裸エプロン
アパートの部屋に帰るなり、ユニオに急かされた。
「早くぅー! 早くレバー食べたぁい」
「ちょっと休憩させて……」
あたしはコーヒーを入れながら、ワゴンに入れてあったハッピーターンを取った。
「まだ晩ごはんには早いし、これ食べとく?」
「なに、それ?」
「お菓子だよ」
あたしの手から包装を剥いたお菓子を受け取ると、歯でくわえ、ぱきんと音を立てて食べて、すぐに笑う。
「おいしい!」
「ん、よかった。ごはんまでちろくんとでも遊んでおいてね」
コーヒーを飲み、お菓子を食べながら、食卓の椅子に座り、六畳間でちろくんと遊ぶユニオを眺める。
なんだかお馬さんごっこをやっているようだ。額からユニコーンのツノが生えているユニくんが犬にまたがっているのは、銀色の美しい子馬が犬に乗ってるみたいで、笑えた。
あれだけ凶暴になっていたちろくんは普通のマルチーズ犬に戻っていて、それどころかユニオに完全服従しているようにも見える。あたしの前では結構自由気ままにいたずらまでするくせに、ユニオの前ではまるで怯えてでもいるような目をして、大人しく言うことを聞いている。
「さて……と。レバーの下ごしらえしよっと」
あたしは呟くと立ち上がり、冷蔵庫からレバーのパックを取り出すと、血を流しに捨て、ボールに張った水にさらした。
「きゃーーー!」と悲鳴を上げながら、ユニオが飛んで来た。
「ママっ! なにしてるの!?」
「んー? 血を抜かないとね。そのまんま焼くと臭みが残っちゃうから」
「だめーっ! 血、飲むんだもん! 血がおいしいんだよ!」
そう言うなり、床から流し台まで、85センチの高さを、手もつかずに、ぴょんと飛び上がった。
ボールの中に手を突っ込み、生のままのレバーをつまみ上げ、口に入れようとする。
「ダメでしょ!!」
あたしは慌ててその小さな手を押さえ、床に抱き下ろすとともにレバーも奪い取った。
「レバーは生で食べちゃダメなの! キンキンがいるんだよ? 下手したら死んじゃうんだよ!」
「キンキンてなに?」
「菌菌よ。バイキンマンみたいなもん。ぽんぽん痛くなって死んじゃうんだから。ただでさえスーパーで血を舐めてたから心配してるのに」
「バカだなぁ」
ユニオはあたしを鼻で笑った。
「バカだなぁ、ママ、バカだなぁ。そんなのいないもん。『めーしん』っていうんだよ、それ」
「迷信じゃないわよ。実際に死んじゃったひとが出て、社会問題になったんだから」
あたしはそう教えながら、フライパンに火をつける。
「でも血の臭みが大丈夫っぽいから、これ以上血抜きはやめて、もう焼いちゃうね。あたしもレバー好きだから」
ジュウウウウとフライパンの熱とレバーが触れ合う快い音がキッチンに響いた。
キャアアアアとそれに張り合うぐらいの音量でユニオの悲鳴も響いた。
「なにしてるの!?」
ユニオが信じられないという表情であたしのエプロンを引っ張る。
「レバー、ころしてるの!?」
「殺してないよ。おいしくしてるんだよ」
あたしはユニオの言い方がおかしくて、思わず大笑いした。
「やだーーーーっ!」
ユニオは泣き出してしまった。
「レバーころしちゃやだーーっ!!」
レバーの焼ける音とユニオの泣き声で、キッチンは大騒ぎになった。
「おいしいでしょ?」
まだべそをかきながらも、口にレバー炒めを入れたユニオに、あたしは聞いた。
この部屋の食卓で、誰かと向かい合って食事をするなんて初めてだ。
あたしが睨むような笑顔で聞くと、椅子にクッションを重ねた上に座ってフォークを持ちながら、ユニオは口をもぐもぐ動かしながら、鼻水をすすり上げ、しょうがなさそうに答えた。
「ママがつくったやつだから、おいしい。……でも、ほんとうは、生がおいしい」
ちょっと可哀想になった。
生で食べられるレバーって、何かあるのかなぁ、鶏も豚もダメだよなぁ……。
とりあえず後でネットで調べてみよう。
明日から会社に出勤だ。
ユニオ、1人で大丈夫だろうか。
冷蔵庫に生レバー入れとかないように、これから気をつけなきゃ。
◆ ◆ ◆ ◆
夢を見た。
どこかの黄金色の草原を、虹色の艶を浮かべた白い馬が駆けていた。
その背中には立派な銀色の翼があり、額からは天を突くような一本角が生えている。
あたしは自分がどこにいて、どんな風にそれを見ているのか、わからなかった。
まるで映画の一場面のように、美しい馬はあたしに一瞥をくれると、優しく笑うような表情を残し、翼を羽ばたかせるなり、あっという間に空高くまで飛んで行ってしまった。
◆ ◆ ◆ ◆
目が覚めると包丁の音がしていた。
時計を見ると、目覚ましの鳴る10分前だ。
胸にくっついて寝ていたはずのユニオが、いない。
寝る前に着せていた服がすべてそこに脱ぎ捨てられてある。
あたしは眠い目をこすりながら起きあがると、音のするキッチンへ歩いて行った。
全裸にエプロンだけ着けた13歳ぐらいの男の子の後ろ姿がそこにあった。
白い肌に銀色の髪なのでユニオだとすぐにわかった。
調理台に向かって何かやっている。
顔は下を向いているが、長く伸びたツノが上へ向かって反り返っており、頭の上でチラチラしていた。
「……ユニくん?」
あたしが自分と同じぐらいの身長のその背中に声をかけると、華奢ながらもすっかり大人っぽくなった姿には似つかわしくない、まだまだ子供の声が返ってきた。
「あ! ママ、おはよー」
「何してるの?」
あたしが聞くと、自信満々のことばが返ってきた。
「朝ごはん、つくってるの。ママ、今日からお仕事でしょ? だからぼく、朝ごはんつくってあげたよ」
そっと背中越しに覗いてみると、おにぎりを握っていた。
包丁を使って小さくした皮なしウィンナーを中に入れ、細かく刻んだ野菜と一緒にして、手慣れた手つきで綺麗に握っている。
ラップを使えば手が汚れないのに、と思いながらも、その手際のよさと出来映えに感心する。はっきりいって、あたしが握るよりも綺麗だ。
「すごいね、ユニくん。どこでそんなの覚えたの?」
あたしが聞くと、ユニオは振り返った。
窓から射し込む朝日に銀色の髪がキラキラと輝き、その笑顔も輝いていた。
すっかり少年の顔になったその口が、あたしの問いに答えた。
「ゼンゾーが教えてくれたんだ」