03
ようやく、設定時刻に時計の針が合い、ベルが鳴った。カチリと音がして、奥の扉の鍵が開く。扉まで歩いて行って覗き込んだが中には誰もいない。正しくは部屋ごと無くなっている状態だ。部屋を改装するために、内装や家具を全て取り払ったように、天井や壁、床の下地が剥き出しになっている。
「よし、ここからが本番」
さっきから使っている魔導回路は、カウンター付き。タイマーの数字、それぞれの回路のカウンターの数字、そして過剰供給された魔力量。そこから空間のズレを計算する。
計算結果から予想される空間の座標は三つ。私は部屋を元の位置に戻すための魔術式を、直接部屋の内部に組み立てていく。そして、最初の座標を組み込み、扉を閉める。すぐに空間の動いた気配がした。扉を開けると、そこには美しいグリフォンがいたが、自分の手に余ると瞬時に判断し、空間を元に戻した。
二回目。もう一度、同じ魔術式に二つ目の座標を組み込む。扉を閉め、再び開ける。開けた途端に、水しぶきが飛んでくる。どうやら巨大な滝の裏側のようだ。生き物の気配はない。今回も外れ。
空間を戻し、飛び散った水を片付ける。作業は単純だが、後始末を含め、魔力の消費が半端ない。三回目が失敗なら、出直しだ。そして、時間が経てば空間のズレは大きくなり、予想される座標は増えてしまう。それでも、どうにか方策を見つけ、レクスを探さなければ……
どうか、どうか無事で、レクス! 祈りながら三つ目の座標を組み込んだ。
空間の動く気配。扉を開ける。そこには三つの人影があった。だが、それはブレたような人影で……
「空間が止まってくれない……」
だけど、このチャンスを逃がすわけにはいかない。部屋を引きずり込もうとするような力を感じる。これを断ち切らなければ。部屋の内側に結界を作る。壁、床、天井は犠牲にしても内部の人間だけは救いたい。結界ごと、元の部屋の中に固定する。だが、魔力が尽きかけていた。今すぐに補充する手段は無い。
絶望しかけた時、後ろから大きな白い翼に包み込まれた。同時に魔力が補充されていく。何が起こっているのか、考える間も惜しい。私はひたすら、レクスを奪おうとする力に抗った。
それから、どれくらい経ったのか。ふと気付けば、白く暖かい羽に包み込まれていた。力を使い果たし、立ち上がることは出来そうもない。だが、なんとか目を凝らすと、レクスと二人の女性が部屋から恐る恐る出てきた。三人とも、五体満足に見える。
「よかった」
安心して気の抜けた私は意識を失った。
「ミルテ、ミルテ!」
切羽詰まった調子のくせに控えめな音量で呼ぶ、レクスの声がした。私は目を瞑ったまま、暖かな羽毛に包まれて微睡んでいた。もう少し寝かせて欲しい。
「ミルテ、頼む、起きてくれ!」
ここまで真剣に頼むのだ。レクスはこの埋め合わせに、次回の訪問でも美味しいものを持ってきてくれるはず。仕方ない、と私は目を開いた。
「………のわ?」
最初に目が合ったのはレクスではなかった。私を覗き込んでいるのは、大きな鷲頭についた金色の目。暖かな羽毛の感触は、グリフォンが私を守るように抱き込んでいるせいだった。
グリフォンの表情が心配そうに見えた。
「大丈夫。温めてくれてありがとう」
そう言って、首元をそっと撫でると、グリフォンは目を細めた。私を守るように閉じられた翼の隙間から伺うと、少し離れたところでレクスと二人の女性が困ったような顔をしている。
「レクス?」
「ミルテ、よかった! 気が付いたんだね」
「うん、私は大丈夫だけど……」
「えーと、ミルテの様子が心配だったんだけど、グリフォンが近づかせてくれないんだ」
グリフォンはまるで自分の子供を守るように私を抱いていた。
「あのね、そこにいるレクスは私の大事な友達。
彼等は私になにもしないから、安心して」
グリフォンの目を見て告げると、少し首を傾げた後、翼をたたんでくれた。
「ありがとう」
やっと立ち上がって、レクスたちの方に歩いていくと、女性の一人が声をかけてくれた。
「初めまして、ミルテさん。
この国の魔道士団長をしているヨゼフィンです。
貴女が助けてくれたのね。ありがとう」
「初めまして、ヨゼフィン様。お会いできて光栄です。
名前は呼び捨てで結構です」
「じゃあ、遠慮なく。
ミルテ、貴女のことをレクスから聞いたのよ。
家を飛ばすような優秀で面白い魔女だって!
会えて嬉しいわ」
「研修所の図書室にあったヨゼフィン様の本は、全て読みました。
自分の進む道の先には、素晴らしい先輩がいるんだって思うと、とても励まされたんです」
「こんな頼もしい後輩が現れるなら、歳をとるのも悪くないわねぇ」
「ヨゼフィン様は、こんなにお若くてお綺麗なのに?」
「ミルテ! もっと言って。貴女の言葉には下心もお世辞も感じない。
いいお友達になれそうよ」
「ヨゼフィン、俺だって、いつも下心も世辞も無しに褒めてるだろう?
……いや、下心はあるか」
新たな声がして廊下につながる扉の方を見ると、筋骨たくましい男性が立っていた。
「エーヴァウト!」
駆け寄ったヨゼフィン様を、男性が抱きしめる。
「すまん、俺も仕事が立て込んでいて、お前の不在を把握するのが遅れた」
「いいえ、私が油断したのがいけないの」
二人の世界が濃厚になりつつあるのをレクスと私は黙って眺めていた。
「あら、ごめんなさい。
エーヴァウト、こちら隣国からの訪問団員のレクスと、彼の恋人のミルテよ」
「初めまして」
にこやかに挨拶するレクスの横で、私は『恋人』という言葉に引っかかっていたが、とりあえず軽く頭を下げた。
「騎士団長のエーヴァウトだ。一応、ヨゼフィンの婚約者だ」
「一応、って正式な婚約者よ?」
「婚姻予定を引き延ばされて、焦らしに焦らされているんだがな?」
「……ごめんなさい」
お仕事が忙しいヨゼフィン様は、なかなか時間が取れないんだろうな。
「まあ、プライベートなことは後でじっくり話し合うとして、なにか事件があったようだな?」
エーヴァウト様は内装がごっそりはぎ取られた室内を覗いて言った。なんと説明すればいいのだろう?
「エーヴァウト、事件と言うよりは事故よ。そこで眠っている隣国の訪問団長が酔っぱらって、前室にあった予備の魔石を保管箱から出したようね。
その魔石がタイマーを狂わせて、もう少しで私たちは部屋ごと時空の迷子になるところだったの」
後から聞いた話では、訪問団長は一階の応接室で待機していたのだという。一人にしておいたせいで、どこからかワインを見つけて酔っ払い、二階に上がって余計なことをしでかしたようだ。
エーヴァウト様の眼差しが厳しくなり、団長を冷たく睨みつけた。
「まさか、魔道士を率いてきた団長が、魔術の素人だとは思わなかったから、私も注意をしなかったのよ」
「では、こいつを主犯として逮捕すればいいんだな?」
「駄目よ」
エーヴァウト様は不満そうだ。
「レクスと私の名誉のためにも、もちろん、貴方のためにもね。
事故は内密に処理してちょうだい」
「だが、こいつには責任があるだろう?」
「もちろんよ。彼、隣国の偉い方の娘婿なんですって。
今は使えない男なら、使える様に指導すればいいのよ」
「使える男にならなかったら?」
「それは、その時考えましょう」
「わかったよ」
腕の中で嫣然と微笑むヨゼフィン様の額に、エーヴァウト様が口づけをする。
美男美女の濃厚な何かに当てられそうだ。
「ねえ、酔っ払いが目を覚ますのにも時間がかかるし、取り調べは明日に出来ない?
私が出来るだけ説明するから。今日のところはミルテを休ませてあげたいの」
「そうだな。ヨゼフィンが言うなら、そうしよう。
だが……お前への事情聴取は俺が単独で行う」
エーヴァウト様はヨゼフィン様を抱き上げると「後は任せる」と扉の外にいた部下たちに言い置いて帰ってしまった。もう一人の女性はヨゼフィン様の秘書で、エーヴァウト様の後を小走りについて行った。
騎士の一人が、部屋を用意しますかと言ったが、レクスは断る。
「申し訳ないですが、団長の介抱をお願いします」
と頼むと、私を抱き上げた。
次に気付いたときは、空飛ぶ家のソファの上。寒い季節でもないのに、体温が下がっているのか抱え込んだ湯たんぽが気持ちいい。湯たんぽはフカフカしていて……あれ? そんなの持っていたっけ? 重たい瞼を開けて見れば、腕の中に居るのは猫……サイズのグリフォンだった。
「あなたが温めてくれたのね。ありがとう」
金色の目を瞬かせてから、私の頬にぐりぐりと頭を摺り寄せる。グリフォンってこんなだっけ? いや、初めて会ったんだけど。魔力不足の時も助けてくれたし、使い魔のドラゴンより使えるかも。もちろん、ドラゴンに不満はないが、このグリフォンと比べれば、ドラゴンは少し幼い。特性の違いか、経験の違いか、単純に年齢の差か何かあるのだろう。
「あなたにドラゴンの先生をしてもらえたら、いいのにね」
そんな都合のいい話はないだろう、と思いながらつぶやいた。
『お前が主になるなら、願いを聞こう』
「え? 何か言った?」
『我のいた場所は戯れる相手すらいなかった。
退屈を持て余していたところに、お前が現れた。
思わずこちらの空間に飛び込んでしまったということは、我はお前が気に入ったのだろう』
「念話? 言葉通じてる?」
『目の前で話す者がいれば自然と覚える』
「賢い。賢過ぎて、ドラゴンのほうが教わるの無理かも」
『決めつけるな。やってみないとわからんだろう?』
「いいこと言う。頼もしい。けど、主って何をすればいいの?」
『我を退屈させなければいい』
「退屈させたら?」
『帰るか、旅に出るか、そんなところだ』
「そう。いいわね、翼があるから何時だって飛び立てる」
『お前にも、この空飛ぶ家があるだろう?
人間世界が窮屈なら、我と共に来てもいい』
「……そんなこと、思いつかなかったわ」
私が空飛ぶ家を作ったのは、どこかへ逃げ出したかったのだろうか? それは少し、違うような気がした。




