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降参

「食堂に可愛い子が入ったんだとよ」

「へえ」

「へえ、じゃねえ。いいから行ってみようぜ」


 エリザベトとの一件で恋も遊びも最低限でいいと付き合いが悪くなっていたグレンを、ダンはそう言って連れ出した。そこでグレンの人生が一変してしまうとも知らずに。


「いらっしゃいませ! すみません、ちょっとだけ待っててくださいね、今、満席で」

「はい……」


 そうして入った食堂の中。グレンが初めてフィリアと言葉を交わしたのは、昼時のピーク時だった。むさ苦しい騎士団の面々に囲まれ、忙しそうに振り向いた彼女は、たしかに──いや、めちゃくちゃに可愛かった。


「よかったな、お前のタイプだろ」


 からかおうとしたダンの声すら耳に入らなかった。


 てきぱきと料理を運ぶフィリアから、グレンは目が離せなくなった。──可愛い。


「お待たせしました」


 やっと空席が出来て案内されてからは、さらに心臓の音はうるさくなった。内気な少年のようにどもりながら注文した料理は、残念ながらどんな味がしたかさっぱり覚えていない。フィリアに運んでもらった、初めての料理だったのに。


「ゆっくりしていってくださいね」


 けれど、その笑顔だけはっきりと覚えていた。明るくてふんわりした、見るだけで元気をもらえるような素敵な笑顔だった。


「ゆっくりは出来ねえだろ」


 小声で言ったダンの腹に肘を入れたのも、覚えていた。



 そんな風に惹かれながらも、しかしグレンは、他の女性にするように口説く気にはなれなかった。


 まだ恋愛というものに嫌気も差していたし、それ以上に晴れて恋人になった後──フィリアと別れることになったらと思うと、怖くなったからだ。


 経験上、グレンの中で付き合うということは、いずれ別れる、ということと同じだった。結婚でもしない限りは。


 そして別れた後はさっぱり縁が切れるか、友人になるかの二択で。グレンは、フィリアとはそのどちらにもなりたくないと思ってしまったのだ。


 可愛いと思う。けれど口説くことは出来ない。


(嫌だな)


 恋なんて風邪のようなもの。

 グレンはまぁそのうち落ち着くだろうと身の内でくすぶる想いを持て余しながら、時間を見つけては食堂に通った。


 しかしそんなある日──。フィリアが、暴漢に襲われた。グレンの忠告など耳も貸さずに。


「危ないからここは通るなとあれほど言っただろう!!」


 彼女が襲われそうになっていたところを間一髪間に合ったグレンは、生まれて初めて女性に怒鳴った。感情が爆発した。


「……っごめんなさい」


 自分の危険も顧みず、子供を助けようとしたフィリアは、グレンの大声に震えていた。そしてその頬には、痛々しい鬱血の痕があって。


 くそ。


 その勇敢さと無謀に、グレンは腹を括らされた。この危なっかしい娘を一人になんてしておけない。


 それからは我慢が利かなかった。無理やり送迎を申し出、短いデートを繰り返し、頃合いを見て、想いを告げた。風邪のようなものだと思っていた熱は、一向に冷める気配はなく、どころか温度を上げていくばかりだった。


 けれど、フィリアの口からこぼれた返事は、よくないものだった。


「少しだけ、時間をください」

 

 フィリアは身分の違いをひどく気にしているようだった。心配ないと、そんなことは自分がどうにでも出来るといくら説得しても、彼女は、決して首を縦に振らなかった。


 一人暮らしが続いたためだろう。フィリアはしっかりと現実の見えている娘だった。



 そうして返事を保留にされているうちに長期の任務が入ってしまい、グレンは数週間帝都を離れることになった。


「フィリアに会いたい」


 任務の最中。ぼそりとこぼしたグレンの独り言に、ダンは意外な物を見るようにして驚いていた。


「お前、まだ諦めてなかったのか」

「ずっと返事待ちだよ」

「……ふーん」


 このまま断られる可能性の方が高い。


 そうなれば食堂に行きづらくなるし、フィリアだって振った相手と顔を合わせるのは気まずいだろう。やはり想いを伝えたのは失敗だったろうか。


「きっつい……」

「たまには振られる経験も必要だって」

「他人事だと思って」

「他人事だからな」


 ダンと軽口を叩きあいつつ、グレンは祈るような気持ちで任務を終え、帝都に戻った。


 憂鬱は払えず、フィリアと会うのは寸前まで気が重かった。──けれど。


「……おかえり、なさい」


 騎士団の食堂で久しぶりに会ったフィリアは相変わらず可愛くて、ただただ心惹かれるばかりで。


 ──そうか。


 グレンはたとえ断られたとしても、この気持ちは変わらないのだと気付き、思わず笑ってしまった。


「ただいま」


 こんなの、降参するしかなかった。任務の疲れが癒やされていく。身体からは自然と力が抜けて、ひどく安心する。好きだと思った。心から。


「お仕事、大変でしたね」

「うん。今回は長かったよ」

「怪我とかなさそうで、よかったです」


 心配してくれていたのだろうか。グレンは幸せな気分になってフィリアを見つめた。


(可愛い)


 空いている時に時間をくださいと言われた時は、とうとう玉砕か、と覚悟をしたが──待ち合わせたカフェで、顔を真っ赤にしたフィリアからの返事は「よろしくお願いします」という言葉で、頭まで下げられてしまった。


「一生大切にする」


 グレンは気付けば、そう口にし、彼女を抱き上げていた。


 それからは幸せばかりが続いた。フィリアと暮らすようになって、順番は前後してしまったけれどエーリヒを授かって、結婚して。


 グレンは有頂天になっていた。

 なにも見えなくなるほどに。






 


「はぁああああ、人生やり直したい」


 長い回想を終えたグレンは、自室で深いため息をついていた。涙も出そうだった。


 ダンと飲み合った翌日の午後。

 優秀な執事は早速離縁状を入手してきて、グレンはその紙切れを前に涙ぐんでいた。


 集めた書類には、他にも財産分与に関するものや、エーリヒの養育費について記したものもある。これだけの費用があれば、別れたあともフィリアたちが生活に困ることはないだろう。


 グレンはそこにサインをいれるだけでよかった。


「……ダンは、フィリアに会えたかな」


 最後の悪あがきのように書類から目を逸らし、外を見やる。よく晴れていた。


「旦那さま、お時間でございます」


 と、そんな現実逃避を阻止するみたいに、執事が馬車の用意が出来たことを告げにきた。


 どれだけ無気力だろうと、仕事に遅れるわけにはいかない。グレンは背筋を正した。


「すぐに行く」


 フィリアとエーリヒのことは今も昔もこれからも、ずっと愛している。それだけは変わらない。


 グレンは深く息を吸うと、転がっていたペンを手に取った。



 ◇ ◇ ◇


「おとうさま、元気なかったですね」


 昼食時。

 ぽつりと言ったエーリヒにフィリアはなんと返せばいいかわからなくなった。


 今日はマリの店も休みで、フィリアは朝からエーリヒと二人でゆっくり過ごしていた。


「……そうかしら」

「そうです。すぐかえっちゃいましたし、ぐあいがよくなかったのかもしれません」

 

 昨日の夕刻。

 馬を走らせてきたグレンの顔色はたしかに良くなかった。仕事が忙しいのだろう。


 だから無理に来なくていいって言ったのに。フィリアはエーリヒに心配をかけたグレンに、心の中で文句を言った。


 ──あんな人のところ絶対に帰らない。どんなに来られたところで、私の気持ちは変わらない。


 決意し、気を張ったとたん、外からいつもの馬のいななきが聞こえてしまう。フィリアは「また……」と呟いた。


「おとうさま!」


 絵本を広げていたエーリヒがソファから降りて、玄関から飛び出していく。


「待って、エーリヒ」


 慌てて追いかけたフィリアは、外に出て、家の前に立っていた人物を見て目を丸くした。グレンでは、なかった。


「え? ダン、さん?」

「よぉ久しぶり。今日は旦那が来られないから、俺が代理で来た」


 だから、頼んでないのに。


 フィリアはむっと眉を寄せた。



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