行ってきます
黒地に白い水玉のエプロン一枚を身につけただけのユニくんと、食卓で向かい合って朝食をとった。
「どう? おいしい?」
期待を込めた爽やかな笑顔で聞いてくる。
「めっちゃおいしい!」
あたしはおにぎりを口に含むなり、自然に声が出た。
ごはん粒を潰すことなく、絶妙の力加減で握ってある。
ユニくんの手が直接握っているだけあって、あったかい心みたいなものまでが味に含まれていた。
断面から現れるキャベツ、メンマ、ネギを細かく刻んだ具に包まれて、どーんと皮なしソーセージの存在感が嬉しい。
すべて火は通しておらず、生なのに、まるでとろ火でじっくり煮込んだみたいに滋味に満ちていた。
「すごいね、ユニくん。あたしの作るおにぎりとは大違い。あたしだったらラップにごはん盛って、ふりかけかけて、包んで、終わりだもん。こんな手のこんだこと出来ないよ」
「よかった」
そう言って彼は美少年の目を細めて笑う。
「ママにおいしいって言ってもらえた」
うちの息子はいい子だ。
しかも見た目も気持ちよくて、かわいくて、最高だ。
まさに神様から贈り物だ。
あたし、そんなに日頃の行い、よかったっけ?
そんな最高の息子と向かい合って、幸せな朝食タイムを送りながらも、あたしは不満だった。
どうしてここにもう1人、パパがいてくれないのだろう。
彼がここにいないというただそのことで、あたしはなんだかいけないことをしているような錯覚にとらわれてしまう。
あたしが産んだたまごから孵った子なのに、知らないよその男の子を連れ込んでいるような気分になってしまう。
昨日までは三歳ぐらいだったからそういう気持ちにもならなかった。しかしどう見ても中学生ぐらいの少年を目の前にしていると、我が子ながらそわそわしてしまう。
言い訳のためにパパがここにいてほしかったのかもしれない。
「あ。ところでユニくん、歯磨いた?」
あたしは聞いた。
昨日、スーパーで彼の歯ブラシを買ってあった。
寝る前はあたしが磨いてあげたけど、これだけ大きくなっていれば自分で磨けるだろう。
「はみ……?」
ユニくんは見た目は大きくなったが、中身はあまり変わらないようだった。
「はみが、いた? って、どういう意味? 何がいたの?」
だめだこりゃ。
見た目は大きくなったけど、中身は3歳のままだ。
まぁ、実際まだ生後5日だし。
朝食を終えると、あたしは手取り足取り、ユニオに歯磨きのしかたを教えた。
すぐに覚え、上手に自分で磨いた。これからは言わなくてもしてくれるだろう。
「着た?」
「うん。着れたよ」
キッチンの壁に隠れていたあたしが顔を出すと、ユニオはあたしの白い長Tシャツとグレーのジャージパンツをきちんと身に着けていた。
まだあたしのほうが少し大きいので、ちょっとぶかぶかだ。
はっきり言って裸エプロンのほうがかっこよかった。
今度の休みの日は彼に似合う服を買いに出かけよう。楽しみだ。
「ぱんつも穿いた?」
「うん。はいた」
部屋着にあたしは男物の、大きなスポンジボブの絵が入ったトランクスを持っていたので、それを穿かせた。
「トイレは? わかった? あそこでするんだよ?」
「うん。覚えた。大丈夫」
「お腹空いたら?」
「かっぷらーめん。ぽっとのお湯入れて、つくる」
「よしっ。……じゃ、行ってくるね。ちろくんの面倒よろしく」
「うん。いってらっしゃい!」
爽やかな笑顔があたしを見送ってくれた。
◆ ◆ ◆ ◆
アパートから会社までは徒歩20分弱だ。
車を使うほどの距離でもなく、健康のために歩いて通っている。
会社にいても、ユニくんのことばかり考えてしまった。
ユニオが産まれてから、ほとんど灰色1色だったあたしの生活に、さまざまな色が混じるようになった。
5歳児の男の子はとんでもなくかわいいと聞き齧っていたので楽しみにしてたのに、眠っているうちにその時期が過ぎてしまったのが悔しかった。
しかし今朝のユニくんは凄かった。
芸能人なれるよ。いや、芸能人でもあんな綺麗な男の子は見たことない。
まるで人間じゃないみたい。
……ああ。ツノの生えてる人間は実際いないのか。
「桐谷くん」
事務仕事をしながらそんな考え事をしていると、課長に声を掛けられ、はっとして顔を上げた。
「はっ、はい」
「もらった書類、ミスが多いよ。まだ病気、悪いんじゃない? 調子が悪いんだったら無理せず帰って休んでていいから」
「だっ、大丈夫です」
「そう? じゃ、ミスしないように。君がミスするとみんなが迷惑することになるんだからね。頼むよ?」
「はい。すみません」
いけない、いけない。
課長の目が静かに怖かった。評価を落とされたら会社に居づらくなる。
ここは給料も待遇もいい。あたしの大学の卒業生を優遇して採用してくれることもあり、この就職難の中、運よくありつけた仕事だ。
ユニくんのためにもやめるわけには行かない。
あたしは仕事に集中しようとした。
しかし書類に向かうと、今朝ユニくんの口から出た人の名前が頭に浮かぶ。
あのおにぎりの作り方をユニくんに教えたひと……。
『ゼンゾーが教えてくれたんだ』
最初はパパのことかと思った。あの灰色の雨の中、キスであたしを孕ませたひと……。そういえばユニくんに似ていたひと。
しかしどうやらそうではなかった。
話を聞くと、ゼンゾーというひとの容姿は、銀色の髪にツノのある、とても背の高いひとではなく、
黒髪でツノはなく、あたしより少しだけ背が高い程度のひとらしい。
何よりパパは西洋人っぽい顔つきだ。
『善蔵』? 『善三』? 『全造』? どれにせよ、そんな江戸っぽい名前は似合わない。
そしてユニくんとゼンゾーさんの関係を聞くと、びっくりするような答えが返って来たのだ。
『恋人同士だったんだよ、ぼくとゼンゾーは』
ユニくんのお喋りレベルは三歳児ぐらいなので、それ以上聞くのはやめた。聞けば聞くほどわからなくなりそうだった。
大体、生後まだ5日のユニくんに、なぜそんな過去があるのかがさっぱりわからなかった。
ユニコーンのことだから、人間とは色々違うんだろうけど。
「桐谷くん」
また課長がいつの間にか後ろに立っていて、今度は少し強めの声を掛けてきた。
「はいっ。あの……またミスがありました……?」
「ミスだらけだ。やっぱり帰って休みなさい。部長には私から報告しておくから」
「あっ……。すみませんっ。気をつけますから、どうか……」
「心配するな。病気なんだから仕方がないさ。評価には影響しないように配慮するから」
あたしは仕事途中で帰らされることになった。