02
レクスは私にとって大事な友人だ。大事な、というか唯一の?
集団生活とか上下関係とかは、ものすごく苦手な私だが、別に人嫌いではない。空飛ぶ家から見つけた困りごとに、お節介しに出掛けて行くくらいには。見ず知らずの他人と話すときは、私だって多少は気を遣う。目上の人にはそれなりの言葉遣いをするし、相手を怒らせないように注意だって出来る。
でも、レクスにはいつも塩対応。もちろん彼のことが嫌いなわけではない。研修所時代から魔術の話をしてもレベルが合うし、つまらない話を持ち出してくることもない。つまらない話、私にとってそれは恋愛とか結婚とかだ。
研修生の時、魔術研究一筋だった私も修了パーティではお洒落した。そのくらいの常識は持ち合わせている。すると、今まで『成績上位を鼻にかけた、つっけんどんな女』と聞こえよがしに言いながら遠巻きにしていた男子の研修生が、何人も私に寄って来たのだ。私は顔をしかめた。せっかくのお洒落も台無しなくらいに。
その中の一人が私に話しかけそうになった直前、ふいに現れたレクスが私の腰を抱いた。
「一人にしてごめん。さあ、踊ろう」
まるで約束していたみたいに、私の手を取って……。周囲の男子たちは呆気に取られていた。
なかなかのリードで一曲踊り、お互いお辞儀をした後でぼそりと呟かれた。
「追いかけまわされて疲れたよ……」
「モテるのも辛いわね」
「ミルテもモテてた」
「珍しいから記念に観察されただけじゃない?」
「……自分の普段の観察力不足を暴露してるだけだよな」
レクスの声が急に小さくなって聞きづらい。
「え? なんて?」
「なんでもないよ」
その後レクスは、外面がいいせいで溜まった鬱憤を吐き出した。綺麗な笑顔でいるから、私たちを恨めし気に見ている令嬢方は、レクスの内心に気付くこともない。私たちは続けて三曲踊り、その間にレクスは三年間のモヤモヤを吐ききったようだ。
「ありがとう、ミルテ」
「こっちこそ。ありがとう、レクス」
切磋琢磨し合った研修生時代は終わり、私たちはただの友人になった。だけど、糸が切れた凧になって空を彷徨っている私を見つけては、時々レクスがやって来る。ちょっと美味しいものを手土産にして。
私はお茶を出し、世間話で最近の話題を知る。それから時々は職場の愚痴を聞く。聞くというより、聞き流す。空飛ぶ家を流れる風が愚痴を運び去り、レクスはサッパリした顔で帰っていく。付かず離れず、私たちの付き合いはそんなふうだった。
レクスが旅立って、あっという間に三か月が過ぎた。
その間に、私は研究を重ねてきた隠蔽魔術を完成させた。隠蔽魔術自体は珍しくない。だが私は、この空飛ぶ家を丸ごと隠したかったのだ。魔術で浮かべて飛ばしている家を、周りを飛び回るドラゴンごと隠すのは少々面倒だった。
空を飛ぶ生き物に気付かれず、ぶつからないようにしなければならないし、不意に現れる結界に干渉しないようにしなければならない。実際に空を飛びながら、いろんなパターンを経験し、予測して研究を重ねた。そしてやっと今、自分でも満足のいく隠蔽魔術が出来上がったというわけだ。
最後の追い込みで研究を完成させ、泥のように眠ってスッキリした翌朝のことだ。私はふと、壁のカレンダーを見て、レクスが出発前に言っていたことを思い出した。
『帰ったら、すぐ新しい部屋を探すけど、一晩か二晩ぐらいはソファで寝かせてもらえる?』
あの時、お土産次第ではベッドに負けない寝心地のソファに仕上げてやろうと思ったのだ。几帳面な彼の事、予定はきっちりしている。ところが、レクスが泊めて欲しいと言った日付は……なんと三日前だった。
「え?」
いくら研究の追い込みをしていても、訪れたレクスに気付かなかった、ということはないだろう。連絡も来ていない。
「おかしいな」
何かあったのかもしれない。私は調べてみることにした。
王都の街中にいても目立たないよう少しはお洒落に見えるはずの服を着て、空に浮かべた我が家から目的地に降りる。
職員たちが昼食に出かける時間を狙い、私は王立魔道士団の入口を見張った。少し待つと、目当ての人物が出てくる。通りの反対側からヒラヒラと手を振れば、こちらに気付いて嫌そうな顔をする。その顔に向かって投げキスを送った。彼女が固まる。
投げキスは親愛の情を示しているのではない。『下手に逆らうと、私のドラゴンがブレスを吐くわよ!』という意味だ。正しく理解した彼女は、連れ立っていた同僚に何か告げると、こちらに走って来た。
「お久しぶりね。お元気そうでよかったわ」
「……何の用事かしら?」
「学友でしょう。仲良くしましょう?」
彼女を手招きして路地裏に入ると、隠蔽魔術をかけて一緒に上空まで上る。
「え、え、え?」
何が起こっているのか分からない間に、私の家のソファに座らされていた彼女は、外を周回するドラゴンを見て青くなった。
「私、今はレクスに何もしてないわよ!?」
彼女は研修生時代、レクスに言い寄っていた貴族家令嬢の一人だ。王立魔道士団に入ったものの魔術の腕前は凡庸で、今は主に事務仕事をしているらしい。あと、何か誤解があるようだが、私はレクスに言い寄った女子を脅したことは無いのだけど。まあ、そのことについては今はどうでもいい。
「分かってるわよ。聞きたいことがあるだけ」
「なら、こんな誘拐みたいな真似しなくても……」
「悪かったわ。時間がないの。
あのね、レクスが外国の視察に行っているでしょう?
三日前に帰って来る予定だったはずなんだけど、何かあったの?」
「ああ、そのことね。
他の人たちは、ちゃんと一旦戻って来たわよ。
レクスは視察団の団長と一緒に、まだ隣国にいるんですって」
「隣国に? おかしいわね。
それなら、予定が変わったと連絡してきそうなものなのに……
レクスから団に連絡は入っているの?」
「そう言えば、レクスからは連絡がないわ。
団長から、レクスのことは心配いらないと伝言があっただけで」
「団長って、どんな人?」
「王宮から派遣されている監察官よ。
魔道士団の管理職は皆忙しくて三か月も遊んでいられないから、暇な監察官をおだてて団長に据えたのよ」
「その人事はありなの?」
「そもそも、魔術の分からない人を監察によこす時点で、おかしいんだもの。
王宮は無能な文官を、期間いっぱい預かってもらえればいいんでしょう。
どうやら監察官は偉い人の娘婿らしいわ」
そんなのとレクスが二人きり、予定外に隣国に滞在中? 嫌な感じだわ。
「ねえ、悪いけど、視察団が滞在していた場所や訪問先、訪問相手を教えてもらえる?」
「それは守秘…義…務が……」
窓の外では、私の可愛いドラゴンがニッコリ牙を剥いている。
快く情報を提供してくれた彼女には、とっておきの農場製パンで作った贅沢ジャムサンドを持たせて帰した。そしてそのまま、私は家ごと隣国に向かう。先ずは、国境の結界 VS 私の隠蔽魔術! うーん、腕が鳴る。だがしかし、国境は呆気なく突破できてしまった。何か少しつまらないが、そんなことを言っている場合ではない。
学友の彼女情報によれば、隣国で視察団を出迎えもてなしたのは、あちらの魔道士団長。隣国のヨゼフィン団長と言えば、他国にも名を知られた力のある魔道士だ。更に彼女は、国をまたいだ魔導師協会の理事も務める実力者。私も研修生時代には彼女の執筆した本にずいぶん導いてもらった。
まずは、彼女の居そうな場所から探してみることにする。地図から魔道士団の本部を見つけ、魔力を極細の糸にして張り巡らせてみるが、レクスの気配は感じられない。念のためドラゴンにレクスの匂いを覚えさせ、クンクンしてもらったが、やはりここにはいないようだ。
次にヨゼフィン様がいそうなのは国際魔導師協会の支部が入っている建物だ。そこでも探ってみたが、いなかった。
今度はヨゼフィン様の自宅。高名な魔道士の自宅ともなれば慎重に探らないと不味いことになりかねない。私は気を引き締めた。だが結果的に、そこにもいなかった。
ちなみに、ヨゼフィン様は未婚の公爵家ご令嬢である。情報によれば、自宅は公爵家のタウンハウスなのだが、何やら大規模な改装工事中だった。工事に携わる一般の業者らしき面々が多数、作業をしているので住人はどこかに退避していそうだ。
そうなると、後はどこを探せば? だが悩んでいるだけでは時間がもったいない。魔力の糸の数を減らし、家をゆっくり飛ばしながら探すこと数十分。ドラゴンが鼻を激しくひくつかせた。
その先にあったのは、ヨゼフィン様の公爵家よりもさらに立派なお屋敷。既に城と呼ぶべき建物だった。
「ここに、レクスが?」
いやしかし、誰の住まいかもわからない。それに上から見る限り、門衛も巡回している警備兵も、どう見ても腕が立ちそうだ。
『落ち着け!』 私は自分に言い聞かせた。
考えるのを止めるのは悪手。先ずは上空から、レクスの気配を細かく探ってみる。母屋らしき部分にはいない。まさか、物置とか牢とか? だが、いくつかの小さな建物にも気配はない。
更に探っていくと、離れらしき立派な建物がある。
「いた!」
間違いない、レクスの気配だ。ドラゴンもクンクン嗅いで、ウンウン頷いた。
屋敷の上空から少しずらして家を浮かべ、ドラゴンを待機させる。そして一人で下に降り、建物の中に入った。この屋敷は結界で蔽われていないし、一般的な鍵なんて、そんなもの何の障害にもならない。もちろん、普段はこんなことしていない。……誓ってしていない!
中へ入ってみたが、特に侵入者対策の仕掛けなどは無さそうだ。ここは一気に、レクスのいる場所まで近づこう。気配が濃いのは二階の奥。姿を隠したまま、音を立てずにドアを細く開き、中を覗いた。
中にいたるのは中年の男性が一人。ソファに座って動きがない。他に人気は無く、私は中に滑り込む。男性に近寄ってみると、眠っている。すぐそばのテーブルには、高級そうなワインの瓶が数本空になっていた。
彼は何かを大事に抱え込んでいる。両手の中にあるものを覗いてみると、それは置時計だった。彼が首にかけた、大きな宝石の付いたペンダントが時計に触れている。この置時計は魔導装置で、平たく言えばタイマーだ。そして男のペンダントに付いた宝石は……魔石。
「魔石事故」
この部屋は前室で、奥に立派な扉がある。奥の部屋にかけた結界魔術が時間になったら解けるように、置時計で管理しているのだ。ところが、強力な魔石を時計に近づけたため、過剰な魔力供給がおき、タイマーが狂ってしまったようだ。
「レクス……」
不安が募る。結界魔術と同時に空間魔術がかけられていて、それにもタイマーが干渉していたら……。時間と空間がずれて、二度とレクスに会えなくなったら……
「レクス」
私は自分を鼓舞した。まだ、間に合う。空からでもレクスの気配を感じ取れたのだ。今のうちに痕跡をたどれば……
私は男に近づくと、慎重に置時計を取り上げた。そして、魔石ペンダントも外し、部屋に置かれていた小箱に入れた。これは魔力の干渉を遮断できる金属を内張した小箱だ。元々、このペンダントは小箱の中に入っていたのではないだろうか。
それから、時計をよく観察した。いつ作動する予定だったのか、今現在の時間とどれだけずれているのか。そこから推測される、過剰に供給された魔力量はどれくらいか。
こういう時こそ、魔導回路の出番! 時計に複数個を取り付け、まずは過剰な魔力を少しずつ取り除く。細かいダイヤルを回すように、ゆっくりゆっくり……
一定量を取り除くと、ごくわずかに手ごたえがあった。そこから、タイマーの設定時刻へと時計の針を動かしていく。ついつい息を止めそうになる。その度、気を紛らわすように深呼吸をした。




