ旨味は無い。反面、ルーティンワークが殆どだから大きな負担も無い。
愛想の良い清子は不動産管理もそつなくこなし、穏やかな幸せを噛み締める日々が淀みなく続いていく。
少し気になったのは、清子が時々、ぼうっと遠い目で空の彼方を見つめる癖がある事くらいだ。
きっかけはいつも夕刻、町外れにある寺の鐘が鳴らされる事。
鐘の音にまつわる大事な思い出でも有るのだろうか?
だが、それを一度たりとも妻に訊ねてはいない。きっといつもの調子で屈託なく答えてくれる筈なのに……
何故だか、聞くのが怖かった。
読んで頂き、ありがとうございます。