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山門編-初国知らす王の章(27)-吉備梟帥(6)

<これまでのあらすじ>


 俳優わざをきの少年と黒衣の少女、そして多くの人の活躍と犠牲で厄災まがごとを乗り越えた山門は、次なる転換の時を迎えている。


 天孫あめみま磐余彦狭野姫いわれひこさのひめは、纏向まきむくへの遷都を宣言する。山門の諸族は紛糾し、誓約うけひの結果は凶と出て、狭野姫は橿原宮を去る。狭野姫を支えてきた手研は天孫族を実効支配し、それを政変と見なした葛城族の太忍は山門から離脱する。その動きを危惧した手研は狭野姫と入彦を片丘の邸へ招く。手研の剣が狭野姫に迫ったとき、入彦の放った矢が手研を貫く。狭野姫は本当に愛すべき人が誰であったかを知る。


 指導者を失った天孫族は山門での求心力を失う。後悔から立ち直れない狭野姫は、纏向の宮居に籠もる。入彦は足繁く纏向へ通うが、彼女を深い悔恨の淵から救い上げることができないでいた。ある日、狭野姫の失踪を珍彦に告げられた入彦は、思い当たる場所へ急ぐ。珍彦は狭野姫の失踪を秘匿するべく、天手力雄あめのたぢからおの霊力で宮居を巨岩で囲み、狭野姫は天の岩戸に籠ったとを人々に告げる。鳥見山の霊畤まつりのにわで入彦を迎えた狭野姫は、旅立ちを告げる。狭野姫と心情を共有する入彦は、豊城彦と豊鍬姫を同行させる。三人の旅立ちを見送った入彦は、三輪山を訪れ、黒豹の如虎に、狭野姫たちの護衛を依頼する。瑞籬邑に戻った入彦は、兄と姉から取り残された活人の傷心を慰める。


 出雲を目指す狭野姫一行は、黒豹の如虎と、そして葛城族の剣根を護衛に加える。狭野姫一行は山門を囲む青垣山の一峰、生馬山の山径を行き、孔舎衛坂の古戦場に至る。そこで天を祀り、地を祓った狭野姫は、天神地祇から新たな名、日照ひなてるを授かる。日照は剣根にも新たな名、雄心をごころを授かったことを告げる。その頃、異彩にして高貴な風姿の人物に率いられた麗しい装いの集団が、孔舎衛坂を山門へ向けて登っていた。彼らはかつての天孫族のように、山門に変革を、しかし天孫族よりもはるかに穏やかにもたらす集団であったが、そのことを先頭の人物の風韻にわずかに感知したまま、日照一行はその集団を見送る。


 出雲を目指す日照一行は大川に行く手を遮られる。川の向こうは吉備。日照と雄心が渡河の手立てを探っている間、豊城彦と豊鍬姫は翔と戯れる。大空を飛翔したくなった翔は、二人のもとから離れる。二人は翔を追いかけるが、鳥を高天原の使いと崇める者たちによって、翔はさらわれてしまう。危急を告げられた日照と雄心は、さらった者たちの邑をつきとめた豊城彦と合流して邑に乗り込む。


 日丘邑の門前で、使い手の真守まかりたち忌瓮部いわいべの邑人と戦いはじめた日照たちのまえに、強大な威圧感を放つ武彦が現れた。この大男は、山門の磯城族の大彦の叔父にあたる人物だった。争いを納め、一転して日照たちを歓迎した武彦は、齢は古老であるはずながら、壮年の見た目をしているその理由を、ある奇譚とともに語って聞かす。その奇譚に剋軸香果実ときじくのかぐのこのみの関与を知った日照は、武彦の申出を受け入れる。武彦と彼が支援する忌瓮部いわいべの族人は吉備族の正統を守る人々であり、故郷の奪還のために戦っていた。


 助力の引き換えに川を渡るための舟を求めた日照に、武彦は吉備奪還のための作戦を伝える。


  ≪是非ご一読ください。ご感想、ご評価をいただけましたら幸いです。≫



<人物紹介>


 豊城彦とよきひこ

 俳優わざをきの少年・御統みすまると黒衣の少女・とよの生まれ変わり。入彦を父として育つ。自由奔放。


 豊鍬姫とよすきひめ

 俳優わざをきの少年・御統みすまると黒衣の少女・とよの生まれ変わり。入彦を父として育つ。呪能に秀でる。


 入彦いりひこ

 磯城族の氏上このかみ厄災やくさいを乗り越え、一角の人物に成長する。磯城の県主あがたぬし


 美茉姫みまつひめ

 入彦の妻。明るい美しさの女性。しとやかであり、闊達でもある。


 活人いくめ

 入彦と美茉姫の子。引っ込み思案で臆病者だが、やるときはやる。いつも兄と姉に翻弄される。


 大彦おおひこ

 入彦の伯父で舅。怪力無双。豪放な性格だが、娘の美茉姫には頭が上がらない。


 石飛いわたか

 磯城族の青年。入彦の舎人とねり


 百襲姫ももそひめ

 磯城族の斎宮。入彦の大伯母。呪能は無尽蔵。


 翠雨あおさめ

 入彦の愛馬。御統の友人。濡れたような深い青色の毛並み。


 如虎にょこ

 黒豹。豊の友人。厄災後は、磯城の三輪山の森の中で静かに暮らしている。


 かける

 豊鍬姫になついている熊鷹の子。


 日照ひなてる

 旧名は狭野姫さのひめ。かつて天孫族の氏上であり、磐余彦いわれひこを号して山門主であった。超絶美女だが、乱暴でわがまま。入彦を慕っている。


 手研たぎし

 故人。狭野姫の年上の甥。狭野姫が唯一甘えられた人物。入彦に狭野姫を託して逝く。


 珍彦うずひこ

 狭野姫の忠臣。手研の盟友。


 道臣みちのおみ

 狭野姫の忠臣。手研の盟友。


 吾曽利あそり

 天孫族の有力者。狭野姫に不満を抱いている。山門近傍に潜伏し、捲土重来を期す。


 太忍ふとに

 葛城族の氏上。山門の権力掌握をもくろむ。


 雄心をごころ

 旧名は剣根つるぎね。太忍の庶子。過去の所業を悔やみ、日照の従者となる。


 五瀬いつせ

 故人。狭野姫の長兄であり、手研の父。高千穂族とともに東の真秀場まほろばを目指し、天孫族を号する。初代の天津彦あまつひこ


 五十鈴媛いすずひめ

 五瀬の後妻。出雲族の出身で、製鉄技術者集団と縁が深い。手研にとっては、同年代の継母。


 香魚あゆ

 両性具有の人。神々も魅了する美しい瞳を持っている。


 武彦たけひこ

 齢は古老であるはずだが、見た目は壮年。かつては磯城のあかしまと恐れられた暴れん坊。


 真守まかり

 武彦に心酔する剣の達人。忌瓮部いわいべであり吉備人。




<用語>


 高天原たかまがはら:天上世界


 豊秋津島とよあきつしま:物語の舞台


 葦原中国あしはらのなかつこく:豊秋津島の別名


 山門やまと:豊秋津島のほぼ中央に位置する地方


 青垣山あおがきやま:山門の周囲を囲む山並み


 筑紫洲つくしのしま:豊秋津島の西部にある大きな島で、白日しらひ豊日とよひ建日たけひ日向ひむかの四地方を持つ


 しん:西の海の果ての大陸にある巨大帝国


 氏上このかみ:一族の族長


 天神地祇あまつかみくにつかみ八百万やおよろずの神々


 祖霊おやたま:祖先の霊魂 氏上は死ぬと神上かむあがって祖霊となる


 精霊すみつたま:森羅万象に宿る魂 


 魑魅すだま:山林の異気から生まれた邪霊


 厄災まがこと:山門を呪いによって支配していた饒速日にぎはやひの体制を瓦解させた大災


 剋軸香果実ときじくのかぐのこのみ:高天原の神々が下界に投げ捨てた邪心が凝固したもの いつか高天原に帰ることを望み、時を戻す霊力を蓄えるため大地に寄生して石の花を咲かせる

 川面を、光が流れてゆく。


 初夏から晩夏にかけ、日照ひなてるは毎日のように川辺に立ち、水面で踊る光の盛衰を見つめていた。


 光は、ただ輝くばかりではない。ひと粒ひと粒の粒子の振る舞いが、日照に天地の呼吸を教えてくれる。光子の母たる日輪の叡慮を囁いてくれる。


 水面がさやりと揺れるたびに、光の簾が擦れ合うような清らかな音が立つ。心が聴くその音色に、澄んだ声が重なった。


「光巻く渦に巻かれぬ追河おいかわは、赤ひれ張るや、あれがかいもて」


 豊鍬姫とよすきひめが歌を歌っている。彼女の吐息にのって流れ出す言霊が、川面の光をそよがせてゆく。


「そのいおは星追いならね追星の、流れ適ひぬ、いざ漕ぎいでな」


 日照が返歌を歌うと、川面の光がまた細波をたてた。その揺らぎを見た豊鍬姫が日照へ微笑みを向けた。日照も微笑みを返す。呪能に秀でた者だけが共有できる幻景である。


 縁の赤い鰭を見せている追河が川を遡ってゆくように、自分も川を渡るために櫂を持とう。鰭の縁が赤いということは、繁殖期にあるということだ。その追河の頭部には追星という白斑が浮いているが、星を追っているのではなく、妻を求めているのだ。我らも求めるもののために、今こそ漕ぎいでよう。豊鍬姫と日照は、そう歌ったのだ。


 それは懸歌かけうたという遊びであると同時に、渡河の無事を祈る呪言でもある。


 いよいよ、氷川を渡るのだ。


 日丘邑を下りた忌瓮部いわいべの族人達は、氷川の辺にうてなを築き、河伯、つまりは川の神に渡河の許しを請う祭を執り行っている。


 氷川を霊域とする地祇くにつかみは伊佐々辺彦いささべひこである。この地祇は、はるかな上古にこの辺りに暴威を振るっていた荒振神あらぶるかみを退治し、それ以降、氷川の流域を霊域といて鎮座している。


 その地祇へ、神楽を奉納する。


 台上で神楽を舞うのは阿曽姫あそひめである。


 当初、武彦の目論見では日照に舞ってもらう腹積もりであった。が、日照はその大役を阿曽姫に譲った。


 この神楽はただ地祇を楽しませれば良いというものではなく、忌瓮部の人々が吉備を取り戻すための征途を寿ぐ祭事である。協力はするがいずれ去る日照よりも、吉備の氏上このかみとして明日を治めていかねばならない阿曽姫にこそ相応しい役割である。


 かけるが豊鍬姫の肩に降りてきた。熊鷹の翔は、すっかり豊鍬姫を母として懐いている。


「支度が整ったようです」


 雄心をごころが言霊の世界に居る二人を現世うつしよに呼びに来た。


豊城彦とよきひこはどうしていますか」


 日照が尋ねた。


「さて、如虎にょこと遊んでいるようですが、じきに戻ってくるでしょう」

 

 勝手気儘な弟に手を焼いているげな顔で、雄心は応えた。


 実際、豊城彦はじっとしていられる質でなく、如虎を相棒に山野を駆け回り、三日三晩帰ってこないようなこともあった。


「頼もしいのか、うつけ者かはわかりませんが、如虎が共にいるのならば案ずることはないでしょう」


 清麗な微笑みを浮かべた日照には理解していることがある。人には天地の羈絆しか受け付けぬ型の人間がおり、豊城彦がそうであるということを。彼の教導を入彦から託されたが、それは伸びやかに枝葉を繁らそうとしている若木に、大木とは何かを教えようとする無駄な試みに過ぎず、天光の薫陶と大地の滋養とに及ぶべくもない。樹木の生育に人ができることは、ただ枯れぬよう見守るだけだ。


 さて、川辺に設けられた祭壇の前には、すでに多くの人が並んでいる。皆、深い祈りの中にいるような静粛さのなかに浸っている。


 祭壇には多くの鏡が並べられ、日光を反射して、まもなく神楽が舞われる舞台上をきらびやかに照らしている。神楽が謳う神祝かみほぎの言霊の力が鏡によって増幅され、氷川を治める地祇である伊佐々辺彦の霊魂を招き寄せるのだ。


 祭壇の荘厳さに、人々はすでに恍惚状態となっている。


 光という字は、火を頭上に掲げる人の姿を表したものであるが、人にとって光はいつの時代も神々しいものである。


 ひとつだけ静かに動く影があり、日照のそばに寄った。武彦だ。


 ついにこの日を迎えたという晴れやかな顔に、ここからの正念場を必ず乗り越えてやるという気迫を漲らせている。


「何とか様になったようだ。御身のおかげだ。いやを申さねばな」


「阿曽姫のひたむきなお努めによるものです。様になったとはお慎みが過ぎましょう」


 日照は阿曽姫の研鑽の日々を思い起こしながら、清らかな笑顔で武彦の無用の謙遜を軽くたしなめた。


 恥ずかしげに首筋を撫でる武彦が、実は一番、阿曽姫の進歩を誇らしげに思っていることは、微笑んだ瞳で見て取っている日照である。


 故郷奪還をこいねがう忌瓮部に力を貸すことにした日照に、武彦が最初に依頼したことは、万人を陶酔させる神祝かみほぎの舞であった。温羅うら埴土はにつちの術によって悪酔いさせられた吉備人を覚醒させ、吉備人の誇りと祖霊への正しい信仰を取り戻させるには、邪呪を祓い、上級の恍惚を与える最良の聖呪が必要だ。それが、日照の神楽舞であろうと、武彦は考えた。


 だが、武彦からの要請を、日照はやんわりと退けた。より相応しい代案を提示したからだ。


 日照が観照するところ、阿曽姫は良質の呪能を備えている。さすがに代々の吉備主が祝主いわいぬしであっただけあって、阿曽姫には純潔の巫女の血が流れている。修練すれば、万人を魅了し、神々をその身に降ろす舞呪を習得することは十分に可能だ。武彦は阿曽姫を愛するあまり、その呪能を低く見積もっている。敢えて云えば、無意識のうちに彼女に大役を背負わせまいとしているのであろう。しかし、阿曽姫の巫女としての技量は、十分に重責に耐えられる。それは阿曽姫の清楚な佇まいを見た日照が、心霊で感受した精神世界の真相である。


「御身の教え導きがあっての生い成りであろうよ」


 謙遜の姿勢を崩さぬまま、武彦は舞台に慈愛に満ちた眼差しを向けた。


 真空の幕が降りてきたような静寂が辺りを包んだ。


 台には、羽衣の阿曽姫が身を沈めている。台の縁に並べられた鏡が陽光を集め、阿曽姫の姿は、まるで光の野原に憩う白鳥のようであった。


 やがて旋風つむじが立つかのように、柔らかく身を起こした阿曽姫が、優艶な舞をはじめた。


 清らかな阿曽姫の指先が空を切るたびに、大気に澄明な波が立った。豊かな胸元を飾る鈴が清涼な音色を広げる。


 はじめ緩やかであった鈴の音色が激しさを増してゆくほどに、台に集った人々の感情は昂り、その陶然とした気が空に昇り、地に流れてゆく。ゆらゆらと揺蕩うその調べに誘われて、神霊が降り、精霊が集うのだ。


 日照のように呪能に秀でたものには、阿曽姫を愛撫するように触れては離れる幾つもの光の玉が見えることだろう。それこそが、神霊であり、精霊である。


 ひときわ大きく温かい輝きが阿曽姫をいだいた。氷川の河伯かわおさ、伊佐々辺彦であろうと日照には見えた。


 弟子の完璧な神楽に、日照は濃い満足と淡い羨望とを胸中でぜた。


 儚げにしぼんでいた花房の、なんと美しく咲き誇ることだろう。純潔な巫女である阿曽姫は、武彦に愛され、吉備の人々に愛され、霊妙なる存在に愛され続けるだろう。手研たぎしに護られていた頃の日照の神楽も、きっとこのようであったに違いない。だが愚かさを混ぜ込んだ日照の舞には、純白さに程遠い黒染みがある。その黒染みを消すのに、どれほどの旅程を要するであろうか。


 阿曽姫と共に舞っていた光玉が、あるいは空に帰り、あるいは地に去ると、台上には放心状態の阿曽姫だけが残った。


 幕を引くかのような風が川面から起こり、興奮と陶酔を人々から拭い去った。


 台から神楽の余韻が流れ去る頃合いを見計らった武彦が雄雄しく立ち上がった。


「さぁ、家に帰るぞ。舟を出せ」


 雄叫びのような武彦の声に、忌瓮部の男たちが応じて、勇ましい鬨を挙げた。


 川面に舟が押し出されてゆく。次々に人や家畜、生活道具が運ばれてゆく。


 忌瓮部の人々の、もはや帰らぬ旅の始まりであった。


 ちなみに舟とはいうが、実際は筏のことである。


「参りましょう」


 雄心に促されて、日照は舟に乗り込んだ。翔を肩に乗せた豊鍬姫も、雄心に手助けされて舟に乗った。


 いつの間にか戻ってきていた豊城彦は、如虎の背に乗って軽やかに岸辺を飛び、舟に降りた。そのとき、危うく舟は転覆しそうになり、豊城彦は日照から大目玉と拳骨をくらった。


「武彦のおっちゃんたちは乗らないのかな」


 往時の任侠おとこだてを気取っていた狭野姫の片鱗を日照の形相に見せつけられ、度肝を抜かれた豊城彦は、戦慄と拳骨の痛みをごまかすために、わざと岸辺を振り返ってとぼけた声を出した。


 岸辺には武彦と真守、そして阿曽姫が残っていた。


 熟れた夏の陽射しが山の緑を際立たせ、日丘邑を浮かび上がらせている。


 屈辱と雌伏の日々。天を仰望し、地を渇望した歳月。三人の目に映るのは、感傷の光景である。


「さぁて、そろそろくか」


 颯爽と身を翻した武彦が川面へ向けて一歩を踏み出すと、雄壮の気が立ち昇った。


 武彦と真守、そして阿曽姫が最後の舟に乗り込んだ頃、先頭の集団が対岸へ渡った。


 最初に舟を下りたのは、目元に隈取りを施したけわいめたちである。目の周りに呪いの化粧を施した巫女たちだ。


 対岸からの天地は忌瓮部の人々にとっての故郷であると同時に敵地でもある。温羅の支配下にある吉備族の呪詛が地に埋め込まれている。


 忌瓮部の媚たちは、呪飾で呪能を高めた眼力で地を睨むことで、呪詛を祓うのだ。


 河原のあちこちで、岩の陰から、草地の中から、灌木の根本から、疫毒のような白い煙が立ち昇った。祓われた呪詛が気化してゆくのだ。 


 その白煙に逐われるようにして、土手から現れた幾つかの人影が逃げ去った。忌瓮部の動向を探っていた温羅の手の者であろう。


 忌瓮部の渡河はさっそく温羅に知らされることになったが、それは武彦の想定内のことである。


 また、土手は人影だけでなく、地響きを伴って、奇怪なものを三体生み出した。魁偉な駆体を持った埴土はにつちの兵である。


 既に渡河を終えた男たちは、三箇所に集まって矛先を揃えた。巨大な土の怪物に怯える者はいない。


 埴土兵は咆哮をあげるかわりに、地響を立てた。その威嚇にも身をすくめなかった男たちは、矛先を合わせて、突進した。だが、彼らの勇敢さは、埴土兵の腕の一振りで弾き飛ばされた。


「違う!そうじゃない!」


 川の中ほどに達していた舟で、豊城彦がそう叫んだ。


 同乗の日照と雄心は、豊城彦が何を言いたいのかと、もどかしげな豊城彦を注視した。


「何が、違うのですか」


「あのでかぶつには、心臓きもがあるんだ」


「ほぅ、土の化け物に心臓きもがあるとは驚きだが、それはどこにある」


 心臓とは豊城彦なりの比喩で、弱点を指しているのだろうと雄心は察知した。


「えっとね、なんか意匠しるしがあるんだよ。胸のところとか背中とかに」


 豊城彦の説明は分かりそうで分からない。


土偶人はにひとがたならまじないいをつぶやきながら土に練り込めばいいけど、あの大きさじゃそうはいかないの。しかも、長い間、土のままでいたから、呪いが土気つけに吸われてしまわないように、必ず呪いを留めておくためのまちを埋め込んでいるはずよ」


 豊鍬姫の説明の方が具体的だ。豊鍬姫のいう襠が、豊城彦のいう心臓のことだろう。ちなみに、襠は、不足を補う物のことで、後の世では、衣服などの布の幅の足りない部分に補い添える布などを指す裁縫用語へと転じる。


「それで、その襠はどこに埋め込まれているのですか」


 日照の声に焦りがある。彼女たちが渡河を終えるにはまだ時が必要で、対岸では忌瓮部の男たちが埴土兵の暴威で傷ついている。


「どこかは分からない。でも、埋められている襠が呪いを発動どよもしているなら、その表面うわべは波打っているはずよ」


 豊鍬姫は声に力を込めたが、対岸には届かない。しかし日照がそれを聞けば充分だった。


「聞こえましたね」


 日照は、取り出した鏡に向けて確認した。呼応するように鏡面が波打ち、光を奔出させた。光はたちまち白鴉の姿に凝縮され、光り輝く翼が羽ばたくと、川面に細波を立てた。日照が真金鏡まがねのかがみに封じている精霊すみつたま日霊ひるめだ。


 日霊は、日照に命じられることなく飛翔し、埴土兵に襲いかかった。


 日霊はすでに了知している。埴土兵の盛り上がった胸部に蠢動する呪飾を、鋭い趾爪で抉り取り、埴土を速やかに解体した。続いて、もう一体の腰部に蠢いている呪飾を、弾き飛ばした白羽の一撃で貫き、たちまち土塊に還した。


 残りの一体は、日霊の行動から学んだ忌瓮部の男たちが仕留めた。


 日照たちを乗せた舟が対岸に着いた時、河原には故郷奪還の橋頭堡を築いた忌瓮部の人々の鬨の声が満ちていた。


 なぜ豊城彦と豊鍬姫が、埴土兵の倒し方を熟知していたのか。それを二人に問おうとした日照は、自分以上に怪訝な顔付きで首を傾げている童男おぐな童女をとめを見て、疑問を喉元に留めた。そして、浅瀬の砂利を踏んだとき、日照の脳裏に浮かんだ在りし日の入彦との会話が、疑問を解きほぐしてくれた。


 山門やまと剋軸香果実ときじくのかぐのこのみの厄災に襲われた時、多くの山門人と共に、御統みすまるとよという名の童男と童女が、果実の、山門を玄古の虚無に帰さんとする悪逆を妨げるための犠牲となった。二人の幼い姿が、果実の放つ凶悪な渦と共に消え去ろうとした時、御統が常に身につけていた白銅鏡ますみのかがみに封じられていた万物を造り出すと言われる天目一箇神あめのまひとつのかみに、入彦は御統と豊の再生を請うた。天目一箇神は、己を鏡に縛り付けている誓約、御統の危難を救うことの成就を入彦に見届けさせることを条件に、その願いを叶えた。そうして、荒野と化した山門大宮の一隅で、入彦は二人の赤子を拾ったのである。その赤子こそ、豊城彦と豊鍬姫である。入彦は、その二人の赤子は、御統と豊の生まれ変わりであると信じている。


 この奇譚は、他に証人がおらず、入彦がそう語っているだけだ。だが、入彦の妻は夫の話を信じ、日照もそれを信じている。武彦の若返りの話もそうだが、奇譚はその不思議さを理屈で査定せず、感性で受け入れたほうがよい。日照の感性は、入彦の話を真実であると首肯している。


 さて、御統と豊は、果実の魔力を利用して、己の犯した罪過ごと山門を消し去ろうとした安彦とも戦った。安彦は埴土の術を駆使し、埴土兵で御統と豊を苦しめた。その安彦との戦いの中で、二人は埴土兵の攻略法を学んだのであり、その知識は遺伝となって豊城彦と豊鍬姫の血潮に受け継がれているのだろう。


「よく教えてくれましたね」


 日照は舟から降りた豊城彦と豊鍬姫を笑顔で迎えた。二人の童子は、自身の不可解をもう忘れて、浅瀬の水を跳ね上げて遊んでいる。


「やぁやぁ、吾の出る幕はなかったようだな」


 武彦の乗せた最終の舟が水打ち際に到着した。彼は樫の木を粗削りした棍棒を口惜しそうに撫でながら、豪快に水飛沫を上げて船から降りた。


「さすがに山門の磐余彦いわれひこだ。良き鏡に良き契約神霊ちぎりのみたまを棲まわせておられる。この勝ちは吉利よきさがとなろう」


 武彦には豊城彦と豊鍬姫の声が届いておらず、埴土兵の打破は日照の独行と見えた。


 雄心と軽く目を合わせた日照は目元に微笑を浮かべて、


「ありがたいお言葉ですが、その名は捨てておりますし、あたを倒した手柄いさおしはわたくしの友のものです」


 日照は真鉄鏡を撫でながら、そう応えた。日霊はすでに、光の粒子と化して鏡に戻っている。


「神霊が友とは、さすがであることに違いはない。ともかく、重ね重ねいやを申す」


 頭を下げた武彦は身を翻して岸辺に上がった。


「お前たちもよくやってくれた。幸先が良い。盗っ人どものけちな呪いなど、恐るるに足らぬ」 


 武彦は埴土兵と戦った男たちを労い、褒めて、負傷者の手当を女たちに命じた。幸いなことに、死者も重傷者もいなかった。


 日照と雄心が岸辺に上がったとき、真守に手を引かれた阿曽姫が浅瀬を歩いてきた。彼女の清楚な佇まいには川の水も遠慮をするのか、彼女の歩みはあまり水飛沫をたてない。どこか幽然としており、儚げである。


 日照には一抹の不安がある。


 河伯に見事な神楽を奉納した阿曽姫に、神寿かみほぐ巫女としての天与の才があることに疑いはないが、吉備の地を奪還し、吉備人の総領すぶるおさとして吉備主の座に確固と君臨するためには、人の目を惹きつける圧倒的な存在感が必要だ。今も、戦った男たちに声を掛け、気力を鼓舞するためには、彼女こそ真っ先に岸辺に駆け上がらねばならなかった。


 先代の吉備主たる父を喪ったあと、異邦人の温羅に吉備を奪われた要因の根本は、阿曽姫のこの儚さにあるのではないか。そう想念した日照だが、阿曽姫には優しい微笑みを向けただけで、差し出がましい言葉は胸中に留めおいた。


 武彦はその圧倒的な存在感で、忌瓮部の人々の人望を集めている。危惧すべきは、奪い返したあとの吉備で、武彦が温羅に取って代わることである。もしもそんなことになれば彼らへの与力が虚しいことになるが、阿曽姫への武彦の愛情を知っている日照は、ひとまずその心配は不要であろうと胸中を整理した。


 武彦を輪の中心とした忌瓮部の人々は勝鬨を挙げた。その輪を側で見つめている阿曽姫の姿を瞳の隅で捉えた日照は、わるい予感を抑え込むようにして、瞼を閉じた。日照が明眸を開いたとき、忌瓮部の人々は次なる行動にすでに移っていた。


 武彦の描く吉備奪還計画の全容は複雑ではない。


 まもなく秋が訪れる。山川草木の恵みのときだ。


 果樹はたわわに実を付け、山野の鳥獣は肥えている。


 規模の大小を問わず、氏族には天地の恵みを感謝する祀りが存在する。採取した果実や狩猟の獲物を神霊や祖霊に奉献し、豊穣を感謝し、息災を祈るのだ。


 吉備族にも相嘗大会あいなめのおおえの祀りがあり、かつては吉備主の宮処みやこがあった美須邑みすむらに、吉備人の多くが参集した。温羅はそこに直会なおらいという呪法を持ち込み、吉備人の信心を掌握した。


 ふつう祀りは、祝人はふりかんなぎを介して霊異くじふる存在と通信し、御言持がその言葉を人々に伝達する。直会では、その字義のごとく、人々が直に神霊に会うのである。否、会っていると幻覚させるのである。


 霊異ふる存在と言葉を交わすという行為は、普通の人間には直会という呪法の中でも困難だが、霊が触れ合ったという感覚は、それが幻覚であろうとなかろうと、この上ない幸福感を与える。


 吉備人に幸福感を与える装置が、円筒型の土器かわらけである。綾杉文様の呪飾を施した土器の中で呪いを増幅させ、そこから流れ出す霧状の白煙が、人々を恍惚状態に誘うのだ。


 支配の手法としては、かつて山門を支配下に置いた饒速日にぎはやひのものと似通っている。独裁を目指す者の思考は近しいのだろう。大災をもたらす魔物を用いないだけ温羅には人間味があるといえるが、呪力は劣り、そこに付け入る隙がある。


 ところで吉備は、北部に山地があり、中ほどは平野で、南部には穴海と呼ばれる海の浅瀬に囲まれた小島が点在している。


 吉備の首邑は、かつて北部の山間の美須邑にあったが、温羅は己が根城を置いた南部の小島に吉備の重点を遷すべく、ひとまず中間付近の楯築たてつきの地に霊畤まつりのにわを整備し、主な祭事には吉備人をそこに集めた。この秋の大会おおえも、当然、楯築で執り行われる。


 ちなみに吉備南部の穴海は、のちに海面が後退すると陸地になり、小島は連なって半島となる。その最南端に位置することになる小島は、鷲が翼を広げたような雄壮な姿に喩えられ、日照らのこの時代には、吉備人が鷲を崇める理由となっている。 


 それはともかく、吉備人の多くが相嘗大会の日、楯築の霊畤に参集する。この日こそが、吉備の天地が吉備人の手に戻るその日である。


 吉備人の意識と信心が集中するその霊畤で、阿曽姫に神楽を舞わせる。天神あまつかみが欣喜して天下り、地祇くにつかみが雀躍して沸き出でる最上の神楽だ。参集した吉備人の多くが神霊祖霊に憑依され、尸童よりましとなって踊り出すだろう。尸童の狂喜乱舞は、神霊祖霊をその身に降ろしていない吉備人をも激しく興奮させ、やがて至極の恍惚へと誘う。阿曽姫の至上の神楽は、温羅が邪念を捏ねて整地した霊畤を帰神かむがかり斎庭ゆにわへと変じ、清らかで甘美な酔いが、温羅の呪法による悪酔いから吉備人を解放するのである。


 当然、温羅とその手の者たちは強暴な阻止を試みるだろう。激烈な妨害を排除するのが武彦や真守らの役割である。劣勢の戦いが予想されるが、山門からの助力者たちが無勢に多勢を打ち破らせる力の根源となるだろう。


 以上が、武彦の思い描く吉備奪還の展望であり、忌瓮部の人々が共有する希望である。


 展望と希望の実現のために、足は楯築のある西南へ向かうべきだが、武彦は西北へ向けて踏み出した。この時代の通念として、まだ為しておくべき重要な手順がある。

 歴史の流れは、しばしば大河に喩えられます。滔々とした大河の流れが、止むことのない歴史の湧出を目に見える現象として表しているのと同時に、時間の、過去から未来への不可逆性をも表しているのではないかと思います。川の水は、たまに逆流することもありますが。


 しかし、時間というものは、本当に存在するのでしょうか?それは人が生み出した概念であって、自然界に時間はなく、ただ変化があるだけではないでしょうか。変化であるならば、過去から未来へだけでなく、未来から過去への変化もあり得るはずです。まったく同じ過去へと変化することはなくとも、限りなくそれに近い過去には戻りうると思います。そして未来や過去だけでない変化もきっとあるはずです。


 ところで、もし人が綱渡りの綱の上に立てば、その人は前進か後退しかできません(落っこちるというパターンは忘れてください)。これが一次元の世界ですよね。ですが、非常に小さい虫ならば、前後だけでなく、横や、裏にも回ることができます。同じ次元の世界で、別の動きが発生するのです。小ささというものには、そのように次元の不可能を可能にする力があるのではないでしょうか?


 人は四次元(縦、横、高さ、時間)の世界に生きていると言われますが、多元宇宙論という考え方では10次元とか11次元が考えられているそうです。非常に短絡的な考察で恐縮ですが、人が知覚できない五次元やら六次元やらの世界が、いわゆる幽界や天界と呼ばれる世界なのではないでしょうか。


 次元の不可能、もしくは次元の壁があるため、人は、そのままでは別次元に移動することはできません。しかし、人がもっと小さな存在になればどうでしょうか?


 素粒子というものがあります。その素粒子はすさまじく小さく、ある素粒子は次元の壁をすり抜けることができると考えている研究者もいるそうです。テレビで観ただけですけど。人はまだ全宇宙の質量のうちのごく一部しか発見しておらず、まだまだ人が知らない物質があるそうです。その物質は、人が知覚できない次元にあるために、質量として存在しながら、人の目には見えないのです。テレビを観ていて理解できたのは、そんな程度でした。


 もしも、生命の魂というものが、素粒子で構成されているすれば、魂は次元の壁をすり抜けることができるのです。幽界や天界、地獄(これはあまりあって欲しくないですが)というものも、あながち虚構の世界とは言えないと思います。


 話が逸れましたが、過去から未来へという四次元の壁を越えることができれば、過去やそれ以外のどこかに流れてゆく次元の流れに乗ることができるでしょう。過去もしくは過去に限りなく近い何かにたどり着ける次元もきっとあるはずです。人は、ただ四次元の壁を越える手段を持たないだけなのです。


 この物語では、上に述べたようなものの見方を根本のプロットとして叙述していこうと試みています。上手く表現できていませんが…。忘れた頃に出てくる剋軸香果実は、人の持たない四次元の壁を越える手法を備えた不可思議な存在なのです。


 文章力と忍耐力の著しい欠如のため、うまく表現できず、なかなか更新もされませんが、ともかく、まぁこんな感じで物語を進めていきたいなと思っています。

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