ゼンゾーの大はしゃぎ
優子の寝顔がすぐ目の前にあった。
「う……ん」と可愛い声を出したかと思うと、目を開けた。かわいいその目がおれを見つめる。
頬が蒼く染まった。かわいい。
「あの……。ごめんなさい。勝手に寝ちゃって。とてもいいお部屋ですね」
目を逸らしながら、照れてそう言う彼女のかわいい口の中が丸見えだ。人間のものとは思えないほど細いピンク色の舌が、こんなに間近に見える。おれは涙が出かけた。
優しく覆いかぶさってキスをしようとすると、背後から開きっぱなしのドアをノックするやつがいた。
「アイタガヤ。彼女に蹴られる前に聞いとくけど、今夜、何食べたい?」
機嫌の悪そうな態度でそう聞くスティーブに、おれは屁をこいてしまった。
仕方なく彼女から離れ、そのあたりを手で払うと、優子に聞いた。
「何か……食べたいものある?」
「いえ……、何でも有り難いです」
「じゃ、寿司だ! 寿司! 有名店の特上のを5人前!」
「とりあえず食堂へ来なよ」
邪魔しやがってクソ外人が。養ってもらってなければ追い出してるところだ。おれがドアを閉めて続きをしようとすると、優子が小走りでスティーブについて出て行った。
まったく……
照れ屋だなあ……。
そんなところもかわいいんだけれど。
寿司が来るまで3人で会話をした。
「私、桐谷優子って言います。しばらくの間よろしくお願いします」
そう言って優子がスティーブにお辞儀をする。し、しばらくじゃねぇよ。ずっと、だろ……。これも照れてんのか?
「さっきは挨拶もせずにゴメンナサイ」
ぶすくれていたスティーブにようやく笑顔が戻った。
「ボク、スティーブ・スーパーライトっていう名前です。アイタガヤのこの家にはもう8年居候してます。よろしくね」
なぜだろう。だだっ広い食堂のテーブルに、3人離れて座りながら、おれよりはスティーブのほうにはっきりと近い席に優子が座っている。これも……照れてるの……か?
「女性が同じ空間にいてくれると空気が華やいでいいですね」
スティーブの口がだんだんと軽くなる。
「また、こんなにお美しい女性だと尚更ですよ」
おい……わかってんだろうな? この女性はおまえのじゃねーからな? わかってんな? おまえのじゃねーから。
「ふふ。さすがに外人さんは口がお上手ですね」
優子が口に手を当てて笑う。
「私もスティーブさんがいてくれると安心します」
「おい、アイタガヤ。何してんだよ」
スティーブが急におれに言った。
「お茶ぐらい出せよ。お寿司が来るまで口寂しいじゃんよ」
おれは大人しく温かい緑茶を3つ入れて戻ると、やたら会話の弾んでいる2人を引き剥がすように、スティーブに言った。
「おい。何か機嫌悪そうだよな? 一昨日のことで怒ってんのか?」
会話を止めると、邪魔そうにこっちを見て来る。
「アイタガヤ、昨夜はどこにいたの」
「ムショに拘置されてたんだよ。連続殺人の犯人と間違われてな」
「何、それ」
見下すような無表情だ。
「ボクが社長サンからどれだけ責められて、どれだけ苦労したと思ってるの」
社長なんて知らん。顔も見たことねぇ。まぁ、裏社会のドンみてーなやつのことだろうが。
「とにかく今後、アイタガヤの仕事の手伝いはボク、しないからね?」
「わーったよ! わーったよ!」
ここはなるべく下手に出て機嫌をとるしかない。
「悪かったよ。危険な相手だということは知ってた。だから接触はするなと釘を刺しといたんだ。ただ、向こうから仕掛けて来るとは思ってなかったんだ。おれの読み違いだったよ。悪かった」
「ああ」
スティーブは少しだけ納得したような顔をしてくれた。
「そういえば言ってましたね。絶対に接触はするな、気づかれないように監視しろ、でしたっけ」
「そうそうそうそう!」
おれはスティーブに少し近い席に移動しながら、言った。優子はその向こうだ。
「それより優子が何の話かわからず退屈そうにしてんだろ。楽しい話しようや。おまえと優子でだけじゃなく、おれと優子、ついでにおまえでな! さあ、スタート!」
沈黙が漂った。
ただ3人でお茶を啜る音だけがだだっ広い食堂に響く。
「この家……、素敵ですね」
優子がようやく沈黙を破ってくれた。
「とても古いように見えるのに、設備は新しくて、とても住み心地がよさそう」
「そうでしょ?」
おれは嬉しくなった。
「なんでも自由にしてくれたらいいですよ。今日から君の家だと思って。何か必要なものがあったら何でも……」
「半分以上は市に差し押さえられてるんですけどね」
スティーブが余計な口を挟んで来て、おれは心の中で舌打ちした。
「あと、照明も空調も全部、新しいものにリフォームしたのはボクですから」
「そんなどうでもいいことは言うんじゃねえ」
おれは思わず立ち上がった。
「あと、あそことそことそこの部屋は入ってはいけません。差し押さえの紙が貼ってあるでしょう? 市の所有ですから」
「おれが頑張ってこれから取り戻すんだよ! 幸せで豪勢な生活を彼女にプレゼントするんだ!」
「口だけでは何とでも言えますよね。っていうか彼女は本当にアイタガヤのfianceeですか?」
「なんでそこ疑うんだよ!?」
「だって彼女……」
「ユニくん」
優子がぽつりと言った。
「帰って来るのかな……。ここで待ってたら?」
「帰って来ますよ」
気休めだと半分は思いながら、おれは言った。
「おれと君がいる場所にあいつが帰って来ないわけがない。君にとっても、おれにとっても、あいつは息子みたいなものなんだから」
優子がなぜか怒ったような顔をして何か言いかけた時、寿司が来た。




