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騎士団長は奥さんの愛を取り戻したい。

最終話です。

 幸せの形は人それぞれ、千差万別なのだろうけれど。


 それでもグレンは、自分はこの上ない幸福を手に入れたのだと、自覚していた。




 あれから数週間が経った。

 よく晴れた午後のこと。


 陽の当たる回廊を行きながら、グレンは幸せを噛み締めていた。


 まだ信じられなかった。

 家に帰ればフィリアとエーリヒが当たり前のように迎えてくれるだなんて。


「どうしよう。幸せすぎて動悸がするんだけど」


 隣を歩くダンは、胸に手を当てて呻くグレンを気の毒そうに見つめた。


「つってもまだ家庭内別居中なんだろ?」

「だとしても一緒の家にいてくれるんだよ? こんな奇跡はないよ」


 グレンは言って、自分の発言に自分で同意した。


 そう、奇跡だ。

 好きな人がいて、毎日会えて、話せるなんて。

 地上にこれ以上の喜びはあるだろうか? いや、ない。今のグレンにはそう断言出来る。


 結婚は奇跡の塊だ。


 たしかに部屋は別々だし、フィリアの態度も以前と比べればそっけないけれど、それでもグレンは、フィリアがただそばにいてくれるだけで満足だし幸せだった。幸せすぎて家の中では始終にやけてしまって、「なにがおかしいの?」と怒られるほどだった。そしてそれすら嬉しかった。


「あーあ。フィリアちゃん、後悔しないといいけどなあ」

「させないよ」

「どうだか」


 ダンは呆れながら、手にしていた調査書を開いた。そうして、苦く笑う。


「しかし、お前もほんと容赦ないよな」


 グレンはけろりとして言う。


「フィリアとエーリヒをあんなに泣かせたんだ。罰則なんかで済まさせるわけないだろ」


 ダンが手にしていたのは、エリザベトに関する調査書だった。


 今回の一件を軍警察へ届け出たグレンは、エリザベトの経歴を一から洗い直すよう進言した。自分たちでは調べきれなかった外国での素行も含めて。


 すると、思った通りの結果が出てきた。ルノアとの結婚生活に満足していなかったエリザベトは、グレンと再会する前から様々な男と不義密通を交わしていたのだ。


 ダンが息をつく。


「仕事っつって外でよその男と会ってたわけだな。こわ」

「もしかしたら、ルノア氏も気づいていたのかもしれないな」


 だからエリザベトを監視し、外出制限までしてしまうようになったのかもしれない。しかし、それがかえって彼女の暴走をエスカレートさせてしまったわけだが。


「しかも実刑までつくとはな。……旦那はなんて?」


 尋ねたダンに、グレンはうんざりとため息をつく。


「……昨日泣きつかれたよ」


 その時のことを思い出せば、疲労がどっと蓄積されるようだった。




 ──不法侵入に侮辱罪、加えて詐欺を犯したエリザベトは、軍警察で厳しい取り調べを受けた。まあ妥当だな、とグレンはその報告を受けたのだが。


 しかし、ルノア氏はそんなどうしようもない女を必死になって助けようとしていた。



 昨夜の任務の最中。部下たちと馬で移動していたグレンは、ルノアに呼び止められた。


「お願いです団長殿! エリザベトをどうか助けてください!! 彼女は心を病んでいたのです、望まない結婚を強いられたから……! どうかあなたの権限で彼女を釈放してくださいませんか、お願いします」


 頭を下げられ、泣きつかれ。


 病みたいのはこっちだ、とグレンは辟易した。


「無理です。たとえ病んでいたとしてもたちが悪すぎます。それに、望まない結婚なんてそこら中にあるんですから。なんの盾にもなりません」

「そこをなんとか!」

「無理です、お引き取りください」

「お、お金ならいくらでも出します! だから!」

「……またそうやって愛を買うおつもりですか」


 グレンが蔑み言えば、ルノアは懐に突っ込んでいた手をはっと止めた。グレンは言った。


「お金なんかじゃ、本当の家族は手に入りません。僕は身をもってそれを知りました」

「……でも、私にはお金以外の取り柄なんて」

「あるじゃないですか」

「え?」

「エリザベトが本当にお好きなんでしょう?」

「……」

「今、彼女の味方は弟さんとあなただけです。せいぜい頑張ってみてください」


 ルノアは懐から手を離した。

 それからエリザベトと話し合ってみると呟き、とぼとぼと暗闇へ去って行った。


 それから後のことは知らない。

 やり直すのか、別れるのか。

 ただグレンはもう二度とこの国にエリザベトが入国出来ないよう、取り計らうことだけは忘れなかった。




 顛末を聞いたダンは、「あー」と低い声で相槌を打った。


「まあ自業自得っつーか。仕方ないな」

「同情の余地もないよ」


 ダンが調査書をグレンに返して、立ち止まる。


「じゃあ、俺はこっちだから。後でな」

「うん」


 ダンと別れたグレンは、そのまま自身の執務室へと向かった。そうしていつものように仕事をこなし、鍛錬をして、会議に出て。陽が暮れる頃、帰路についた。


 見上げた夕日は眩しく、どこか懐かしい色をしていた。


 

 

 




「ただいまエーリヒ!」

「お帰りなさい!! お父さま!」


 帰宅したグレンは、出迎えてくれた息子を片腕に抱いて、その頬にキスをした。エーリヒはくすぐったそうに身をよじる。


 立派な燕尾服に蝶ネクタイ。

 髪まで整えたエーリヒを見て、グレンはからかい笑った。


「おや、素敵な服だね」

「はい! マリさんも褒めてくれました!」


 と、よそ行きの姿のマリが、エントランスの階段から降りてくる。


「おかえり、旦那さん」

「もういらしてたんですね」

「豪邸ってやつをゆっくり見てまわりたかったからね」


 グレンはエーリヒをおろして笑った。


「どうでした?」

「掃除が大変そうだった」

「違いありません」


 グレンは言いながら、エーリヒの手を引き、そのまま客間へ案内した。


 今日は、マリとダンを誘って、ささやかな夕食会を開く予定だった。諸々の感謝とお詫びを込めて。


 晩餐の準備が整うまではまだ時間があり、グレンたちは簡素なお茶会を楽しむことにした。


「お母さまもね、今綺麗にしてるところです」

「それは楽しみだな」


 並んでソファに座ったグレンとエーリヒに、真向かいで、マリが心配そうに呟く。


「フィリア、後悔しないといいけど」

「……」

「なに」

「いや、ちょうど今日、同僚からも似たようなことを言われまして」

「へえ、奇遇だね」


 周囲からは、まだふらふらしているように見えるのだろうか。もっと気を引き締めないと。グレンは焦った。


 そこへ執事がやってきて、湯の用意が出来たことを告げる。身内だけの食事会とはいえ、グレンも身支度は整えたかった。

 

「すみません、失礼します」

「はいはーい。料理楽しみにしてます」

「僕もお食事の部屋で待ってます」

「うん、いい子でね」


 息子の頭を撫で、客間を後にしたグレンは、軍服の堅苦しいタイを外しつつ、上階へ上がった。


 と、そこでフィリアと鉢合わせしてしまう。


「……おかえりなさい」

「ただいま」


 グレンは言いながら、心臓を鷲掴みにされていた。

 先日贈ったばかりの優しいクリーム色のワンピースは、フィリアにとてもよく似合っていた。身につけてくれたことも、「おかえりなさい」と言ってくれたことも、ただそこにいてくれることも嬉しくてたまらない。


 その上、フィリアはおずおずとグレンに歩み寄ってくる。


「ごめんなさい、お出迎え出来なくて。髪が上手くまとまらなかったの、それで」

「いいよ迎えなんて。綺麗に仕上がったね」


 いつも綺麗だけど、と付け加えれば、フィリアは顔を赤くした。


「……そういうこと言うから女の人を勘違いさせちゃうのよ」

「フィリアにしか言わないから大丈夫だよ」

「ほんとかしら」


 可愛い。けど、我慢だ。まだフィリアの傷は癒えていないのだから。

 グレンはキスをしたい衝動を堪えて、妻の手をとる。


 この手が離縁状を破り捨てたのは、数日前のことだった。愛想を尽かしたらいつでも提出していいと、グレンはフィリアに持っておいて欲しいと渡したのだけれど、しかしフィリアは、そんな脅すような、どちらかが一方的に優位な関係は嫌だと突き返してきた。

 そんなのは家族じゃないからと。


 どこまでも真っ直ぐなフィリアに、グレンはもう何度目かの恋に突き落とされた。


 部屋はまだ別々だけれど、それでもちょっとずつ、関係も修復出来ている気がする。愛を取り戻すまで、きっとあと少し。


「メニューを楽しみにしてて。今夜は君の好物ばかり揃えたから」

「お客さまのおもてなしが優先でしょ」


 フィリアはそう眉を寄せつつも、グレンの手を退けようとはしない。苦しい。

  

「……幸せだなあ」

「え? ちょっと、なんで泣いてるの?」

「いや、幸せすぎて」


 グレンは空いている手で目元を押さえながら笑う。フィリアは焦っていた。

  

「ねえ、私が泣かせてるみたいじゃない」

「君に泣かされてるんだよ」

「ええ?」


 わがままをたくさん言うと張り切っていたフィリアの、わがままらしいわがままは、部屋を分けたことぐらいで。グレンをどこまでも骨抜きにする。


「ちょっと、こんなところで泣かないで」

「ごめんごめん」


 グレンはどうにか涙を止めて、フィリアに微笑みかけた。


「ところでさ、僕ってそんなにしつこく言い寄ってた?」

「自覚なかったの?」

「あの頃はフィリアに好きになって欲しくて必死だったから」

「……そろそろ行ったら。お湯冷めちゃうわよ」

「うん」


 それでも手を離せなくて、グレンはフィリアを見下ろしていた。


 他にはどんな方法があるだろうと。愛の伝え方を考えていた。  






お読みくださりありがとうございました。


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