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山門編-初国知らす王の章(1)-厄災のあと(1)

 厄災が山門の大地を太古に還してから七年が経ちました。山門は天孫族を中心に、新しい秩序が生まれつつあります。


 磯城族の入彦が天孫族の狭野姫に招かれて、山門の新しい首邑となった橿原宮を訪れたところから、今回の物語が始まります。



 山門やまとは水が豊富な大地だ。水は草花を生み、樹木を養う。草花と樹木は、鳥獣を育む。


 水は川となって山門の大地を縦横に流れ、よく晴れた朝の川面は、まるで光を運んでいるかのようだ。


 川にそって獣がつけたみちや人が造った道は、かつて斑鳩いかるがの丘に向かっていたが、そこが原野にかえってからは、径や道は向きを変え、畝火山うねびやまに集まるようになった。


 畝火山の東麓にある橿原宮かしはらみやが、今は山門の首邑となっている。


 川沿いの道を通って、多くの人々が行き交っているが、ここ数日の往来が特に多いのは、天孫族の氏上このかみ狭野姫さのひめが、諸族の氏上を招いたからだ。


 狭野姫は磐余彦いわれひこを名乗っている。そのため、初めて狭野姫を見た者は、磐余彦の音の響きから勇壮な建御子たけるみこを想像していただけに、雲の上の日輪のような美しさに、目を眩ませた。懸隔ギャップが心を打つということは、人の精神作用にしばしば見られる現象で、橿原宮を訪れた人々は、磐余彦狭野姫いわれひこさのひめにたちまちに心を奪われた。


 畝火山は、太古は火山だった。地中深くの劫火は枯れてしまったようだが、噴き出した溶岩によって形成された山容は火のうねりのようであり、奇岩が多い。低山ではあるが、霊異振くじふる岳として、畝火山の霊験を信じる族は多い。


 狭野姫が畝火山の東麓を天孫族の根拠地に選んだのは、彼女の故郷の日向ひむか高千穂山たかちほやまと、霊気の質が似ていたからだ。火山には独特の雰囲気があり、狭野姫の出身族の高千穂族も、高千穂山の東麓にむらを構えていた。


 山門にとっては新参者であり、侵略者の相貌もある天孫族が畝火山に居座ることに、当初、周辺の族は不快感を持った。しかし当時の天孫族は破竹の勢いで、小さな族では対抗できなかった。狭野姫が畝火山を敬うこと、御祖みおやの陵を祀るようであり、古くからの畝火山の祭祀を遵守したから、周辺の族は狭野姫に心を許し、天孫族の傘下に収まった。


 至って平和裏に建設が始められた橿原宮は、今では、かつての山門の首邑の山門大宮の殷賑ぶりを凌駕しつつあった。


 初めて橿原宮を訪れた者は、決まって感嘆の声をもらす。幾度となく訪れている入彦の感動は確かに薄れてはいるが、それでも装飾の騒がしかった山門大宮にはなかった気品ある街並みは、大通りを歩くだけで清々しい気持ちになる。


 空には気だるい春霞がかかっているが、その下で、橿原宮を行き来する人は、皆、希望と手をつないだような溌剌はつらつさだった。


 入彦が橿原宮に着いたのは三日前のことだ。狭野姫が招いた諸族の氏上の一人として、入彦は狭野姫の宮処みやこの高殿に上った。


 磯城族の氏上としての入彦の待遇は、他族の氏上と同等だったが、高殿で出迎えた狭野姫の笑顔に明らかな差があった。


 狭野姫は諸族の規模の大小に関わらず、招待に応じて橿原宮を訪れた氏上には神秘的な深みのある笑顔を向け、彼らを魅了したが、入彦へ向けられた笑貌には恋慕と恥じらいがあった。それは一人の乙女の心の純なる表現であり、他族の氏上に向けられた、蠱惑的で政治的思惑を秘めた社交的なものとは輝きの色が異なっていた。


 入彦は床に深く額づく山門のいやで狭野姫の笑顔を受け止めた。狭野姫の心の波立ちは伝わったが、入彦はそれを胸の奥で受け止めるに留めた。甘美な狭野姫の心情を胸の奥深くに収め、感情を顔色に上らせなかった。狭野姫の魅力の前でそんなことができる男は珍しい。


 狭野姫と入彦の会見は特別なものではなく、交わされた言葉は社交辞令に留まり、時間もことさら長かったわけではない。他族の氏上との会見と同じ作法と手順で進められた。しかし双方が通い合わせたものに違いがある。


 その違いに気づいたのは、手研たぎしだ。彼は狭野姫の最側近で、諸族の氏上との会見の席にはすべて同席していたから、まるで声を聞いたように、狭野姫の心がわかった。


 手研にとって、狭野姫は年下の叔母に当たる。彼は狭野姫が憧れ敬愛した兄である天津彦五瀬の長子で、狭野姫が兄の遺志を継ぎ、天津彦から磐余彦を名乗る過程を一番近くで見てきた。天孫族の誰よりも、長く、深く、狭野姫を支えてきた。そこに格別の思いはある。だが手研は、自分の心がその思いを口にすることを禁じていた。狭野姫と入彦との会見を、静かに見つめていた。


 狭野姫との会見を終え、大室おおむろを退いた入彦に、葛城族の氏上の太忍ふとにがすり寄ってきた。彼は、高殿のきざはしを下りる入彦が気づかないほどのさり気なさで、隣に並んできた。


「葛城と磯城には同じ血が流れていることを知っておられるかな」


 太忍は短く自己紹介したあと、入彦の葛城族への認識を探るようなことを言った。


 入彦の曽祖父に当たる太瓊ふとにの血族に、葛城族へ嫁した女性がいる、と聞いたことはある。


山門主やまとぬしあらがうため、葛城族と結ぶ必要があったのでしょう」


 入彦は表情に親しみを見せないまま、そう答えた。


 一見して、入彦は、太忍とは性が合わない、と判断した。太忍のような、腹中に一物もニ物も潜めたような男は苦手だ。


 太忍に男としての魅力がないわけではない。野心が水の上の油のように面様に浮かぶ人物は、その配下にいる者には頼もしく映る場合もある。しかし入彦は、あまりそういう人物を好まない。嫌悪するわけではないが、入彦の心の声は、太忍への警戒を呼びかけてくる。


 入彦の返答に温もりはなかったが、内容自体には太忍を満足させるものがあった。簡潔な言辞ながら、太忍が暗示したものへの反応が含まれていたからだ。


「我らも、共に手をたずさえたいものです」


 太忍は入彦の表情を覗き込むような仕草をした。


「むろんです。共に、あの厄災まがことを乗り越えた山門の栄えに力を尽くしましょう」


 入彦は表情の固さを解かないまま、深く頭を下げて礼儀を示してから、足早に立ち去った。


 入彦の後ろ姿を見送りながら、太忍は軽く鼻を鳴らした。取り付く島はないと言いたげな入彦の態度に不快はあるが、彼は気分の切り替えが早い。背後の舎人とねりを振り向いた顔はすでに穏やかだったが、小声で命じた内容は舎人に身震いを生じさせた。


 太忍が従者を震わせた冷気は、足早く歩く入彦には届かない。ただし、寒気を感じてから厚着をしても風邪を引きやすい。入彦は葛城族への警戒心を高めることを決めた。


 狭野姫が諸族の氏上を招いた目的は、橿原宮のお披露目と親善だけではない。


 神祝かみほぎの鏡猟かがみがり主宰しゅさいする。


 鏡猟は馬合わせと並び、かつての山門大宮で貴人うまひとから庶人おほしひとに至るまでが熱狂した二大娯楽だ。


 諸族においても、氏上がそれらを主催することはあったが、諸族に号令をかけて大規模に行うことは山門主にしか許されなかった。諸族対抗の鏡猟なり馬合わせを挙行するということは、つまり、山門の支配者が誰であるのかを認識させる行事なのだ。海の果の帝国、大真風にいえば、覇を唱える、ということになる。


 大真帝国が大真帝国として成立する以前は、複数の諸侯が互いを攻伐する戦国時代が長かった。ときには有力な諸侯が周辺の諸侯に号令をかけ、諸侯会同を企画した。そうすることの利点は二つある。ひとつは参加した諸侯に覇者を認識させることで、もうひとつは参加しなかった諸侯を敵と見定めることができることだ。


 鏡猟を挙行する狭野姫にも同じ思惑がある。狭野姫というよりも、天孫族の思惑という色が濃い。辛酸を舐めて山門に辿り着き、出雲族との決戦と厄災を乗り越えた以上、払った犠牲に見合う山門での地位を彼らは望んでいる。かつての斑鳩族の立場を占めたいのだ。実は狭野姫としては、そこまでの思い入れは薄い。畝火山山麓に天孫族の安住の地を造れば、あとは山門の諸族と共存しながら一族を繁栄させていきたいと考えている。女性ながら建御子たけるみこたらんとしていた覇気は、一人の人物に出会ったことにより圭角を失いつつある。彼女の中の乙女が目を覚ましたのだ。その乙女が、どうしようもない純真さで、狭野姫の意識を、覇道から平穏へ向かわせようとしている。狭野姫は、その神秘的な魅力で諸族の心を掴む反面、天孫族からは浮きあがりつつあった。


 山門は、先の厄災とそこに至るまでのいくつかの大きな戦いで、甚大な犠牲を払った。雨過天晴となって穏やかな日が続くことこそ狭野姫の本願だった。天孫族には、それが物足らない。


 さて、大真での諸侯会同は君主や施政者の政治的思惑で開催されるが、政治体制や政治思想が成熟していない山門では、鏡猟も馬合わせも神事だ。楽しめるからといって、随時に挙行できるものではない。神を楽しませる行事であり、人はそのおこぼれにあずかるにすぎない。今回、狭野姫が主宰する鏡猟も、山野の恵みを与えてくれる神々を言祝ことほぎ、新しい山門の諸族の結合を報告するという名目の元に催される。そんなわけで、入彦も、磯城族のかんなぎを引き連れて、三日前、橿原宮に入ったのだ。


 神事に従事する巫を、いつきという。鏡猟に出場する巫も斎と呼ばれる。


 磯城族の斎たちも鏡猟に出場したが、残念ながら初日に敗退してしまった。入彦の妻である美茉姫みまつひめや、特別な友人だったとよが参加していたらそんな結果にはならなかっただろうが、通常、氏上の正室は不慮の事故を避けるために出場せず、豊はもう入彦の思い出の中にしか住んでいない。橿原宮に来た目的が鏡猟の勝利ではなかったので、入彦は出場した斎たちを労い、素晴らしい神事を行ってくれたことを称えた。


 鏡猟に敗退していても、氏上は会場に出席しなければならない。割り当てられた宿舎に帰った入彦は、食事と沐浴を済ませ、早く床に就いた。


 眠りに落ちる前、入彦は暗がりに明かりが灯るような二つの幼顔を思い描いた。豊城彦とよきひこ豊鍬姫とよすきひめだ。


 この二人の幼子を美茉姫と二人で育てているが、実の子ではない。あの厄災のあと、上古の原野に戻った鵤丘いかるがおかで、黒衣に包まれた二人の赤子を抱き上げた。剋軸香果実ときじくのかぐのこのみの暴走を抑えるために犠牲になった御統と豊の生まれ変わりだ、と入彦は信じた。そう信じる根拠があった。天神あまつかみ天目一箇神あめのまひとつのかみが入彦の願いを受け入れ、御統と豊の霊魂を新たに打ち直した器に入れ、入彦のもとへ届けてくれたのだ。美茉姫は赤子を抱いた夫の突飛な話を受け入れ、我が子とかわらない愛情を注いでくれている。


 豊城彦と豊鍬姫は七つになった。あれから七年が経ったということだ。


 今のところ、あの厄災の直中ただなか、天目一箇神の神業で産み落とされた霊異を感じさせる逸話はない。七歳に相応しい天真爛漫さですくすく育っている。入彦と美茉姫にとっては、それが何よりであり、十分だった。


 かつて入彦の父である大日がそうだったように、入彦はできるだけ豊城彦と豊鍬姫との時間を持った。だが今回は、二人を瑞籬邑みずがきむらに残した。いわくの深い二人だから、人の運命に波紋を生じさせる不思議な力を持った狭野姫に逢うことで、二人の時が急ぎ始めないか、と案じたのだ。


 豊城彦と豊鍬姫は、橿原宮を観たかったと怒るに違いない。何かよい土産をあがなってやらねばならない。そんなことを考えながら、入彦は眠りに落ちた。


 神事は夜明けとともに行われるのが習わしだ。鶏鳴のころ、舎人とねりの声で目を覚ました入彦は、暁闇に炬火を灯して宿舎を出た。


 往時、鏡猟の祭場は辞禍戸崎ことのまがえのさきの麓にあった。言葉の真偽を審理する聖なる地だ。後の時代には盟神探湯くがたちに用いられる探湯瓮くかへという釜が置かれ、熱湯に手を浸して火傷の有無により人の正邪を判別する呪術裁判の地ともされた。ちなみに崎は山や丘の出っ張った先端を意味し、ここの丘自体は味橿あまかしと呼ばれている。


 その味橿の辞禍戸崎も、いまは原野だ。葦原や花畑は蝶や蜂を楽しませているが、神と人が楽しんだ面影は残っていない。


 山門の人々は重要な祭祀と娯楽の地を失った。


 狭野姫は山門の人々の傷心を癒すために、そして天孫族の力を誇示するために、畝傍山の北方、白檮尾かしのおと呼ばれる地に、新たな鏡猟の祭場を整備した。そこは橿原宮から近く、五百歩ごひゃくあしほどのところにある。一歩ひとあしは約1.8メートルだから、隣接しているといってよい。


 東の空が明らむと、清風が吹き始めた。澄明な大気が風によって攪拌し、入彦は涼やかな朝の気配を胸いっぱいに吸い込んだ。


 白檮尾かしのおの祭場には多くの人が集まった。諸族はそれぞれに印象色イメージカラーを持ち、例えば磯城族なら翡翠ひすい色だが、諸族が各々の席につくと、まるで地上に虹が降りたような華やぎがあった。ちなみに、山門全体の印象色は、青丹あおに色だ。


 地上の虹に日が射した。そう見えたのは、より一層華やかな集団、天色あまいろの衣をまとった天孫族が席に着いたからだ。長方形に整地された祭場は東西に長く、その東辺の中央に、天孫族は陣取った。そこには祭場と観客席を見下ろす高さのうてなが築かれており、その頂の席に、磐余彦狭野姫が座った。


 台の背後に細い塔が立ち、その天辺には天孫族の宝鏡が狭野姫の頭上に輝くように置かれている。台から正面となる祭場の西辺にも細い塔があり、その天辺には、祭事の時を司るときの鏡が、ちょうど日光を受ける位置に置かれている。


 祭場の南北にも、やや背の低い塔の天辺に鏡がそれぞれ置かれており、それは鏡猟で用いられる特殊な光のみを反射する映さずの鏡だ。祭事に鏡はつきものだが、白檮尾の祭場には、都合四面の鏡がおかれ、それぞれ鏡面に霊威をたたえている。


 山門を囲み連なる青垣山の、東の尾根が白く浮かんだ。この朝の最初の日差しが澄明な大気を貫き、剋の鏡に吸い込まれた。


 剋の鏡が聖なる輝きを灯す。その輝きを真正面に見るのは、大祝おほはふりだ。彼は祝者はふりの長老で、天神地祇に成り代わり、審神者さにわとしてこの祭場を取り仕切る。歳を重ねた彼の目は盲目だが、鏡の聖なる輝きを、彼の心眼が見逃すことはない。


 狭野姫が着座する台の下方に大祝が厳かに立つと、満場の人々は声を静めた。


 大祝の号令で、鏡猟が始まった。対戦するのは天孫族と葛城族だ。参加した諸族を勝ち抜き、今日が決勝戦だ。


 それぞれの印象色、天孫族は天色あまいろ、葛城族は黄蘗色きはだの衣を着揃え、呪いの化粧けわいを施した十一人の斎たちが、技を競い合う。全員が鏡を持ち、剋の鏡をから受け取った光を仲間の鏡に反射させながら、敵陣の映さずの鏡に投げ込む。剋の鏡から放たれるのは特殊な光で、その光の反射を受け止めた鏡は激しく輝く。そして斎の意思に反して、光が別の鏡へ向けて放たれることはない。


 斎の持つ鏡が激しく輝く度に、観衆が歓声を挙げた。


 斎たちは、ただ光をやり取りして敵陣の映さずの鏡に投げ込むだけではない。攻守があり、守る側は当然、攻め手を妨害する。光を横取りすることは基本の戦法で、鏡に秘めた天神地祇の霊力を呪言で呼び覚まし、火矢を放ったり、稲光を落としたりもする。攻め手の盾となる斎は、解除はらえの術で、相手の攻撃を無効化する。その呪いの攻防が、観客をより興奮させる。怪我人が出ることは想定内だが、万一相手の斎を死なせた場合、その族は無条件に敗退となる。幸い、今回の鏡猟の挙行で、反則負けとなった族はない。


 死すらもありえる緊張感を基盤として、美しい斎たちが危険な呪術を駆使する。そこに観客と天神地祇は興奮を感じ、悦に入るのだ。


 日差しが、剋の鏡を縦になぞってゆく。最下部で日差しが切れたとき、大祝は、鏡猟の終了を宣告した。


 精根を使い果たした両族の斎が祭場に倒れ込み、彼女たちの美しくも勇壮な戦いに、観衆が万雷の拍手を注ぐ。天神地祇は声を発せず、柏手も打たないが、彼女たちの火照った体を癒す涼風がそれであり、観衆は天神地祇に成り代わって祝福するのだ。


 鏡猟は天孫族の勝利となり、天孫族は主宰者としての面目を施したが、観衆たちにとっては、それはそれほど重要ではなかった。勝者にも敗者にも、祭事をすばらしく盛り上げた演出への言祝ことほぎが注がれる。


 入彦も惜しみない拍手を送った。人々の歓喜が大地を震わし、天を賑わす。そうして、祭事は成功に至るのだ。


 天孫族と葛城族の斎たちが、栄誉にくるまれて退出した。そのあと、主宰者が一言述べるのが恒例だ。


 大地から、夜のかげはすっかり払われている。


 台の頂きで、狭野姫が立ち上がった。燦々(さんさん)と降り注ぐ日の光を集めて、狭野姫の頭上の宝鏡が美しく輝く。人々は磐余彦を称える言霊を捧げるが、さなきが打ち鳴らされ、粛々とした音色が広がると、人々は身なりを正して、磐余彦狭野姫の言葉を待った。ちなみに、鐸とは祭事に用いられる大きな鈴のことで、銅でられるのが通常だ。


 狭野姫は濃紅の大袖に純白の貫頭衣を重ね、橙色の帯で締めている。宝冠をかぶり、耳に環を垂れ、腕にくしろを巻いている。そのどれもが美しく輝くが、とびきりの光を放つのは、彼女自身の白肌だった。男勝りで、お転婆だった彼女は、七年の歳月で神憑りの美しさを備える女性に成長していた。


掛巻かけまくかしこき天御中主あめのみなかぬし高皇産霊たかみむすひ神皇産霊かむむすひ高天原たかまがはら八百万やおよろずの神々、この斎庭ゆにわ百姓おほみたから神祝かみほぎ、神寿言かんよごと、聞し召し給えと祈願奉こいねがいたてまつる」


 彼女が一言を発しただけで、観衆は老若男女を問わず、動悸を高鳴らせた。それほど、狭野姫の艶容は人を魅了する。


 狭野姫の言葉は、続いて天孫族と葛城族の斎たちを褒め称え、公正な審神者を務めた大祝(おほはふりをねぎらいい、天地をどよもして天神地祇を楽しませた観衆と感奮を同じくすることを宣べたあと、


言霊ことだまさきわう、そらにみつ山門の六合くに恩頼みたまのふゆれ賜ひ、諸々の禍事まがごと、罪、けがれ、有らむをばはらへ給ひ、清め給へとまをす事を聞こし召せと、かしこみ恐みも白す」


 そう言葉を締めて、深々とした礼を天地に捧げた。万に迫る観衆も、一斉に狭野姫の礼にならった。


 頭を戻した狭野姫が台を下りないので、観衆は戸惑った。階を下りかけた手研も、狭野姫を振り返ったあと、同じような困惑顔の珍彦うずひこ道臣みちのおみと苦笑を見せ合った。こういうとき、狭野姫は大抵、三人を困らせる言動を見せるものだ。


「今日はまことによい日です。思い返すも恐ろしいあの厄災から七年が経ちました。七という数は、幸いを招く数です。また大真の言葉では、断ち切るという意味も持ちます。あの厄災の忌まわしきを断ち切り、幸いに転じようではありませんか」


 西の海の果ての大陸にある大真帝国の文字文化は、まだ豊秋島には十分伝播していないが、七という文字は、本来は骨の切断面を意味していた。後にそれが数字を表す文字となり、本来の意味は刀を添えることで表され、切となった。


「この晴れの日に、わたくしは、あの厄災の直中ただなかで厄災と戦った建御子たけるみこに贈り物をしたいと思います」


 天琴あまつみことの弦の音のような美しい声が、入彦の名を呼び、台へ誘った。突如、衆目を集めることになった入彦は、戸惑いながら台の下に立った。狭野姫からさらに促された入彦は、畏れ多さを挙措に表しながら、台の上、狭野姫の面前に立った。


磯城津入彦しきついりひこに、県主あがたぬしかばねを贈ります」


 その静かな一言は、しかし神鳴かみなりにも近い轟きで、聞いた者の耳と胸を打った。


 この時代、名前は重要な意味を持つ。かつて、狭野姫の兄である五瀬いつせ天津彦あまつひこを名乗ることで万里の波濤に挑む天孫族を鼓舞し、狭野姫は磐余彦いわれひこを名乗ることを条件に激しく戦っていた磯城族と講和を結んだ。


 狭野姫が入彦に磯城の県主の名を贈ったということは、入彦による磯城の統治を侵さないことを誓った、ということになる。数多くの豪族が天孫族に服従するなかで、磯城族にだけ独立権を認めたということになる。なお、あがたは中央に対する地方を意味し、はるか後には地方行政単位を指す言葉に転じるが、狭野姫と入彦の時代では地方王ほどの重みがある。


 狭野姫の宣言は、現代風に捉えれば、国を承認したという行為に等しい。磯城族を対等として認めるということだ。


 鏡猟の祭場を斎庭とし、いま、八百万の天神地祇が降りている。狭野姫は人々に告げただけでなく、神々に誓ったのだ。この意味は大きい。特に、天孫族にとっては青天の霹靂だった。山門の全ての豪族を傘下に置きたい彼らの耳目には、狭野姫の言動は、背信とも受け取れる独尊の姿勢として見えた。


 狭野姫は、しかしその意中を、数日前に手研、珍彦、道臣の三人に明かしていた。狭野姫は天孫族のうち、これまでに功績を挙げた者に相応の褒賞を与えた。なかでも顕著な功績を挙げた珍彦、道臣には国造くにのみやつこの称号を与え、首功の手研にはきみの称号と天孫族の祭政の実権を与えた。狭野姫としては、どうしても入彦を賞したかったが、他族の氏上に褒美を与えるわけにはいかず、県主の称号を贈るという着想に至ったのだ。天孫族の民意を知る三人は族人の動揺を慮り、狭野姫の発案に対して是非を即答しなかったが、狭野姫にすれば、非がなかった以上、是とされたと認識したのだ。


 ともあれ、天神地祇へ言霊は放たれた。撤回はできない。


 入彦は恭しく、狭野姫からの贈り物を受け取った。


 祭事は終了し、観衆は祭場を出て、それぞれの邑へ帰ってゆく。橿原宮に向かう天色の集団には、どこか白々しさが漂っていた。


 その様子を見て、ほくそ笑んでいたのが太忍だった。


 神々をも魅了する美しい女性に成長した狭野姫。彼女は新しい山門主というべき磐余彦の地位にありましたが、入彦への恋慕を抱く乙女でもありました。そのことが、これまで彼女を支えてきた天孫族に不満を芽吹かせます。


 その間隙を突いて、葛城族の太忍が野望を描き始めます。


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