ゼンゾーのためいき
ちくしょう。泡で全部は見えなかった。優子に背を向けながら、おれは脳内で見えなかった部分を補完した。
いい体だ。細いところは細く、つくべき肉はちゃんとついている感じだ。
湯をかけられて濡れることはなんでもなかったが、どうやらゴゴが覗いていたというのは本当臭い。
てっきりそういうことにして、おれを誘い入れてくれたのかと思ったが、それが本当にゴゴなら放ってはおけない。
後ろ髪を引かれながらも急いで浴室を出て、食堂に戻ると、スティーブとゴゴが談笑していた。
「は?」
おれは思わず間抜けな声を漏らしてしまった。
スティーブが笑う。
「そうですか。アイタガヤの古い知り合い……。失礼しました。てっきり押し入り強盗かと」
ゴゴは無表情に、しかし穏やかに言った。
「オレ、アイタガヤに嫌われてる。でも、オレ、アイタガヤ、嫌いじゃない。オレに名前をつけてくれた。だから好き」
「それはそれは。なぜアイタガヤはゴゴさんのことを嫌っているの?」
「オレ、ロイの親を食った。だから」
「食った? hahaha! あなた、面白いね!」
「オマエも面白い。見たことのない種類の人間だ。フッフ」
「おいっ!」
おれはゴゴに拳銃を向けながら、声を出した。
ナンブは署に預けて来た。こいつはスティーブに買ってもらったベレッタだ。自由に使える銃なので、ナンブ以上の改造が施してある。
「アイタガヤ」
ゴゴは悲しそうな顔でおれを見た。
「オレ、おまえと闘う気、ない。なぜ闘おうとするカ」
「アイタガヤ」
スティーブがおれを見下すように見た。
「なんで人に銃向けてんの? そういう人だったの? アイタガヤって」
「スティーブ」
おれは聞いた。
「そいつが人間に見えるか?」
「アイタガヤ……!」
スティーブの表情に軽蔑の色が濃く浮かんだ。
「そういうこと言う人だったの? ひどいよ。ゴゴさんはボクの知る限り、軽度なほうだよ? 同じような病気でもっと苦しんでる人はいるんだから……」
「どう見てもライオンだろうが! 違うか!?」
スティーブはゴゴのライオンそのものの顔をまじまじと見ると、ゴゴに直接言った。
「凄いですよね。カッコいいと思うな、ボクは。獅子面病とか、そういう名前?」
「ヒッ」という小さい悲鳴を聞き、振り返ると自分の持って来たピンクのパジャマを着た優子が立っていた。
風呂を浴びたせいで石鹸とシャンプーの匂いがプンプンだ。台無しだ。
「ゴゴさん……でしたよね?」
優子が恐る恐るライオンに話しかける。
「ゴゴだ」
言葉を喋るライオンが大人しくうなずいた。
「さっき……窓から覗いてました……よね?」
「明かりがついてただけだ。だから覗いて見た。オマエ、いた。それだけだ」
「あー。覗き魔と間違えられちゃったんですね?」
スティーブが笑い飛ばしにかかった。
「今まで男だけだったから、浴室の窓をリフォームしていませんでした。明日、業者を呼んで、曇りガラスにしてもらいましょう」
「この人……」
大人しく席に座って紳士のようにも見えるゴゴを見ながら、優子が言った。
「悪い人じゃなさそう」
「ゴゴさんはいい人ですよ」
スティーブがゴゴと握手をする。
「ボク、もう友達になっちゃいました、」
「桐谷優子です」
優子がライオンにぺこりと頭を下げた。
「一緒にここに住むんですか? よろしくお願いします」
「いや待て待て待て待て!」
おれは銃をぶんぶん振りながら、言った。
「ここ、おれの家だから! こいつ不法侵入罪で……」
「アイタガヤの知り合いでしょう?」
スティーブがおれを責めるように言う。
「友達が家に入って来たら不法侵入? 鍵を壊して勝手に入って来たのは確かだけど」
「壊したのかよ!」
「知らん。勝手に壊れただけだ」
ゴゴが胸を張る。
「それよりアイタガヤ。腹減った」
「なんで勝手に入って来てメシねだってんだ! 地域ネコか、おまえは!」
「ステーキでいい?」
スティーブが自分のスマホを手に持ちながら言う。
「その体だと5kgぐらい頼もうか?」
「あーもう! あーもう!」
おれは頭を抱えるしかなかった。
「そいつはなー……。あーもう! あーもう!」
こうして人食いライオンとおれ達は、一つ屋根の下、暮らすことになった。まぁ、確かに、腹さえ満たしてやっとけば、害がないのは確かだ。蛇のネアとは違う。
朝になるとおれは優子を助手席に乗せて、アーミティアスとユニオの捜索に出かけた。
「ゼンゾーさん」
助手席の優子が言った。
「こんなに自由なものなんですか、刑事さんって? もっと毎日警察署に顔を出さないといけないものかと思ってた……」
「おれは特別ですよ」
自慢にもならないことを正直に話した。
「おれは鼻がイヌ以上に効くんでね。だから暇があれば署にいるより外で嗅ぎ回ってるほうが役に立つんです」
「イヌ以上って……」
優子が笑う。花のように。
「冗談ですよね?」
「本当ですよ」
そう答えながら、おれはどうしても車の窓を開けてしまう。
閉めきっていたら、助手席から放たれるむっちゅぐちゅとした香りに幸せな失神をしてしまいそうだった。




