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途方もない幸福

「そうだ。よければ場所を変えて話しませんか? 部屋を借りても構いませんし」


 親切を装って言ったルノアに、グレンは頭を抱えた。


 これは、この態度は──完璧にエリザベトとの関係を知られている。


 昔。奔放に遊び回っていた頃も、相手の女性を想う男からこんな風に敵意を向けられることがあったグレンは、確信した。


 しかしすぐに考えを切り替える。


 いやいや。関係ってなんだ。別にやましいことなんてないんだ。堂々としていればいいじゃないか。


 そうは思うもエリザベトがこの頭の固そうな旦那にどんなふうに自分たちのことを伝えたのかがわからない以上、下手に口を開くことも出来なかった。墓穴を掘りかねない。


 グレンは焦りをひた隠し、にこやかに断りを入れる。


「すみません。この後は別の予定が入っておりまして」

「おや。それは残念です。エリザベトとのことを話し合わねばと思っていたのですが」


 グレンの表情はゆっくりと固まる。


「……エリザベトとのことですか」

「はは、ご安心を。決闘などと時代遅れなことは申しません。穏便に話し合いが出来ればと思っております。団長殿にもご妻子がおありだと伺っておりますし」

「……よくご存知で」

「ええ、まあ」


 調べたんだろうなあ、色々と。

 笑顔を浮かべ合いながら、グレンはきりりと胃が痛むのを堪えた。


 ルノアはずっと「言い逃れは許しませんよ」、とばかりの鋭い眼光で射抜いてくるし、夫の影に隠れるようにしているエリザベトは、わずかに──妖艶に微笑んでいた。キスをしてきた瞬間と、同じ瞳だった。やはり自分は巻き込まれたのだと、グレンは断定する。


「それでは団長殿。今夜はこれで。また、近日中に」

「……ええ」


 グレンはポルフィリ夫妻が立ち去るのを見守り、知らないうちに止まっていた呼吸をやっと再開する。めまいがした。


 最悪だ。

 よりによってエリザベトの旦那まで出てくるなんて。


 もしもこの醜聞が世間に出回れば──フィリアは……


「なあグレン。今のなんだったんだ? お前ポルフィリさんと何かあったのか?」

「彼とは何もない」


 呑気に尋ねてくるジニーを捨て置いて、グレンは会場の奥へと身を滑り込ませる。


 ダンを探した。





「なるほど。さすがはエリザベト嬢。先手を打たれたな。まさか、旦那を使ってくるとは」

「そんな冷静な分析をして欲しいんじゃないんだよ。このままじゃフィリアが浮気されただのなんだのって噂が立ってしまう。そんなの絶対にダメだ。彼女の名誉が傷つく」


 将校たちと杯を交わしていたダンを群れから連れ出し、会場の隅に引きずったグレンは、そのまま親友に泣きすがった。


「早くエリザベトの化けの皮を剥がさないと」

「あれは相当厚いぞ」


 言いながらダンは「それより、あっちを見ろ」とダンスホールの方を指さした。


 緩やかな音楽に乗って、着飾った紳士淑女、軍関係者の娘や息子などが楽しげに踊っている。


 あれがなんだと言うのだろう。訝しんだグレンに、ダンが言った。


「あそこで踊ってる、白い騎士服の金髪。あれは、エリザベトの弟だ」

「弟?」

「最近帝国騎士団に入ったらしい。まだ使いっ走りだけどな」


 グレンははっとしてダンを振り向く。


「もしかして、あいつがフィリアに?」

「ああ。お前とフィリアが参加した直近の夜会に参加しているのは、エリザべトの関係者の中で、あの弟だけだ。多分、間違いない」


 フィリアと参加した直近の夜会──。

 思い出し、グレンは強く眉を寄せた。あれは確か、帝国創立記念の式も兼ねていて、国内外問わず、かなりの人数が集まっていた。故にグレンもあちこちから声をかけられて。飲み物を取りに行った時、フィリアを数分、一人にしてしまった覚えがあった。


 あの時か──。


 思って、グレンはきつく両目をつぶる。いつもなら、夜会なんて場所でフィリアを一人にはしなかったのに。


「あいつだな」


 目を据わらせ、ダンスの輪に乗り込もうとしたグレンを、ダンが「待て待て」と引き止める。グレンは吠えた。


「離せ。こっちは一刻の猶予もないんだ。もしもルノアかエリザベトが変な噂を立てでもしたら、フィリアが、それにエーリヒだって」

「だから落ち着けって。まだ証拠がないんだ。シラを切られたらおしまいだぞ」

「……っ」


 やっと見つけたのに。


 グレンは歯を食いしばるようにして仇敵を睨みつけた。


 シャンデリアの下で揺れるサラサラの金髪と、理知的な蒼い瞳が、姉──エリザベトにそっくりだった。


 と、グレンの視線に気づいたのか。華麗に踊りながら、弟がこちらに目だけを向けてくる。ふっと笑われた気がした。全て、私たちの計画通りに進んでいますよ、と。


 グレンは知らず、怨嗟を吐いていた。


「クソガキが」


 この男がフィリアに近づき、エリザベトとの仲を疑わせるように仕向けたのだと思うと、その胸ぐらを掴みあげ、考えうる限りの方法で白状させたくなった。


 しかしそんなことをして、エリザベトがあらぬ噂を立てでもしたら──そしてそれをフィリアが信じてしまったら。それこそもう二度と、修復は不可能になる。


 八方塞がりの状況に、グレンは強く拳を握りしめた。



 フィリアと暮らしたい。エーリヒを真ん中にして眠りたい。ただそれだけの望み、ほんの少し前までは手にしていた幸せが、今はどんなに大金を詰んでも叶わない、途方もない幸福だったのだと思い知る。


(ごめん、フィリア) 


 ふっと息を吐いて、グレンは腹を括る。


 こうなったら、旦那の方を味方につけてやる。


 エリザベトは自分を欲しがり、ルノアはエリザベトを欲しがっているのだから。簡単な話だった。




 そうしてその夜会の終盤。


 ほどよく酔い潰れた人影に紛れて、グレンは、エリザベトに腕を引かれた。か細い声がした。


「会いたかった」

「僕は二度と会いたくなかった」


 グレンは前を向いたまま、背後にいるエリザベトへすげなく返す。


 見やれば、ルノアは少し離れた場所で軍のお偉方に捕まっていた。そういえばダンの調査書に、武器の取り扱いもしているとの記載があったことを思い出す。仕事の前にちゃんとエリザベトを保護しておけと怒鳴りつけたい気分になる。


「グレンお願い、話がしたいの。また、二人で会えないかしら」

「無理だよ」

「…………奥様がいるから?」

「そうだ」

「……ねぇ。どうして結婚なんかしちゃったの?」


 そう囁くエリザベトの声はひどく寂しげで。グレンの苛立ちを増大させるだけだった。


 


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