お外へ行こうね
再び眠りに就いて、3時間ほどした頃……。
「ねえ、ママ。起きてよ」
そう言ってあたしを揺り起こそうとするかわいい手があった。
「ねえ、お外、行くんでしょ?」
「うーん……。もうちょっと……寝かせて。お願い」
あたしが目を開けずにそう言うと、
「だーめ! まずお風呂に入るでしょ? はやくしないと」
ああ……。そうだったな。
やることはてんこ盛りなのだ。
起きねば……。
目を開けると、3歳ぐらいの男の子が上からあたしを覗き込んでいた。
銀色の前髪がふさふさと眉の上で揺れ、それをかき分けて立派なツノが、朝日も入り込んでいない閉ざされた部屋の中で、キラキラと輝いている。
「やっと起きたぁー」
天使のほっぺにえくぼが出来、隙間だらけの歯を見せて形のいい口が笑った。
「ユニくん……。おっきく、なったねぇ……」
あたしはまだ眠い目をこすると、微笑んだ。
「もう……1人でお風呂……は、まだムリか」
苦笑して、浴槽を洗いに行った。
浴槽にお湯を張り、部屋に戻ってみると、ユニオがちろくんをケージから出して、抱っこしていた。
中型犬が小型犬を抱っこしてるみたいで、思わずくすっとしてしまったけど、無理やり抱っこしてるまでは行かなかった。
「ちろくんも一緒にお風呂だよ」
そう言って、天使は白い獣を抱いて踊った。
白い獣は抵抗もせず、力を抜いてされるがままになっていた。
ユニオが出て来たたまごの殻は、ずっと絨毯の上に置きっぱなしになっていた。記念にとっておきたい。あとで形をまとめ、どうにかして割れないように補強しようと思い、棚の上に置いてビニール袋をかぶせておいた。
後ろ向きに抱いて浴槽に入ると、くるりとこちらに向き直っておっぱいを吸って来た。
ちろくんは一匹、洗い場をさまよっている。
「あらっ。ユニくん、赤ちゃんみたい」
あたしがからかうと、
「ちがうもん。もう赤ちゃんじゃないもん!」
ふてくされてそう言いながら、またあたしのおっぱいに顔を埋めた。
長いツノが、あたしの胸上にグリグリと押しつけられる。
それを我慢しながら、彼の髪を撫でてやりながら、あたしは聞いた。
「ねえ。ユニくんは、ユニコーンなの?」
「なにそれ」
ユニくんは嫌そうに答えた。
「ママとおなじだよ」
裸のユニくんを見ていながら、あたしはようやく気がついた。
彼に合う服が一着もない。
仕方なくちろくんの青いボーダーのペット用洋服を着せてみる。
ボーダー柄の金太郎みたいにピッチピチになった。
「あはは。着れるじゃん! これでいいね」
あたしが大笑いしながら言うと、
「うん! 早くお外に行こう!」
そんなことどうでもいいとばかりに裸足で玄関へ駆け出した。
外は雨がやみ、いい具合に晴れていた。
ドアに鍵をかけていると、お隣の部屋のドアが開き、山田さんの奥さんが顔を覗かせた。
「あっ。おはようございます」
あたしはぺこり。
「その子……、だあれ?」
ユニオを不審そうに見ながら、
「赤ん坊の声が聞こえてたみたいだったけど……」
「あたしの息子です」
そう言うと、ユニオを前に出した。
「ほら、あいさつ、覚えよう」
耳元であいさつの言葉を教えると、ユニオは山田さんにぺこりとお辞儀をし、元気な声であいさつした。
「きりたにユニオです」
「はあ……」
山田さんの奥さんは失礼にもユニオにあいさつを返さなかった。
「ていうか……、赤ん坊は? いるの?」
「大きくなったんです」
ずっと部屋に引きこもって育てていたのだ、赤ん坊がいきなり幼児に育ったように思われても仕方がない。
「それじゃ。ちょっとこれから公園に遊ばせに行ってきますので」
そう言ってユニオの手を引いた。ユニオはちろくんのリードを引っ張って、歩き出した。
階段を下りるまで、ずっと山田さんの奥さんがあたし達を見送っていた。
まず服屋さんに行こうかとも思ったが、この時間ではまだどこも開いていない。
助手席に犬を抱いて座る三歳児の裸足をちらりと見ながら、あたしは聞いた。
「裸足で大丈夫? 痛くない?」
「だいじょうぶだよ、ママ。ぼく、野生児だから」
大きな公園に着くと、車から彼を放った。
犬を連れた天使は助手席から飛び出すと、犬を引きずるようにアスファルトの上を駆け出した。
慌てて追いかけるが、足が速いのなんの。
しかも4本の手足全部を使って走ってる。
「ちょっとユニくん! 1人で行かないのっ! ママと一緒に歩きなさいっ!」
あたしは本気で怒った。
転んで怪我したり迷子になったりしたら大変だ。
芝生の上でようやく捕まえた。
ピッチピチのボーダーの服を掴むと、下にずれてかわいい乳首が丸見えになった。
「ちょっ……! それ……!」
三人兄弟を連れて遊びに来ていた若いママさんが、ユニくんの姿を見つけて驚いたように笑いながら、話しかけて来た。
「わんちゃんのお洋服じゃないんですかぁ?」
朝の公園はまだ人が少なく、空気は気持ちよくひんやりしていた。
「かーわいい! ボク、なんさい?」
若いママさんの言葉に、ユニオはお辞儀をすると、はきはきと答えた。
「きりたにユニオです!」
あたしは気になった。
ママさんには見えているのだろうか、ユニオの額から生えている、立派なツノが。見えていないのだとしたら……
もしかしてこの自慢したいほどに綺麗な銀青の瞳も、輝く銀色の髪も、見えてないのだろうか? 普通の日本人の子供のように見えているのだろうか?
そんなの嫌だ。
他人にもうちの子の並外れたこの可愛さが見えていてほしい。
そう思った時、ママさんがユニオの髪を軽く撫で、言った。
「きれいな髪だね。妖精さんみたいに銀色」
「お目々も奇麗でしょう?」
あたしが聞くと、
「ええ。奇麗な色……。青いだけじゃなくて、銀色入ってるなあ。ハーフなんですか?」
「ツノがあるでしょう? ユニコーンなんです」
「あははっ」
ママさんは額のツノを撫でた。
その手が幻を撫でるように、すり抜けた。
「君、ツノなんかあるんだねー?」
その言葉はどう聞いても冗談に乗った感じだった。
あたしは安心した。
他の人にユニオのツノは見えていない。
その上で、並外れて美しい人間の子供に見えている。