アーミティアスは笑う
ユニオは目を見瞠き、ゼンゾーの顔を信じられないものを見るように、一瞬、見た。そしてすぐに弾かれたように、コンクリートの上に尻をつくと、空気の抜けたゴムのように、柔らかくなって後ろへ倒れた。
その胸から赤い血が流れ続ける。
「……ユニくん?」
身体の自由を取り戻したユーコがおそるおそると駆け寄り、その顔を覗き込んだ。
ゼンゾーは発射した銃を構えたまま、息を荒くして、ただ立っていた。その目はまた信じられないものを見るように、落ち着きなくわなわなと震えている。
月が妖しく、静かに見下ろしている。
「ユニ……くん」
ユーコは地面に手をついて、仰向けで倒れているユニオの顔を一生懸命に覗き込みながら呆然としている。時が止まったように、先程までの悲鳴や足音が嘘だったように、静まり返っている。
ゼンゾーがようやく銃をしまい、ゆっくりと前に歩き出した。
ユニオの超再生能力を期待しているような顔だ。知らないのだろうか、ユニコーンは髪も目も体毛も、すべてが金色になった時、その能力はただ成人するためのことだけに使われる。それにユニコーンも不死身ではない。さすがに心臓を撃ち抜けば、あっけなく死ぬものだ。
二人の目の前で、ユニオの身体が消えて行く。
誇り高きユニコーンは人間界では死体を残さないものなのだろうか? ユニコーンの島ではあり得ない現象だった。まるで人間ごときの目に死体を触れさせるのを拒むように、ユニオの死体は幻でもあったかのように、二人が見ている前でゆっくりと、消えてしまった。それが確かに存在したことを示す赤い血の痕だけを残して。
ユーコは何も言わなかった。ゼンゾーも黙り込んでいた。二人は顔も合わさず、ただ愛するものがこの世から消えてなくなるのを見つめていた。
魂が抜けたように、二人とも長い時間をそこにじっとしていた。やがてゼンゾーがユーコの腕を掴む。
「帰ろう」
それだけ言うと、ユーコを引きずるように歩かせ、紺色のコンパクトカーの助手席に乗せると、走り去った。
◆ ◆ ◆ ◆
スティーブは翌朝になっても帰って来なかった。よほどユニコーンの島が気に入ったのだろう。
「優子」
ゼンゾーがユーコの部屋のドアを叩く。
「朝メシだ。君の好きなフルーツがいっぱいだぞ。出ておいで」
ユーコは昨夜帰るなり、自室に籠もるとドアに鍵をかけた。ゼンゾーが呼んでも返事がない。しかし、匂いはしていた。
「話もあるんだ」
ゼンゾーは根気強く部屋の中に呼びかける。
「昨夜のこと……っていうか、これからのことで」
カチャリと鍵をはずす音がした。
ゆっくりとドアが開き、幽霊のような顔をうつむかせて、ユーコが出て来る。
「よかった」
ゼンゾーが涙目で笑う。
「食堂へ行こう」
食卓にユーコが座る。
ゼンゾーは後からその隣にくっつくように腰掛けた。果物ナイフで林檎を剥こうとして、自分が林檎の皮を剥けないことに気づいたのか、ナイフを皿に置いた。
ユーコは椅子に座り、ずっとうつむいたまま、何も言わない。ただ首からぶら下げたネックレスをずっと触っていた。たまごの殻のかけらを結びつけたネックレスだった。
「ユニは……おれにとっても息子だった」
重々しくゼンゾーが口を開く。
「しかし……、君を助けるためには、ああするしかなかった」
ユーコは何も言わない。
「ユニは人間じゃない。動物なんだ。ユニコーンという種類の……」
ゼンゾーの言葉はまるで自分に言い訳しているようだった。
「君がペットに食われようとしていたら、そりゃ君のほうを助ける。おれは……人間として」
ユーコは何も言わない。
沈黙が漂った。
「さ、メシを食おう。元気だして!」
無理やりのようにゼンゾーが笑った。
「飲み物は何がいい? コーヒーか、紅茶か……」
そう言いながらゼンゾーがカップを取りに行こうと背を向けた時、ユーコの顔がギギギと音を立てるように上を向いた。
ゼンゾーの後ろ姿を鬼のような形相で睨むと、皿の上の果物ナイフを手に取った。
「アッ……!?」
ゼンゾーがのけぞり、呻いた。
その背中にはユーコが果物ナイフを突き立てていた。
「よくも……よくも……!」
抜いた果物ナイフを何度も何度も、ユーコはゼンゾーの背中に突き刺した。
「あたし……食べられてもよかったのに! よくもユニくんを……!」
「やめ……! ゆ、優子!」
前向きに床に倒れたゼンゾーの背中に馬乗りになると、ユーコは激しい雨を降らすようにナイフを何度も突き立てた。
ゼンゾーのスーツが真っ赤に染まって行く。
気が済んだのかそれとも体力を使い果たしたのか、ようやくユーコが攻撃の手を止めた時、ゼンゾーは死んだように動かなくなっていた。荒い息を収めながら、呆然としているユーコの背後から近寄り、私は声をかけてやった。
「ユーコ」
驚く声を漏らし、助けが来たのを見るように、ユーコが私を振り返る。
「アーミ! アーミ!」
手にひっついてしまったかのようだった果物ナイフを投げ捨てると、ユーコが私に抱きついて来た。
「どうしたんだい? ユーコ」
私がかけてやった優しい言葉に甘えるように、ユーコは私の胸に顔を埋めると、泣きじゃくった。
「アーミ! ユニくんが……! ユニくんが……!」
「そうだね。知っているよ」
私は彼女の身体を優しく抱き締め、その髪を撫でてやる。
「でもね。じつは私はまだたまごを持っているんだ」
ユーコが身体を離し、びっくりしたように私の顔を見つめた。
「欲しい? たまご」
微笑みながら、問いかけた。
「欲しい!」
絶望の中に希望を見出したように、ユーコの顔が、うっとりと笑う。
「もう一度! あたしにたまごを産ませて! アーミ!」
人間などこんなものだ。ユニオを愛しているとか言いながら、代わりが手に入るとなればすぐに飛びつく。
この物語は私を満足させた。
私は『ユニコーンの王』など、どうでもよかった。私はユニコーンでもない、人間でもない、どちらからも毛嫌いされている、半端者なのだから。しかし私には私の求めるものがある。
人間にもユニコーンにも、私の気持ちなどわからないであろう。私がどれだけ退屈を嫌うか、どれだけ面白い物語を求めているかなど。
ユニオが死ぬ物語になるか、ユーコが死ぬ物語になるか。面白ければ私にはどっちでもよかった。結果、ユーコが残った。彼女にはふつうの人間とは思えぬ不思議な香りがある。これを解き明かすのは私にとって最高の暇潰しになりそうだ。
「私と一緒に来るかい? ユーコ」
彼女を抱き締めたまま、ツノが刺さならないよう注意してやりながら、私はユーコに顔を近づけた。
「うん!」
明るい返事が返って来た。
「どこにでも連れてって! アーミティアス!」
「ま……て!」
床に這いつくばったゼンゾーがこちらを見ている。
肋骨をへし折って心臓に届くユニコーンの一撃ならともかく、女の力で背中から何度も刺されたぐらいではまぁ、死ぬまい。別に死んでもどうでもいいが、生きていてくれたほうが面白いので、ほっておいた。
「さあ、行こう」
私はユーコに言う。
「私と一緒に。新しい子供を産んでくれ」
憎しみに燃える目でこちらを見ているゼンゾーの前で、私はユーコにキスをした。
(了)




