赤いピクニック
ゴゴが中庭に出て来た。
疲れたように溜息を吐くと、すぐに樅の木にもたれて腰を下ろす。5kgのステーキ肉を食べたばかりだ。腹が減っているわけではない。
百獣の王の表情が自信を失っている。地下でユニオに負けたことがそうさせているのだろう。
ふいに背後の樅の木の上から女の声がした。
「……ロイは?」
いきなり降って来た粘着質な女の声に、びくりとしてゴゴが見上げる。
「ネアか。おどかすな」
にゅるり、にゅるりと音を立て、濡れたような毛のない白い頭を光らせて、蛇の姿をした女が降りて来た。樹をつたい降りて来たネアは途中で動きを止めると、金色の目をギラギラさせてゴゴにまた聞く。
「ロイ……いないの?」
「出て行った。おまえの嫌いな女と一緒にだ」
「思い出させるな!」
ネアが憎むように、唾液を飛ばしながら言う。
「いやだいやだ。女の匂いはいやだ」
ゴゴは何やらしばらく考え込むと、暗い顔を上げた。そしてネアに聞く。
「ネア。おまえ、ロイを食いたいか?」
「もちろんよ」
ネアは口から細い舌を炎のようにちらつかせながらニタリと笑う。
「もちろん、もちろんよ。ロイはどこよ」
「ロイをユニコーンの王にしてはならぬ」
重々しくゴゴは言った。
「今、我らアーニマンの王は弱い。ロイがユニコーンの王になったら、島の均衡が崩れるぞ。だからだ」
「興味ないわぁ」
ネアはさかさまになったまま、よだれをボトボトと地面に滴らせた。
「あたしが興味あるのはロイの味だけ」
「よし、食え」
「ロイ、どこよ?」
ゴゴは打ちひしがれていた体を勢いよく立ち上がらせると、屋敷内に戻って行った。
「スティーブ! スティーブ!」
大声でその名を呼びながら、聞く。
「スティーブ! ゼンゾー達がどこへ出かけたか、わかるか!?」
スティーブが自室のドアを開け、答えた。
「赤猫山でピクニックするって言ってましたよ?」
◆ ◆ ◆ ◆
「そうなのか!?」
ゼンゾーが驚いている。ユニオから何を聞いたやら。
「なぜ言わなかった!?」
「全部嘘だから」
ユニオは気づいた。誤魔化しにかかる。
「びっくりした?」
「っていうか、なんで信じるの?」
ユーコがきょとんとした顔でゼンゾーに聞く。
「嘘に決まってるじゃないですか」
「いや……。アーミティアスなら……あり得る」
ゼンゾーがきょろきょろと辺りを見回し、スンスンと鼻を鳴らした。
「まさか……な」
赤猫山はなだらかな山だが、名前の通り秋の紅葉に染まっていた。彼らは駐車場から林を歩いて抜け、人工的に作られた原っぱの片隅にビニールシートを広げ、スティーブが注文したピクニック・セットを広げていた。
ゼンゾーが1人少し離れて座り、その向かいでユーコとユニオが小型犬を連れて仲睦まじくサンドイッチを食べている。
「ねぇ、ママ」
ユニオがユーコに体当たりするように体をくっつけながら、言った。
「パパとイチャイチャしてよ」
「えっ? いや……」
ユーコがなんとかかわそうとする。
「確かに離れすぎだよな」
ゼンゾーがおにぎりを持ちながら手招きをする。
「ほら。もっとこっちへおいでよ」
「ユニくん、行ったら? あたしここでいいから」
「だーめでしょ」
ユニオはユーコに後ろから抱きつくと、そのまま前へ突き出した。
「パパとママは仲良くしないと」
「キャッ!?」
「おお!?」
ユニオに押されてユーコが前のめりに倒れかけたのを、ゼンゾーが膝の上で抱き止めた。すごく嬉しそうな顔をしている。
「臭い!」
ユーコが飛び退く。
「ゼンゾーさん、そのズボン、洗ってます!? なんかスルメイカみたいな匂いする!」
「あれっ? もしかして男性経験ない? 男は誰でもこういう匂いがするもんですよ」
「嘘つけ! そんな発酵したスルメイカみたいな匂い、初めて嗅いだわ!」
「あ、そんないい匂いするんスね、おれ? ちなみに優子は健康な牛レバーと絞りたての牛乳、それに生卵を加えて、金属バケツの中で三年ぐらい発酵させたような、むっちゅぐちゅとした匂いがするんですよ。だから、お似合いのカップルですよね。ハハハ」
「……ひどい!」
顔を歪ませたユーコの目に涙が溢れ出す。
「知らなかったの? ママの匂いって本当にそんなふうに強烈だよ?」
助けを求めるように抱きついたユニオにとどめを刺された。
小型犬が爆笑するように甲高い声で吠えた。
「うぅ……。ひどい。乙女に向かってみんなで寄ってたかって……」
それでもユニオに抱きついたまま、ユーコはそれに気づいた。はっとしたように驚いた顔になり、指を差す。
「アーミ……!」
「何っ!?」
ゼンゾーがおにぎりを急いですべて口の中へしまう。
「アーミティアス! てめえ……!」
ゼンゾーが急いで駆け出す。
「待って……!」
ユーコがその後を慌てて追った。
「アーミを……ゆ、許してあげてくださいっ」
困った顔をしてユニオが取り残された。その傍らで小型犬がお座りをして見送る。
紅葉している樹の上から音もなく、人間大の蛇が降りて来た。




